S0112 雨
管金が頬に触れた冷たい雨に気付いたのは、二時間ほど経過してからだった。
その間に彼は、答えのない問いを早々に諦めて、ひたすらに河原歩きに没頭していた。無理にでも笑って動けば悩みは立ち消える。管金らしい単純な論理。
管金の超人化はその脳にまで達していた。注意して歩いた場所は、暗闇も無関係に石の並びからぐらつき具合まで把握できた。
周辺の河原を散策し尽くした頃に、頬に落ちる水滴に気付く。
目を閉じ足に集中していたので、いつから月が隠れていたのやら。
管金は一瞬悩んだが、すぐに石見たちに声をかけた。
「雨が降って来た!」
「……マジかよ」
すぐに頭を振って起き上がる小野、石見はまだ夢の中だ。
勘違いではない。次の水滴がむき出しの足を濡らす。
「ぎゃんっ!?」
大粒の雨が敏感な部位に当たったか、大きな悲鳴を上げて石見が飛び起きた。
「み、みみみ、みみ……」
「ミミズか?」
首を外れそうなほどに振り、石見はガクガク震えながら頭に触れている。
こんなに大きな声も出せたのかと、管金は変な感心をした。
「ね……ねみみみ……みず」
「あー寝耳に水か!」
呵々大笑する小野。しかし国語力のない管金は意味も分からず頷くばかりだ。
「それはともかく大急ぎで撤収すっぞ」
「そうなの?」
小野の口調には明らかな焦りがあった。首を傾げる管金。
「……雨の量にも寄るが、水かさが増える。河原に土が無いのは、全部流れちまうからだ」
管金は一瞬意味が分からず、しかしすぐに飲み込んだ。石だらけの河原はここから10メートル以上ある。
これから大雨が降ってでもしまったらうねる濁流は周辺一帯を根こそぎにするだろう。
「木のほうまで急ごう」
「……っ」
まだ靴を履いていない管金は、僥倖とばかりに河原を歩く。しかし女達は二の足を踏んでいた。
空は雲で完全に覆われ、地上には一切の光もなし。
管金が足以外の感覚に頼っていたら、しばらく前に月は隠れ、生ぬるく湿った風が強く吹き始めていたことに気づいていただろう。
「完全に見えないんだが」
「あ」
足で地面状態が分かる管金がおかしい。そして残念ながら広い空間情報を口にして説明できるほど、管金の語彙力は高くない。というか、【ラストイル】でもなければ不可能か。
「石見さんのケータイは?」
「う……ない」
液晶画面のか細い光では、足元など照らし切れない。
そうこう言っているうちに、雨は散発的から小降りに変わった。粒は大きく、一滴で服の内部まで染み込んでくる。
まごついている暇は無さそうだった。
「なんで河原で寝ちゃったのさ!」
「い、石を踏む音で接近が分かるからだよコンチキショウ!」
石見も小野もサバイバルの素人で、管金も山には馴れているが野宿は未経験なのだ。
不足の事態に対処できていない。
いますぐ、這いつくばってでも移動するべきだった。しかし三人は軽いパニックに陥り、正常な判断ができずにいた。
「……あ、あの。その……」
「そうだ、【武器】だ【武器】! 冴えてんな石見! おい管金、てめえの武器はなんだ?」
武器? 管金は大鎌をイメージした。意に即して一瞬の明滅。ホタルよりもか細く、稲妻の速度で召喚が終わる。
「勢いも弱いし何より早えよ! 短すぎる! 秒も保たねえのかよこの根性なし! 我慢しろ! そんなんじゃあ女は満足できねーぞ!」
「……わ……えと」
猛烈なセクハラに、石見が震える声で抗議する。しかしナニを言われても管金の男のプライドが傷つく以上の効果はない。
管金だって好きで早い訳ではない。
いやそもそも早いのか? 比較対象は朱里しかなく、しかも彼女は召還に光すらなかったではないか。
しょんぼり悄然うなだれる管金に、小野が音高く舌打ち。
その突き出した手が、光の球を生んだ。
光球を握る逞しい腕。光に照らされて、管金はようやく石見と小野の姿を垣間見た。
光が30センチ程度の柄に、肉厚ながら小振りの刃持つ手斧を形作るまで三秒弱。
小野はセミロングの髪に丸顔で、目つきは想像の一万倍は良かった。化粧気は一切無い、失礼かもしれないが大変に地味な印象だ。
たれ目がちで、どこか小動物かタヌキのような愛嬌がある。
逆にこの顔であれだけ攻撃的なのかと、管金はギャップに苦しんだ。
対して石見は概して想像通りだった。
伸びるに任せたざんばらの前髪は目を覆って鼻までかかり、残りは後ろでまとめて三つ編みだ。目鼻を隠しているせいで顔立ちは不明瞭だが、シャープな顎をしている。
「小野さんのは小さい斧?」
「うるせぇ」
小野が足元に手斧を放る。
手斧はきらきらと光の粒子を零して、五秒以上かけて拡散した。
「何個?」
「……え?」
光が消えて、より一層闇を深く感じた。
小さく聞き返す石見に、管金は説明していない事を思い出す。
【武器】は複数作れたり貸与できる、他の使い方ができる者もいる。管金自身には無意味だったこのルールは、石見と小野も未知であったが、極めて重要な【情報】だった。
「……二本か」
小野は両手に手斧を構えた。二つ分の明かりは案外と大きく、足元を見るには十分だった。
そしてそれは、小野の白い素肌を闇に浮かび上がらせた。
「……見んな、投げるぞ」
そう言われても困る。いや、見ない方が紳士的には正しいのだが。
……小野は半裸だった。暗い色のタンクトップとショーツ。足にはぼろ布を巻いた靴代わりだけ。
身長は高い。160後半はあるだろう。肩幅は広く、腕も鍛え上げられている。下半身の肉付きも良く、闇に浮かぶ白いふとももとふくらはぎの盛り上がりは、アスリート的ですらあった。
だが何より、管金の目を釘付けにするのは、くびれた腰と浮き彫りの腹筋の上。張り出た乳房である。
管金は健全な男子高校生であり、ポルノもグラビアも人並みに見る。だが、小野は滅多にいない巨大な武器を有していた。当然管金も、存在は知識や動画で知ってはいた。
しかしその目に見るのは初めての、メートル級のバストである。
「寝てたんだよ、ノーブラだよ、文句あんのかオラぁッ!?」
「いや、納得しました」
出会った男どもに好色の目を向けられるどころか、理性のタガを外すには十分すぎる服装だ。
腕を動かすたびにたゆんたゆんと揺れ弾む双球から、管金は精一杯の努力で視線を逸らした。
しかし、おっぱいとはブラックホールの類なのだろうか? 光すら屈折させ吸い寄せるように、管金の視線は小野の胸部に食い付いて離れない。
ふと、暗闇の向こう。さらに前髪に隠れた石見の両目が、管金を凝視していることに気がついた。
管金は言い訳できない。なにしろ目を閉じても、瞼の裏には揺れるおっぱいが張り付いて離れないのだ。
「お、小野さん!」
「なんだ死ぬか?」
管金は勢いよく学ランを脱いだ。途中気付いて朱里の棒手裏剣を尻ポケットに移す。
そして威圧的に睨む小野に差し出した。見ていられない。目のやり場がない。
「……っ」
「む、案外紳士だな……サンキュ」
その間に、管金は石見に目を向けた。彼女の両手には薄い光を放つ手のひら大の物体が一つずつ乗っている。
それが光源となって、石見がセーラー服姿なのが見て取れた。
上下は暗い色で、襟には白のラインが二本走る。スカーフの色も暗い。シンプルかつスタンダードなデザインであり、悪く言えば野暮ったい。
スカートはひざ下丈、紺のハイソックスに学校指定だろうローファー。石見の真面目で、目立つのを嫌う性質がほとばしり、逆にきっちりし過ぎで目立ちそうな出で立ちであった。
その手の光は楕円形で、すべすべとしている。形もサイズもお手頃で、とても握りやすそうだ。
「……石?」
「……」
小さく頷く石見。その足元には同様の石が無造作に転がっている。
石。ただの石。極めつけに原始的で野蛮。【武器】と呼ぶにはあまりに頼りない。
「……」
管金の考えを読んだかのように、石見はうつむいた。管金はかける言葉を持たなかったし、石見も自分の【武器】が『外れ』であることを明らかに恥じていた。
「生乾きじゃねーか!」
だから、小野の怒声はありがたかった。
「ごめんなさい」
「しかも丈が足りねーぞ」
胸はぎちぎちに押し込まれていたし、腹はヘソが見え隠れしていた。その上袖は七分しかない。
今度は長く白い脚線美が強調されて、結局目のやり場は困りっぱなしだ。
着ていても着ていなくても居心地が悪い。
「だが半裸よりマシだな。石見、足元見えっか?」
左右の手斧を順繰りに出し入れすることで光を保つ小野。
石見は一瞬管金に目を向け、すぐに頷いた。いつの間にやら雨は本降りに変わっている。乾いてきたズボンがまた湿って重くなってきた。
「急ごう」
管金の言葉と同時に、石見が顔を上げた。遠くの音に耳を澄ますように、全身を強ばらせて立ち尽くす。
「石見さん……?」
声をかけた管金にも気付かず。石見は数秒の間唇をわななかせ、しかし覚悟を固めたかのようにぎゅっと口を結んだ。
「て……【敵】が……き、き、来ま……す!」




