A0208 『みんなでフィロソフィ』
『最速の格闘球技」ラクロスの起源は、諸説あるがネイティブ・アメリカンの訓練あるいは儀式だと言われている。
現代の近代化したルールと枠組みは十九世紀にカナダ人が制定した。それまでは広大な土地で、百人規模の集団戦として行われていた。
原始ラクロスは若い戦士に狩りの訓練を施すど同時に、神話の再現であり、神に試合そのものを捧げる儀式。
また、部族間の上下関係をラクロスで決めていた節もあるとされる。
つまり、ラクロスは神聖不可侵なものであり、勝者が優位な立場に立つための擬似戦争でもあった。
敗者といえど、勇気と奮闘を称えられ、勝者は栄光と権利を与えられる。
それまではアメリカンフットボールのように衝突やぶつかり合いのあったラクロスは、英国女王が観覧後「可愛らしい」と褒め称えた事により女子人気が高まった。
結果、テニスのようにスカートを履き、肉体接触を禁じられた女子ラクロスのルールが制定。
今現在もカナダの国技であり、世界中に愛されるフィールドスポーツとして親しまれている。
後虎が始めたのも、子供の頃に見たアニメの主人公が、ラクロスの選手だった影響だ。
二十年以上続く女児アニメシリーズ『みんなでフィロソフィ』の初代。ダブル主人公の片割れ、アリスソフィア。
後虎がそれを見たのは衛星放送で、前後も分からない途中からだった。しかし無理難題なのは分かった。ヒロインは日常を破壊しに現れた敵と、ラクロスの大会を同時に相手せねばならない。
どちらかを取れば、もう一つが立ち行かない。その状況で彼女の相棒テレスソフィアはこう言い放つ。
「私達の戦いは大切な日常を守るためでしょう? なのに、戦いのために日常を犠牲にしては本末転倒よ。
私達の幸せは平穏の中にこそあるわ。
行って、試合に勝って、全国大会行くんでしょ? あなたがここまでずっとがんばって来たのを私は知ってるわ。
ここは私に任せて、知ってるでしょ? 私、アリスと同じくらい強いんだからね」
強豪校との試合、勝ち目の無い敵相手の時間稼ぎ。並行で映しながら話は進む。
子供心に、試合の方は楽勝だろうと後虎はぼんやりと見ていた。だが、本当に厳しいのはラクロスの方だった。
試合に集中できず、ミスを連発する主人公。得点差もつけられて、前半ですでに敗戦ムード。
そんな時、チームメイトが彼女の肩を叩く。
「ドンマイドンマイ! いつものアレはどうしたの?」
「何事もバランス……」
人間が幸福に、理性的に生きるのに必要なのは中庸である。主人公は心のバランスを取り戻して、平常心で試合に望む。
前半とはまるで別人のような完璧なプレーで逆転勝利をする主人公。
後の展開を後虎はよく覚えていない。
ラクロスが格好良かったことと、守るべき日常の象徴であること。それで十分だった。
…………後虎は混濁した意識の中で夢を見た。それは『みんなでフィロソフィ』の夢であり、大好きなラクロスの夢であり、そしてどれほどに望んでも手に入らないものの夢だった。
『みんなでフィロソフィ』のアリスソフィアは言っていた。
「希望ってのは目覚めながら見る夢なんだ。手が届くとは思えないけど、それでも手を伸ばすのはやめられない!」
絶対に実現不可能。何もかもを諦めて、心を殺して生きるしかない。
あるいはすべてを投げ捨てて、夢と心中するしかない。
後虎に与えられた期限はあと一年半。
高校卒業までの短い時間。
花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき。
前から思っているのだけれど、大岡力って誰ぞ? プロレスラー??
完全に目が覚めた。後虎は自分の下半身が水に浸かっていることに気が付いた。全身濡れネズミ。体中が痛い。
前後の記憶もない。もっぴょんと山を歩き、ほりっちとキャンプして、マッキーとショーくんが増えて……。
「もっぴょ……痛ったァ!?」
完全に思い出した。【牛頭】戦で囮になるべく飛び出して、左肩に石槍を食らったのだ。
命中の瞬間に後ろに避けながら体を反らした。お陰で左肩は砕けていない。多分。だが動かない。ダルンと垂れ下がったまま少しも上がらない
「ぴえん越えてぱおん。脱臼なう」
ラクロスの試合で怪我には馴れていた。最初に左肩を外したのは小学生の頃だっただろうか。後虎は触る前から涙目で己の肩を掴んだ!
「ぎぇぇ!? 痛みが段違い!」
脱臼だけではない。激しい打撲。触らなくても痛いのに、触るともっと痛い。その上肩を入れるのも痛い。
後虎は深呼吸して、両目を瞑って歯を食いしばった。
「ぐっ」
激痛を噛み殺し、肩を入れる。そして涙目で全身をチェック、他に目立った外傷は無し。
ただし、泥水でびしょ濡れ。
「割とガチで萎える……カバンもクロスもないし」
川を流れるうちに、荷物を失った。後虎はがっかりしながら周囲を見回した。
森の中。川の流れは早く、川幅も『製鉄所』横より広い。あそこは3メートル位だった気がするが、ここは10メートル以上ある。
後虎は節々が痛む体に鞭を打ち、とりあえず立ち上がった。天気はいい。お日様は程々、生活防水の時計は生きていた。午前七時過ぎ、三時間ずれててもまだ午前中だ。
周囲に人の姿がないことを確認して、ブレザーとパーカー、ワイシャツまで脱いでキャミソール姿に。下もニーハイとスカートを脱いでスパッツだけ。
「髪も服も砂利っぽ。プリーズギミーシャワー」
しかし、ないものは仕方ない。全部絞って、不快感に顔をしかめながら着るしかない。
問題はモアたちとはぐれてしまった事と、何よりクロスを失ったこと。
何かあったら、【武器】を使うしかない。
「こういう状況なんてったっけ? ゴリ夢中? ウホ!」
ご存知の通りゴリラは近視眼的にすぐに回りが見えなくなるという諺だ。後虎のことを的確に表現した言葉であった。




