A0109 キャンプ
「あれはもうダメですね。諦めましょう」
鬱蒼とした森の中を、三人の男女が歩く。彼らの視線の先には肉食中に食い荒らされた熊の死体。
元より無残な死体であったが、複数の獣に荒らされてひどい有り様だ。
「くまさん食べれんの?」
「食べれるんじゃなァ〜い? 北海道土産に熊の手とかあるしィ〜」
先端ピンクのゆるい巻き毛に、着崩したた制服。ラクロスのクロスを担いだ後虎の問い。
真紅のバニースーツに特攻服のモアが、ウサ耳を揺らしつつ答える。
「肉食獣ですが、熊は木の実や植物も食べる雑食性で、肉は案外旨いと聞きますよ。
しかしあそこまで食い荒らされていると過食部分を探す気にもなれませんが。
まあ、食べれなくともこの場で大事なのはここが熊の縄張りということです」
ドブネズミ色のスーツの男、堀はメガネを上げ、木製の簡易杖で地上4メートル近い位置の爪痕を指した。
熊によるマーキング。ここがあの巨獣の縄張りだという証。
「少なくとも今晩は、この近くは安全です。競争相手に彼の死が知られていないなら。
こちらの木、同様のマーキングが二つ並んでいるのが分かりますか?」
「ウッザァ〜い、知識ひらけさせて調子乗りすぎィ〜」
「並んでんね、背比べしたん?」
全く興味のないモアの文句は完全にスルー。
「これは、一回り小さい熊から別の熊が縄張りを奪った証です。
俺のほうがデカくて強いと爪痕で証明し、相手を平和的に追い出したんです」
「嘘でしょ? むっちゃ脅してんじゃん」
しかし、血を見ないで済む。そういう意味では極めて平和的と言えた。
「脅しているんですよ。俺の縄張りだと。だから他の熊は近くにいません。そして、探せばあの熊の巣穴がある。
見つかれば安心して夜を過ごせます」
「見つからなかったらァ〜?」
「雨と獣に怯えながら眠ることになりますね」
「やるしかなくね!?」
巣穴は、日が暮れる前に見つかった。
穴の中は獣臭くカビっぽかったが、外よりかはマシであった。
穴は浅く、土はふかふかしていた。三人は入れなさそう。二人がうずくまるのが精一杯か。
新しい穴なのか、あるいは途中で掘るのをやめたのか。
何にしても、天井と壁があるのは休息に最適だった。警戒するべき方向が入口だけなのも助かった。
「日が暮れる前に簡単なバリケードを作りましょう」
「警戒し過ぎじゃなァ〜い?」
「小型の肉食獣や、人間避けです。どれほど隠密行動に優れた奴でも、どかして入ろうとすれば目が覚めるように」
「順番に見張りとかしよーぜ」
「その見張りが音もなく暗殺されても、休んでる二人が助かりますよ」
肉は手に入らなかったが、道すがらもいできた木の実があった。うまいまずいはともかく、口には入る。
「今の俺たちは多分抵抗力とかが高まっています」
「何調子乗っちゃってんのォ〜?」
「泥水や生食可能か分からない果実で腹を下さない、虫に食われたり、何らかの植物でかぶれたりしない」
後虎とモアは顔を見合わせた。
言われてみれば心当たりがある。半日以上森の中を歩き続けて、虫刺されもかぶれもない。二人とも露出した肌部分を確認する、モアは履きなれない手製のサンダルによる靴擦れも。
ない。
「俺は最初に藪を抜けたので、それでも虫に食われなかったし、何を食べても平気でしたから。
ただ、過信はできませんね。猛毒の蜘蛛や蛇、あるいは毒のある【武器】もあり得ます。
火を通さなくても一通り食べれると考えて下さい」
「ほりっちが焼いてくれればいいじゃん」
「俺が死んだら困るでしょう?」
なるほどと頷く後虎、モアは堀の生死に興味なし。しかし、三人が思う以上に彼らは死に近い。
「洞窟がなければ、樹上が寝床としてはいいかもしれません。野犬や大型の熊は木登りできません」
「木登りする肉食獣が出たらァ〜?」
「木の上で寝ている時に遭遇しないことを祈りましょう」
三人は堀が付けた焚き火を囲い、簡素な夕食を取った。後虎の腕時計は午後三時、しかし空は茜色から紫に変わりつつあった。
「割とリアルに凹む、時計壊れてぴえん」
「俺のスマホも午後三時です」
「ホント?」
スマホを持っていないモアは無関係たまが、堀のスマホと後虎のスマホも同じ時間を示していた。
「時差なう」
「多分、三時間くらいでしょう。所で、さっき言ってた連絡先の交換いいですか?」
「必死すぎィ〜、キッモォ〜」
二人が連絡先を交換している間に、モアは少し離れた樹上を睨んでいた。
風が吹き、木の葉がザワザワと音を立てる。それだけだ。モアは視線を外した。
「んじゃ、モアはお客さんだしィ〜、見張りは二人でやってねェ〜」
「夜明けが早ければ四時、つまりその時計なら一時頃です。見張りの時間は二交替なら五時間。後虎さんはすぐに寝れそうですか?」
「ムリポ、今すぐ寝るとかのび太くんしかできなくね?」
堀は頷き、自分のスマホのアラームをセットした。
「安心して下さい呉井さん。こんな状況で変な気は起こしません。俺の隣は空いてますよ」
「ウッザァ〜。モア、やっぱ見張りするゥ〜」
こうして、後虎たちの夜は何事もなく平和に過ぎていった。夜の雨も、三人で体を寄せ合えばしのぎ切れた。
後虎たちはまだ知らない。この戦いがどれほど過酷で残酷なのか。どれほど自分たちが幸運なのか。
未だ一度として【敵】と交戦していないのだから分かりようがない。
【敵犬】をはじめとした強敵たち。同士討ち。事故死。すでに【狩人】はその四割を失っていた。
本日で一日目が終了になります。
明日は登場人物紹介です。




