A0101 |後虎(アトラ)
運動部に所属する多くの高校生がそうであるように、後虎もまた早朝練習に余念がなかった。
部活動にはマイナーとメジャーがある。スポーツの知名度と参加人数の問題ではなく、その学校にとっての貢献度と参加人数の問題だ。
後虎の通う高校は、野球部とテニス部が強く、サッカー部とバスケットボール部は弱い。
運動部にとってグラウンドや体育館は奪い合いだ。広いグラウンドの半分は、毎日野球部のものだ。何年かに一度は甲子園に手が届くのだ。期待度が違う。
残りのスペースを半分に分けて、さらに曜日でローテーションされる。
後虎の所属するラクロス部は、県内で上位に入るためメジャー寄りの扱いだ。それでもグラウンド練習ができるのは週に二回だけ。
その日は偶然にもグラウンドが使える曜日で、七時から一時間の早朝練習をみっちりこなし、後虎は汗を拭きながら水道水を飲んでいた。
タオルで顔を拭き、身支度にかかる時間を計算しながら水道の蛇口を閉める。並ぶ部員仲間に水道を譲ろうとした瞬間に、それは来た。
【ラストイル】である。
突然のめまいに似た世界の暗転。絶対美を誇る超存在との接触。
【ドラゴン】を殺せ。理解と許容の上限を遥かに上回る命令。他の百人同様に、後虎もまた圧倒された。
「これマジなん?」
《最後に一つ質問を聞こう》
困惑する後虎には有用な質問が思い付かない。【ドラゴン】を殺さなければならない。戦うというのだ、普通の高校生の後虎が。
殺し奪うだけの才の果て。全く持って意味がわからない。故に後虎は今の自分にとって最も大切なことを口にした。
「これ、着替えちゃダメ系だったり? |ものすごくガッカリでしょんぼり(ぴえん越えてぱおん)なう」
【ラストイル】からの返答は無かった。
他人同士での意思疎通の齟齬は、日常茶飯事である。ましてや超存在と矮小な人間の意思疎通に齟齬が生じぬ筈もなく。
後虎はシャワーを浴び、ジャージから制服に着替えた。その上で化粧を丹念に施し、完璧な自分を作り出す。
運動中はポニーにしていた髪をおろして整える。緩やかにカールした猫毛は、肩にかかる長さ。全体的に明るめのブラウン、前髪の一房と毛先だけをピンクに染色している。
日焼けは天然物、日焼け止めをして保湿もしっかりしているが、肌が焼けやすい体質。白い肌にも憧れるが、黒くても可愛いからよし。
髪と同色に染色した眉を整え、アイライナーで目力アップ、目尻にはラメを入れて長い付けまつげを装着。カラコンはお気にのグリーン。ピアスは右がハートで左が星型。グロスはオレンジ系。唇のプルッと感を強調。
ラフに着崩したワイシャツに、えんじ色のネクタイをゆるく締める。明るいブルーのパーカーを着て、紺のブレザーを羽織る。
チェックのスカートは下着の見えないギリギリのライン攻め、太ももは健康的で引き締まっているが、筋肉量の問題で太め。
左右で柄の違うオーバーニーを履き、靴は履き馴れた紺とピンクの運動靴にする。
爪はシール式のネイル。本当は塗りたいのだが、運動部との兼ね合いで妥協。手首にはシュシュと腕時計。
薄い鞄とラクロス用のクロスを握り、準備完了。なお、薄っぺらな学生鞄の中身は化粧品とお弁当と紙パックのミルクティー、チョコレートとキャンディだ。
「シャオラー! バッチ来ーい!」
気合を入れる後虎、冗談にしか見えないが、本気だった。
友達と学校帰りにショッピングモールに繰り出すのではない、【ドラゴン】を殺しに行くのだ。
しかし誰に何と言われても、後虎にとってはこの服装こそが戦闘服だった。いわゆるギャル。カワイイはサイキョー。
「……………………嘘でしょ?」
だが。後虎を出迎えたのは山であった。人の手の入っていない、鬱蒼とした木々。
むせ返るような緑と土の匂い、見たこともないほど立派な木がたっぷり生えていて、少なくとも後虎の地元ではないと断言できる。
早くも戦闘服で来たことを後悔しながら、後虎は恐る恐る歩き出した。高い木のお陰で茂みはなく足元は見やすい。
しかしタコ足配線の如くうねり絡み合う木の根が、歩くのを阻害する。
「秒で萎える。着替えなきゃ良かったし」
クロスを杖代わりにして後虎は一歩々々気を付けて進む。進むはいいがどこへ行くのか。
「敵は【ドラゴン】しょ? なら山のテッペンか崖の底に間違いねーし」
後虎の頭の中のドラゴンは、デカくて強くて火を吹く奴だ。ボス敵は一番奥に居るものだ。
極めて楽観的に、後虎は山を登った。