S0310 虜囚
石見は梯子を駆け上がり洞窟に入った。中は薄暗く、奥底から漂う冷えた空気で肌寒かった。
天然の洞窟らしく内壁は柔らかく、触れば簡単に崩れるようだ。
入り口近くは広い空間で、なだらかな下り坂が奥まで広がっている。
「……??」
しかしこの教室よりも広いこの自然の広間は、石見にいかなる畏敬も神秘性も感じさせなかった。
さもありなん。
「足元気をつけて」
立ち消える無数の矢。たなびく光の粒子が霧のよう。
だが、輝く霞も洞窟の暗闇も、その下にある凄惨な風景を隠しきれはしない。
石見の投石で死亡した三人と、他に六人。
全身に矢を受けて死んだ無残な屍に、石見は何の感慨も抱かなかった。
そして、自分の感情が揺れないことに安堵した。誤射はなし。ここの死体は全て【敵】だ。
「……えと」
「二人とも怪我はねーぜ。本人の前じゃ言えないが、すげーな」
張井の矢は、【敵】の陣地を完全に制圧していた。
「アイデアマンだしね」
管金がS字に曲がった枝を取り出した。これも張井製。ただし武器では無い。
枝は片方の先に生臭い白と黄色の物質が巻きつけてあった。
獣脂と筋である。
張井本人も含め、一般的な松明の作り方が分からない。そのため考案されたのが、『確実に燃える材料を使う』という方法だ。
松明を持つのは主に石見。手には革手袋をはめ、学ランのポケットから取り出したライターで火を点ける。
鹿の脂は香ばしい臭いと黒煙を上げてジュウジュウと燃え上がる。石見は右手に平たい石を出した。【敵】に遭遇したら手首のスナップで投げつけるのだ。
「先頭は管金頼む。後ろは任せな」
「うん」
骨付きポンチョに両手を隠した管金は、暗闇に顔だけ浮き出て見えた。
その顔も鬼面である。遭遇したら相当に怖い。
緩やかな下り勾配はやがてほぼ平らになった。同時に道幅は狭くなり、天井も低くなる。
幅はあっても管金以外は屈む必要のあるぐねぐね道を進むと、ざんざんという異音が近付いてきた。
「滝かな」
管金の言うとおり。
すぐに広い空間に出た。天井はなく、自然光が入る深い縦穴の底であった。
上からは滝と呼ぶには少量の水がザブザブと降り注いでいる。水の落ちた先は底の見えない池になっていた。これなら水の心配は無さそうだ。
周りを見回すと入り口以外に三つの道があり、暗い口をあけている。どれも自然のものではない。人が踏み固め、壁は木材で補強されていた。
右から『平らな道』『下る道』『上る道』。
「石見」
「……近いのは、たしか……なんですが」
この三人の中で【敵】を探知する能力に秀でるのは石見だ。その彼女でも、【敵】の正確な位置や数は分からない。
「まあいいさ、【敵】は殺して現地人は助ける。虱潰しだ」
不敵に笑いながら平らな道を覗き込んだ小野が眉をひそめる。
水音がうるさく、広間からは他の通路での音はほとんど聞こえない。ほとんど聞こえないが……少しなら届く。
「やべえ!」
血相を変えた小野が一人走り込む。慌てて追いすがる管金と岩見の耳にも、奥から響く騒ぎが届いた。
無数の怒号と、女たちの悲鳴。
道は暗いが比較的まっすぐだった。人が行き来して踏み固められた通路を、小野は風のように走る。
「小野さん待って!」
「待てるか!」
今まで遭遇した【敵】に、女は居なかった。
しかし【敵】は女も誘拐していった。つまり、ここで考えられるのは?
すぐに部屋にたどり着く。むっと、吐き気を誘うすえた獣臭に満ちた部屋だった。
広さは5メートル四方と案外大きく、入り口は管金も屈まねばならぬほど低いが、天井も低くない。
壁は丸太で補強され、四方に松明がかけられて灯りもある。
そこに、裸の女たちが集められていた。一様に怯え、生気のない瞳。
小野が怒りに絶叫しようとした途端に。
何かにつまずき、思いもよらず転倒した。
「がっ!?」
「死ね」
入り口脇に隠れていた刺客が、ぎらつく刃を振り下ろす。
がら空きの背中に刃が突き立つ寸前、飛来した平たい石が刃を打った。
「チッ」
舌打ちしながら、刺客が下がる。
「んだてめえォラぶふぅ!!?」
起き上がろうとした小野が顔面を地面に叩きつけた。
遊んでいるのではない。さっき引っかかった足が引っ張られて逆さ吊りになっているのだ。
「小野さん!」
再び振り下ろされた刃を、管金が篭手で弾く。【武器】を振るには距離がない。
逆の篭手で張り手。金と赤の篭手の指先は蹴爪のように尖っている。これは大鎌が使えない距離での格闘を踏まえてだろう。
紅色の鉤爪が小麦色のわき腹に……突き立たらない!
「う、うわああ!?」
再び刃を振り上げる相手、だが管金の戦意は喪失していた。
「待て管金!」
「待つよ待つ待つ!」
次の一撃を防ごうとした所で、管金は左手が動かない事に気付いた。
見ると、地面から伸びた鎖が巻き付いていた。
鎖に使われる金属は、管金の具足と同様の艶消しの黒で妙に軽い。金具は細く5ミリ未満で、一つの輪も長い側が2センチ程度。
いつの間にか巻き付いた鎖は三本。しかし左腕が拘束されピクリとも動かないほどに頑丈であった。
防ぎきれない! 管金が覚悟を決めたと同時に。
「あっ!」
「ぐぇっ」
管金の拘束が光の粒子になり立ち消えて、小野が落下した。
そして逆に襲撃者の腕に、鎖がじゃらんと巻きつき拘束していたのだ。
「テッサ!」
「そこまでです、クリス」
襲撃者、小麦色の肌の女クリスが、物陰に潜んでいたもう一人の女テッサを燃えるように睨む。
とりあえずどちらも一糸まとわぬ裸体で、管金は慌てて目を逸らした。
その先にあったのはあられもない寝姿で鼻の赤い小野と、石見の無言の視線であり、管金は針の筵であった。