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武器を取れ、ドラゴンを殺す  作者: 運果 尽ク乃
二日目 虚無と残酷の声がする
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S0203 痛みの記憶

 『昨日』の夕方のことである。




 一旦帰路につくも、忘れ物を思い出して教室に戻った管金(すがね)は、女神に遭遇した。

 見事なまでに赤い教室。整然と並ぶ机椅子、踏まれ馴れた床材、無言の黒板。何もかもが赤一色で染め上げられて。


 そんな教室にただ一人。この世界の主人みたいに、光輝を負った影があった。

 窓側の席でつまらなさそうに頬杖をついて、それでもそんな憂鬱(ゆううつ)が、誰よりもしっくり来るほどお似合いの。



「結城さん」



 管金は思わず声をかけた。初めてだった。生まれて初めての感情だった。


 二ヶ月前、入学式で見たときからずっと膨らみ続けてきた。

 数ヶ月前、都会から引っ越して来た物憂(ものう)げな少女に、学校中の男子が恋をした。


 整った顔立ち。垢抜けた雰囲気。新入生なのに、ひとりだけ違う制服。

 スポーツも勉強もできて、気さくで、分け隔てない。

 すぐに彼女は生徒たちの中心になった。男女関係なく彼女に魅了された。そして時々見せる物憂げで、秘密を(はら)んだ表情が、彼女の魅力を倍増した。


「好きです」


 管金も、彼女を信奉するひとりだった。しかも同じクラスで、席も近い。

 彼女から溢れる不可思議な波を毎日見ていた。憧れていた。


 それ故に、最高に美しい夕暮れの教室で、結城という少女と運命的に遭遇してしまった管金は、想いを弾けさせた。

 口にするつもりのなかった感情が、吐き出されていた。




「えっ? ムリムリ、チビは嫌いなのよね」




 それが『昨日』の出来事で………………いや、一昨日だ。


 管金は目覚めてまずそう考えた。あれから一日ほど山をさまよい川を流された。時間感覚は無茶苦茶だが、あれは一昨日。

 それとも一万年後か?


 こうやってまどろんでいると何もかもが夢だったかのように思えて来る。

 泥だらけでバリバリの全身も、不自然な姿勢で痺れた半身も、腕の中で冷たい小野も全部……。



 腕の中で冷たい小野?



「う、うわあああ!?」


 管金はすべて思い出した。暗夜の戦い。【敵犬】。……そして濁流(だくりゅう)

 腕の中の小野は氷のように冷たく、体は硬直していた。


「お、小野さん!? 小野さんが死んでる!」

「……ぅるっせえ。騒ぐな、頭痛え」


 びっしょり濡れて冷たいから、てっきり死んでいると思ったが、想像よりもはるかにしぶとい。


「あたしら、生きてるな……絶対死んだと思ってたぞ」

「おれもです」


 お互いぎこちなく笑う。

 体は自分のものでは無いみたいに固く、上手く動かせない。


「なんで生きてんだ?」


 雨は止み、日が上っていた。午前中で、十時より前だなと管金は判断した。

 体をよじり、小野の頭に巻き付いた腕を引き剥がす。


「おれは二回目かも、」


 そう、アンネに刺されて川に落とされた時も、普通なら死んでいた。

 ふと気がついて犬に噛まれていた腕を見る。泥だらけでよく分からない。


「なんだお前、不死身か」

「お互い様です」


 苦労しながら体を離し、軽く動かすと驚くほどに問題なくなった。

 そう、問題なし。腕も足もわき腹も痛みはない。空腹と乾きが強かったが、それだけだ。


「ちょっとすいません」

「みゃっ!?」


 管金は小野の足に触れた。しなやかなふくらはぎは泥だらけだ。

 それを揉みながらさすると、反対の足がしなった。


「ぐえっ」

「言い残すことは?」


 光の粒子が小野の両手に収束する。管金を見下ろす目はひどく冷たい。


「か、噛まれた傷治ってないかな!?」


 旋風巻いてどたまをかち割……。


「なんだって?」

「おれもそうだけど、傷の治りが早すぎる」


 管金はどさくさにまぎれてしてしまった行為に赤面しながら後ずさる。

 だが、これは大事な話だ。ずっと気になっている。

 管金は誰だ? 本当に管金なのか?


「……対【ドラゴン】用【義体】だとよ」


 吐き捨てるように小野が言った。

 大きな胸を支えるように腕を組み、その目はざあざあと流れる川に向けられている。


石見(いわみ)が【聞いた】話だ。だから安心して戦って死ねっつう話さ」


 管金は立ち上がり、今の話をよく噛み砕いた。

 対【ドラゴン】用【義体】? ぎたいてなんだと考えて、すぐに義手や義足に思考が至る。


 【義体】。代替品ってことだ。つまり管金は、やはり管金じゃないってことだ。

 そう考えると、体の力ががっくり抜けるのを感じた。


「肉体の連続性はなくても、精神が連続性を保つ以上、【望み】を叶えるのは自分自身のためになるんだとよ」


 管金は小野の言葉の意味がよく分からなかったし、あまり聞いていなかった。

 ただ、自分が自分ではない事に、虚無的なやるせなさを抱いていた。


「……大丈夫か?」

「はい」


 生返事に、小野は大きく顔をしかめた。


「どうした、おっぱい触るか?」

「はい?」


 聞き流していた管金は、聞き捨てならぬ単語に顔を上げた。

 苛立ちを微塵(みじん)も隠さない小野。管金は男の子の本能に由来する罠にかかり、信用をガツンと失った現実を目の当たりにした。


「いいか良く聞けよ……精神的にはこの後も連続するかもしれないんだよ」


 管金は流れる川を見た。生い茂る山林を見た。

 連続性? 精神の?


「【ドラゴン】倒したら、こっちの記憶引き継ぎで戻るかもしんねーってこと」

「えっでも」


 だがそれは可能性に過ぎない。まあ分が悪くない可能性だ。

 小野はバカに説明するために、石見と出した結論は口にしなかった。


 【ドラゴン】を倒した後、この体はどうなる? 死ぬまで生きることになるのか、あるいは『生まれた』時同様に露と消えるのか。

 記憶はどうなる? 現代に引き継がれないならば、【望み】はどうなる? どの時点で叶う?


 現代に生きる自分が、願いが叶ったことを知らなければ、何も起きて居ないのと同じだ。

 小野の【望み】は家庭環境にあるが、それが解決された事実を知らなければ幸福はない。別の不満と額をつつき合わせる事になるだろう。


 そんな事にはならないと願いたいが、小野は【ラストイル】を少しも信用していない。悪意すら感じる説明不足のせいだ。

 小野はこれまで遭遇した三人の男に、小野が【聞いた】話を伝えた。

 しかし、誰も信じなかった。とても信じられる内容ではないのだ。だからこの場でも口にはしない。


「やる気出そうか?」

「……」


 管金はゆっくりと頭を振った。彼の単純さが、面倒は忘れていこうと言っていた。

 しかしそれでも、自己に対する認識の喪失は大きい。

 座り込んで川を見ていたい気分だった。


「面倒くせーなあ」

「うぎぎ」


 小野の率直さは、彼女の手斧のように速やかく深く破壊的に突き刺さる。


「よし、決めた!」


 手を叩き、小野は学ランのボタンを外した。何を突然と見守る管金の前で袖を抜く。

 日の光の下での、小野のバストは圧巻であった。頭が痺れるほどに豊かに震え、管金はとりあえず背中を向ける。


「パンツの中までドロドロだな」


 もちろん泥の話である。


「今度こそ上着返すわ」

「えっ」


 振り返ると、優しい微笑みがそこにあった。やめてくれ。

 管金は泣きそうになった。昨晩もそうだったが、そういう笑みに弱いんだよ。


「昨晩は守ってくれてありがとう。おかげさまで生きてる」


 お別れだ。小野の表情が物語る。


「でも」

「助けて、助けられた。もう十分、貸し借りは無し……だろ?」


 管金は言葉なく、差し出された上着を受け取った。泥まみれで重く、腕は穴だらけだ。


「あ……」


 あっさりと管金に背を向けて、上流を目指す小野の背中に、かけるべき言葉がない。

 せめて、振り返ってくれたら。ついて来いと言ってくれたら……。


「『連れて行ってください』だろ?」


 背を向けたままの小野が、前を向いたままで大きく独り言。


「つ、連れてってください!」

「『お願いします』は?」


 間髪入れぬ返し。

 小野が振り返り、いたずらっぽく笑う。小動物系の童顔だから、怒りよりこっちが似合うと管金は感じた。


「よろしくお願いしますっ!」

「よし、こちらこそ頼むぜ!」


 満面の笑みで戻ると、小野は管金の手から上着を奪い取った。

 慣れた様子で袖を通すと、右手を差し出す。


「上着借りるぞ、同行の条件だ」

「それで貸し借り無しってことですか」

「そうなるな」


 願ってもない。管金は小野の右手を握り返す。

 一人残される惨めは避けたい。


「だがな」


 不意に、小野が恐ろしい握力で管金の右手を圧迫した。

 その眼孔が火を噴く。


「次面倒になったら捨ててくぜ」

「き、肝に銘じます……」


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