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武器を取れ、ドラゴンを殺す  作者: 運果 尽ク乃
一日目 原初の夜明け前
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A0102 森のくまさん

 山道と平地との違いは斜面である。


 人類という生物は直立し、広い視野と手を手に入れた。これは他の生物に打ち勝つための生存戦略である。

 手の利便性については殊更(ことさら)に書き立てる必要はなかろう。

 だが、手を得たことで道具を作り武器を振るうことが可能になった人類が、代わりに失った物を忘れてはならぬ。



 そう、二本の足である。



 ほとんどの哺乳類は四本脚で移動する。猿といえども全力移動の際には四足歩行の形を取る。

 何故なのか、明快な理由がある。


 バランスだ。

 人間は、簡単に転ぶことを忘れてはならない。四足歩行ならばちょっとした木の根に(つまず)いて転倒するような無様はそうそう起きない。


 人類は手によって多くの恩恵を得てきた。けれども代わりに失った足の数のことを忘れてはならない。

 斜面において、デコボコした足場において、狭い道において、二足歩行は不利にしか働かない。

 

「もーヤダ! 割とガチ目に病む! 山道のエグさ段違い(エグち)!」


 倒木に座り込んで、後虎(アトラ)は不満を叫んでいた。

 二足歩行の弱点を、現代人は道を作る事で克服していた。山を切り崩して障害になる根や石を取り除き、執拗にアスファルトを敷き詰めて。


 されど都市の利便性を高める事で、二足歩行の弱点が失われる訳では無い。むしろ、平坦ではない路面への不慣れから悪化させているとも言えた。

 少なくとも後虎は、どこに足を乗せても平らではないような場所を歩いた経験は無いし、そんな場所を延々一時間も歩けば嫌気が差すというもの。


 足元は固くうねりゴツゴツした木の根か不快な感触の腐葉土。空気は黒カビのような臭いが強く、所々にキノコが見え隠れしている。

 そこかしこにハエやその他の羽虫や甲虫の姿が見え隠れしていて、後虎は鳥肌を立てた。


 早くこの鬱蒼とした森から抜け出したいが、思うように進めない。

 杖の代わりに使っているクロスは、全長1メートルの一般的なショートクロスだ。


 プラスチック製のヘッドは30.48センチ、カーボンのシャフトが70センチ。非常に軽量で取り回しが良いのが特徴だ。だが当然、杖としては軽すぎるし心許ない。短すぎるのも欠点だ。


 こういう時、ディフェンダー用のロングクロスなら杖にも最適なのにと後虎は思う。

 

おっと失敗(ヤバイ)、飲みきっちった」


 貴重な食料であるチョコレートとミルクティーを消費し切り、後虎は頭をかいた。

 お弁当はコンビニで買った菓子パンとサンドイッチだ。飲み物がないと食べづらい。


 事ここに至っても、後虎は楽観的だった。食糧不足による飢餓や寝床の心配をしていなかった。

 それは後虎自身が物事を深く考えない性格であると同時に、意識的に先を考えないように訓練してきた結果でもある。


 後虎にとって未来とは苦しみだ。目に見える絶望のタイムリミットから目をそらし続けることこそが後虎の人生であり、そしてそれを取り除くことが望みであった。


「つーか飽きた(ヤバイ)! マジクソ運営! マップと目的地くらい用意しとけ!」


 独り言を呟きながら、後虎はベンチ代わりの倒木に並べた小石を、恐る恐る確認した。

 ゴルフボール前後の不格好な小石が五つ、どれも湿った泥で汚れており、あまり積極的に触りたくない。


 この小石こそが後虎の武器であった。これで【ドラゴン】を殺せるかと問われれば疑問は残る。しかし、他に思いつかないのだから仕方ない。

 後虎は少し悩んだ後、紙パックにチョコレートの包装とストローを折り曲げて突っ込んだ。


「そーいや、ゴミ見てないっぽい?」


 富士山や樹海にも、人間に持ち込んだゴミが転がっていると聞いたことがある。

 しかしこの鬱蒼とした森に迷い込んでから、一つとして、人工物を見ていないことに後虎はようやく気が付いた。


 ここが、この山の中はもしかして得体の知れない場所なのではないか。そんな想像をして、後虎は身震いする。

 本当的な恐怖に追い立てられるように紙パックを鞄に放り込み、小石をコンビニ袋に放り込んだ。


「…………ヤバ谷園……なんか出そうだし」


 立ち上がった後虎は恐る恐る周囲を見回した。四方八方鬱蒼とした森、しかし、斜面を少し下った所に動くものあり。

 人影? 後虎は胸をなでおろした。誰かいるなら安心だ。独り言を続けるのも飽きてきた所だった。同じような境遇の人間があと九十九人いるのなら、会って話がしたかった。


「おーい!」


 後虎は無警戒に声をかけていた。それはあまりにも思慮に欠けていた。相手がこの森で最初に出会った生物だったかもしれない。

 だからといって、警戒をし過ぎるということは無い。それが友好的な存在である可能性は、極めて低かった。


 【敵】、危険な野生動物、あるいは百人の刺客の一人。どれであってもだ。


 そいつは身じろぎして後虎を見た。後虎もそいつを見た。

 体長3メートルの巨体が、巨大な樹木に爪で印をつける。容易く削られる樹皮、全身を覆う黒い剛毛。

 ほとんどの野生動物は人間を無闇に襲わない。空腹、縄張りの侵犯、子連れ……。この時は、前者二つ。


「って、危険危険(ヤバーイ)くまさんじゃーん!!?」


 後虎が悲鳴を上げて回れ右するのと、熊が四足歩行で駆け出したのは同時。二足と四足、足場の馴れ不慣れ、体格の差。どれを取っても後虎の不利は明々白々。

 十秒以内に追いつかれ、頑丈な生木を穿つナイフのような鉤爪が後虎に致命的な一撃を与える。はずであった。


「アッハ! 逃げてやんの、マジウケるんですけどォ〜!」


 樹上から降り注ぐ、粘りつくようなキャンディボイスと小柄な体躯。

 太陽もかくやという眩い輝き、振り下ろされる断頭の刃。


 この首をやろう。ただし、まえらき刃(注)に耐えたのならば。


「ちょ、すごい、信じられない()!?」


 幅広く薄刃の両手剣が、異様なまでの鋭さで熊の頑丈な頭蓋骨を撫で斬りにした。顔の左半分を吹き飛ばし、分厚い鋼線を束ねたような首を縦に割断。

 肩口から鎖骨を圧し折り肋骨を蹂躙。重要な血管をずたずたに引き裂きながら突き進み、心臓を破壊して止まった。


「ざァこ、ざァ〜こ、熊ごときに勝てないの、なっさけなァ〜い」



注:『まえらき』は角川つばさ文庫版 鏡の国のアリス に登場する造語です。誤字脱字の類ではありません。

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