S0104 朱里
「うあぁ~……」
笛吹と別れて二時間。管金は土地勘のない山の中をさまよっていた。
目指すは麓。とりあえず人里を目指したかった。ついでに下に下に向かう内に、川があったら嬉しいとも思っている。
山育ちの管金ではあるが、獣道もない山中を歩き回るのは骨が折れる。
一度は大鎌で草を刈りながら進むことも考えたが、疲れるばかりで一向に進めないので諦めた。
すでに足はくたくたで、菅金は少しの休憩が欲しかった。
菅金のスマホは十時半をさしていた。昼食には少し早い気もするが、疲労による空腹感もあった。
とはいえ、もしも食事中に【敵】に襲われでもしたらたまったものではない。
菅金は上りやすく下から見つかりにくい、そんな都合のよい木を探していた。
「……んん?」
樹上に黒い塊を見つけ、菅金は目を凝らした。
丸くて大きいそれを、菅金は最初、巨大な蜂の巣かとも思ったが、どうやら違う。
じっと見つめる内に、管金はそれが人間である可能性に思い至った。
全身黒ずくめの人物が、樹上でうずくまっている!?
「え、ええと? こ、こんにちわー?」
とりあえず声をかけてから、管金はその人物が眠っていたり休んでいる可能性を考えた。
しかしてそいつは白い顔をにわかに上げて、菅金を見下ろした。
「やあ少年、高いところから失礼するね。しかし、わたしを見つけたのは君が初めてだ」
顔は逆光でよく見えない。声も低く、なにやら飄々としたセリフ回しで、性別の判別が難しい。
そしてなにより降りてくる気配がない。菅金は自分の周りを見回した。
「辺りには誰もいないよ。【敵】も【狩人】も。お姉さんの言うことを信じなさい」
「お姉さんでしたか」
「あ?」
見えないし判別付きにくいのだ。確認と感想である。
しかし黒ずくめの女性の反応は劇的だった。
「少年……そりゃどういう意味だ?」
逆光でも爛々と輝くその双眸が、音を立て火花を散らすその圧力。
どこに虎の尾があったのか分からず、菅金は口をパクパクさせるばかり。
「……こっからだとよく見えないんです」
「……そうか。ふーん、そうかそうか」
自称お姉さんは納得したような、釈然としないような。どっちともつかない様子だ。
数十秒の沈黙の後、樹上の女性は手を叩いた。
「つまらん事に拘っても馬鹿馬鹿しい。私は|見坊(けんぼう朱里。
【武器】は手裏剣だ。といっても私自身は忍者ではない。サラリーマンさ」
「はぁ」
黒ずくめの女性、朱里は器用にバランスを取って肩をすくめた。
管金は気のない相槌を打ちながら、黒ずくめで樹上に隠れる姿が忍者そのものだとか考えた。あるいは、分かった上での冗談なのかも。
「おれは管金です。【武器】は大鎌、高校一年です」
「……」
管金の返答に、朱里は再び沈黙した。口を開くと多弁なのに、時々急に押し黙る。
話していてドキドキさせられるし、表情が見えないから何を考えているかまったくわからない。
「すがね。珍しい名字だな。ちなみにわたしも珍しいが、名字は可愛くないので名前で呼んでくれたまえ」
「おれは名前が気に入ってないので名字で呼んで欲しいです」
管金は単純に、朱里が漢字を考えていたのだと判断した。
そして彼女を、優しく話しやすい大人だと考えた。
「朱里さん、おれ」
管金は少し言い淀んだ。なんとお願いするべきか。
この時、管金が朱里の行動理由を考えていなかったのは、彼の若さ故だ。責めることはできまい。
「ひとりでいるのは不安なんで、一緒に行ってもいいですか!?」
勢いままに叫んだ管金に、朱里は一瞬怯んだようであった。
彼女は樹上からしばし少年を見つめ、諦めたように口を開いた。
「君は……もう少し物事を考えて行動しなさい」
「はい?」
管金なりに考えて、朱里は信用に足りると考えた結果の行動だった。
しかし朱里は、そんな管金に哀れみに近い視線を向ける。
「お姉さんは人を見る目に自信は無いが……君は純朴な青少年に見える。というか、そうにしか見えない」
誉められているのか何なのか。管金はとりあえず話を聞く姿勢に入る。
「結論から言うと、管金少年。お姉さんは君と一緒には行きたくない」
力強い拒絶。管金は肩を落とした。
諦めが早い管金に、朱里は眉をひそめる。
「理由を聞かないのか?」
「聞かせてもらえますか?」
「……わたしは君を恐れている」
口調には、恐怖はおろか敵意の片鱗すらない。
そもそも、朱里が何を恐れる必要があるのか、管金の想像力では到達できなかった。
「君に会うまでに、わたしは七人の【狩人】を見た」
【狩人】。先ほども口にしていた。
百人の【ドラゴン】殺しを区別するために朱里が作った言葉なのだろう。
「内三人は、わたしが見たとき既に死んでいた」
その言葉は、刃のように管金に突き刺さった。朱里が出会った半数近くが、この二時間以内に命を落としたことになる。
「て、てて【敵】ですか……?」
「……」
早鐘みたいに胸が鳴る。いまさらながら恐怖が襲ってきた。管金はそして、朱里の沈黙をも理解した。
あれは、観察だったのだ。現に今も朱里は、冷徹なる分析者の目で管金を見つめていた。
「もしかして……」
沈黙が雄弁に、最悪の可能性を語っていた。
それを知っていたら、朱里が管金を恐れるように管金も朱里を恐れただろう。現に今、管金は朱里に恐怖を抱いていた。
「な、何人が……?」
「三人と言いたいが」
「?」
樹上の気配が、どす黒い渦を巻いた。
言いあぐねている。何かが朱里の心に深い傷を付けたのだ。
そも管金に言わせれば、彼女の見た死体が皆【味方】の手によるという時点で耐え難い。
そして管金は、無意識で【味方】と呼び身震いした。朱里の【狩人】呼びに得心入った。
【味方】はいない。味方ではないのだ。
「あっ」
ここで管金の脳裏を横切ったのは、美剣士の照れた横顔であった。
彼は他者をライバルと見ていた。
誰かを排除してでも【ドラゴン】を殺すという鬼気を纏っていた。
「ぐ、グレーの高そうなブレザー着たイケメンは見ませんでした!?」
「……残念だが、わたしの見た被害者は全て、略奪されていた。服装など分からない位に、な」




