S0212 汗ばんだ裸体の誘惑
「そういや、あいつ来ないな」
あいつとは、石見を助ける戦いの前に出会った少女である。
泥汚れした制服を着た女子高生で、川の向こう岸から叫んできたのだ。
「ね! そっちの上流で女の子がからまれてる!」
川幅は10メートル以上あり、濁って流れも速い。渡れる場所を探しているという彼女の判断は冷静で的確だった。
そして管金は小野をおんぶして走った。足場の悪い河原だ。その方が早かったのである。
失敗があるとしたら、背中に当たっていた小野の特筆事項を堪能し忘れたことだろうか。
本当に心から残念でしかない。
管金らが隠れている場所からは川側がよく見えていた。逆に川からは藪に隠されて見えにくいだろう。しかし、どれだけ見ても彼女の姿は見えてこない。
「渡れないんでしょ」
「だよな、あたしもそう思う」
続く衣擦れ、管金は川側への監視に集中した。
「おい! 見ろよ管金!」
振り返りかけ、管金は目をぎゅっとつむって食いしばった。
「罠だ!」
「うん。石見のお肌見る?」
「やめてください! この後に顔が見れなくなっちゃう……」
小野の邪悪な笑いが響く。管金は深呼吸して気を静めようとした。
「左腕は傷が小さいが深い。だがこの短時間で血が止まってる。胸も対したことないな」
つまり、【ラストイル】の用意した【義体】様々という話か。
管金は安心の息をつく。
「ただし傷が多すぎる。血もかなり流したはずだ。熱が出るだろうな」
「やっぱり住み良く改造する?」
「道具がたりねー」
管金の大鎌は草刈りよりも首刈りに向いている。
今使える工具は、手斧と棒手裏剣しかない。
「だから後で、狩りは頼むかもな」
「火が手に入ったしね」
とはいえ、土屋から分捕ったライターは、オイルが三分の一も残っていなかった。
大事に使う必要がある。
「……チッ」
不機嫌な舌打ち。管金は振り返りかけた。危ない!
「ど、どうしたんですか?」
「なんでもねー」
更に不機嫌な舌打ちが続く。とりあえず、石見の容態の問題では無さそうか。
しかし、どうしたのだろうか。管金のなかで好奇心がムクムクと膨らんで来た。
「クッソ!」
「あの」
「あんだよ!?」
「手伝います?」
「……」
数秒の沈黙。管金は小野を怒らせたかと思って不安になった。
「……もう少しがんばる」
「はあ」
それから五分ほど後。
背後からは小野の怒りが鬼気となって吹き付ける。管金は背中側が脂汗で冷えるのを感じていた。
そんな折、小野が大きく深いため息をつき、憤怒は雲散霧消した。
「すまんが二個ほど手伝ってくんない?」
「それは目つぶし必要?」
「目つぶしじゃなくて目隠しじゃね?」
しかし、実際これまでの間に振り返っていたら、目つぶしだったに違いない。
「……こっち向いていいぞ」
「ううっ……」
振り返った管金の目に最初に映ったのは小野の白い背中だった。
彼女の裸体はしなやかな筋肉を秘めつつ、女性的丸みを瑞々しく体現していた。匂い立つ芳香、まるで男の理性を溶かす強酸の霧だ。
状況が状況で無ければ、管金の精神は崩壊の危機に瀕していただろう。
下は履いているが、胸は左腕で隠すばかりの扇状的な姿。うっすら上気して汗ばんだ背中が絹のように煌めく。
だが管金の視線は彼女の右腕に。肘上周辺に注がれていた。
幅4センチ、長さ10センチほどの範囲の皮膚がめくれあがり、赤とピンクの肉が露出している。
傷口は削り取られた様に波打って寄り、ささくれて、ジクジクと血液や体液がにじみ出ていた。
「悪いけど、背中結んでくれ」
見ると、左腕で押さえているのは乳房だけではなかった。
モスグリーンのボロ切れ、タンクトップだった切れ端が添えられている。
「それよりも」
「胸を隠さないと動けないだろ?」
管金は納得行かないものを感じながら、ボロ切れの端をつまんだ。
タンクトップの肩紐とその下数センチ以外は、引き裂かれて包帯代わりになっている。
管金は小野の艶めかしい背中も、無惨な傷口も見ていられずに視線をさまよわせた。
彼がその目を置いたのは寝かされた石見だ。上半身は菅金の学生服をかけられて、汗もなく規則的な呼吸を続けている。
「指が痺れてさ」
「早く言ってくださいよ……」
小野の裸体は粘つく汗でしっとりしていた。暑いわけはない。
破れた皮膚が、露出した神経が、空気に触れるだけで痛むのだ。指が思う通りに動かないのだ。
「ど、どれぐらい締めれば?」
「とりあえず千切れない程度で」
「は、はい」
管金の手は身長の割に大きく太い。しかし大きさの割にきめ細やかだ。
小さな結び目で固結びにし、簡易ブラの出来上がりだ。
と言っても、管金には効果と機能については伺い知れない。
少なくともこの布切れが、学ランのボタンを跳ね飛ばすパイ圧に耐えられるとは到底思えない。
「サンキュー」
「腕……ですけど」
管金は言い淀んだ。タンクトップを引き裂いた包帯もどきしかない。
この清潔とは言い切れない布で縛っていいのか。小野の言った『感染症』が喉奥の小骨みたいに刺さっている。
「薬草の知識ある仲間が欲しいもんだね……やってよ。痛いんだわ」
管金は音高く生唾を飲み、震える手で小野の傷に手を伸ばした。
「いやらしい!」
鼻息荒い管金の手を、小野がピシャリと払いのける。
二人して苦笑する。冗談で気を紛らわしてくれたのだ。
「大丈夫。痛いのは最初だけ。この山の木の葉の枚数を数えている内に終わるよ」
「気が遠くなる!」
悪乗りする小野。管金は想像して気分が悪くなった。そもそも一本の木に何枚くらい葉っぱがあるのだろう。
「行きます」
「あいよ」
意を決して巻こうとして、管金は動きを止めた。
んん? どう巻けばいいんだ?
「焦らすなよ、死亡フラグ立てっぞ!」
「待って巻き方わからないだけだから!」
真面目な話、管金は包帯を巻くのは初めてだった。
単純にぐるぐる隙間なく巻いたとしても、端の処理がわからない。
言われて初めて、小野も気づいた様子だ。
「石見が起きたら、二人に話したいことがあるんだ」
「待って待って」
「最初の端は内側に折り込んで、締めながら巻くんじゃね?」
冗談から一転真面目に。しかし小野自身も不安な言い方だ。彼女もそれが正しいかわからないのであろう。
「ぐるぐる」
「……途中にわっか作って、最後そこと結べば」
「おお!」
とは言っても正しい結びかはわからない。
二人はしばらく悩んだが、とりあえずそのままに決めた。途中で緩んだら巻き直すしかないだろう。