S0304 知識チートで介入だ
張井の要塞中央部には広場があった。木を切り掘り返したそこをすり鉢状にへこませ、石で区切っている。
そこには燃え残りの木の枝が転がり、骨製の串が数本突き刺さっていた。
近くには素焼きの瓶や皿が置いてあり、磨かれた石のナイフが並んでいる。
二頭の鹿を持ち帰った管金達を待っていたのは歓待であった。
張井は老人達に鹿を渡すと、彼らは大喜びで解体した。
「ここは現在『ダ』『チ』『イノ』『カラ』の四家族が集まってる。彼らは家族単位で行動し、決まった家もない」
「イメージしてた縄文人よりさらに前な感じか」
小野の言葉に張井は頷く。ここが2024年から考えて何千年何万年前かは分からない。
だが少なくともこの時代の人類は打製石器を使うも、建築も農耕も未開発であった。
彼らの武器は叩いて割れた石、折れて尖った骨、堅い木の棒であり、主食は木の実と肉。あとは虫。保存術もなく、肉は解体して残らず焼いて食し、虫は足と頭を取って生食。木の実は石で砕いていた。
「びっくりするほどだね」
「だが彼らはネアンデルタールだ」
張井は、この時代の人類が自分らと違う種であることを、まるで神秘的で素晴らしい事であるかのように声を潜めた。
「……?」
「ネアンデルタールは我々ホモサピエンスよりも脳の容積が一割近く大きい。最近の研究だと、彼らが進んだ文明を築いていた可能性も高いとか」
張井の話を疑いもせずに聞く学生二人。小野は鼻を鳴らして不服をアピール。
「で? その賢いネアンデルタールにてめえは何を教えたんだ?」
「火打ち石、磨製石器、骨と木と石の加工、素焼きの土器、松明、釜戸、瓶、取っ手とフック、茹で料理、パン、木の組み方、柱、屋根、鍋つかみ、依り紐……」
小野の容赦ない左フックが張井の顔面を打ち抜いた。
周囲で悲鳴が上がる。子供たちが怒りの形相で駆けつけてきた。
『長 打つ 悪い!』
『罰 女 産む!』
彼らの言語は単純で文法もなく、シンプルな単語だけで構成されていた。
そして驚くべきことに、【義体】はそれを速やかに自動翻訳した。
そしてその内容に、石見と管金は赤面。子供たちは『長』たる張井に手を上げた小野を非難し、罰として彼の子を産めと言っているのだ。
「てめーが長かよ……!」
溶岩のような怒りを煮え立たせる小野に、張井は舌打ちして顔を背けた。
「代理な」
「あ?」
返答次第じゃただでは置かないと凄む小野を一瞥し、しかし張井は子供らの頭を叩いた。
「それは無し。男と女は『組み』だろ?」
納得行かない様子の子供らを見て、小野が慄然と目を見開いた。
そしてやおら顔を覆い、頭を下げた。
「悪い」
「ん?」
信用など無くて当たり前だと思っていたのか、張井は突然の謝罪に面食らった様子であった。
小野もまた驚きを隠せないでいる。
「え? え?」
「いや、まさか『倫理』まで教えやがるとは」
「倫理?」
聞き返す管金に、張井は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、ガチで王様になりたい訳じゃないんだぜ? 俺は初日に川下って彼らに会ったんだけどさ……その」
言いよどむ張井。
その目が子供らに向いた。男女合わせて十人以上。先ほど小野に文句を言ったのは一番発達の良い娘だ。
それでも身長は管金より10センチ以上小さい。
そして石見はふと、乳飲み子がいないことに気がついた。
大人がいないことと関係があるのか? 彼女の思考はそこで停止した。理由まで至らなかった。
対して管金は、気付いてしまった。
彼の中の臆病な部分は、やせっぽちで慢性的に欠食した原始の人々が、飢えをしのぐために『何』を食べるのか。
バカバカしい。あってはならない。くだらない妄想だ。
そう切って捨てるに捨てきれず、青ざめた管金を見て、張井が眉をひそめる。
「賞罰としてのセックス、長となる男を中心とした一夫多妻、必然的近親相姦、それと子殺しと人食い。俺が禁止したのはそんな程度だよ」
「……つまりあんたは彼らの文明化を後押ししたのか?」
小野の問いに、張井は苦しげに頭を振った。
違う。そんな崇高な、同時に傲慢なものじゃない。
「技術を教え初めたのは確かに面白半分だったさ。だが倫理は……」
見ていられなかったのだ。彼らはまだ進化途上とはいえ、人類だ。自分らの祖先だ。
たどたどしくも言葉を操り、道具を使い、火を恐れない。
小規模とはいえ社会を築き、他の人間と物々交換で交易もする。
そんな彼らが女性を尊ばず、子を大事にせず。あまつさえ最悪共食いをするなど、そんな獣じみた行為をするなんて、張井には認められなかったのだ。
「順番に話す。最初から」
そこには張井の倫理も興味も、ネアンデルタール達との遭遇と大人の不在理由も。そして彼が諦めきれないヒーロー性と、この『要塞』の構築理由も含まれていた。
彼の孤独と希望と苦難と煩悶。それを見てきたのはティーシャツにプリントされたアニメ『熱海秋月の爽快』に登場する異次元人・陸奥だけであった。