S0602 戦術眼
『洞窟』の周辺は林に囲まれており、視界は悪い。原始の森林は獣道以外の足場はなく、草木は野放図に繁茂し、人類の踏破を拒む。
元より【敵】の拠点であった『洞窟』には、何本かの獣道が作られていた。
投石で撃退されて、怪我人を抱えて遁走する【敵】。追撃を恐れて振り返りながら逃げる三人、それを見下ろすのは樹上の人影。
黒ずくめのスポーツウェアに、可動式のサンバイザー、定規で線描したかのように直線的なボディバランス。
見坊朱里である。
【武器】は棒手裏剣、【防具】はさらに黒ずくめの忍者装束。本人冗談めかして忍者ではないと言ってきたが、ここに来て言い訳できない程に忍者度が増していた。
おっぱいに行くべき栄養の全てが脳に行く知性派。Theスレンダー。などと言われても、鍛え抜かれた肉体のラインは狡猾でしたたかなキツネのように美しい。
面長でキツネ目、中性的なその容姿。アルトボイスも彼女の性別を混乱させる原因である。
「敵情を視察してこいとは、言うは易し行うは難しだな」
「よく言う。その図体でなぜ気配も音もしないのか」
体重を一切感じさせないで、細い枝の上に立つ181センチの僧衣。タワシのような剛毛のヒゲと髪。未だ生々しく傷跡残る隻眼。
ナマグサ坊主の八角である。
「訓練の差であろ? 正直素人にこれだけの隠形をされると拙僧は形無しだぞ?」
自称、元殺し屋の天狗。軽口とは思えない身のこなし。現世利益を求めていたが、死んだはずの旧友にこの世界で再会し、彼女のために宗旨替えした。
【武器】は八角棒。【防具】は修験装束。こちらも冗談抜きで天狗の疑いがあった。
「彼らの行く先は予想がつく、先回りをするぞ」
「うむ。見坊殿は話が早くて助かる」
樹上を駆ける二人の移動速度は地上を駆けるように早く、そして驚くほどに静かだった。
朱里と八角は林が途切れる方向へと向かった。五分としない内に木々が減り、なだらかな坂の下に草原地帯が広がっていた。
「…………いるな」
そこにはむくつけき男どもが百人以上集まっていた。
先程の【敵】と同様の簡素な装備と石斧を配っている。
馬にまたがる騎兵の姿も散見され、彼らは小隊長のように歩兵たちを引き連れていた
中心にいるのは、ひときわ立派な馬にまたがった精悍な【敵】。肉食獣の頭蓋骨をかぶり、首回りにはライオンのたてがみと毛皮をケープのようにまとっていた。
馬上にあって他の誰よりも落ち着き払い、部下たちに指示を出している。
獣の骨には輝く石が嵌め込まれており、陽光を反射してキラキラと輝く。まるで身分の高さを証明するかのように。
「…………案外少ないな。騎兵も十人以下。そしてあれが【王】なのか?」
彼の武装は特異なものであった。
染料を塗った木製の防具と、2メートルもあるポールウェポン。あきらかに洗練されている。
長物先端には鋭い骨の穂先。片側には黒曜石のナイフが扇形に埋め込まれ、逆側には鋭く長い獣の牙。
言うなれば原始のハルバード。厄介な相手だと朱里は思った。
「…………拙僧はここまで【幹部級】と戦っていないが、『あの程度』なのかな?」
「なんだって?」
八角の言葉の意味が分からずに、朱里は聞き返した。
ナマグサ坊主はあごひげをさすりながら隻眼を細めた。
「『あれ』なら拙僧の方が強い。あれは【鳥獣調教役】の方で、【王】はここには居ないのではないか?」
「そんな事は……」
朱里は【敵】の軍勢を見た。驚異的な軍団に見えるし、あの馬上の【敵】も強そうに見える。
だが、戦士としての八角は【狩人】たちの中で最年長。少なくとも、長月のように幼少の頃から殺し屋を続け、さらに十五年闇の世界に身を浸しているのだ。
「戻ろう。私たちは思い違いをしていた」
「何をだ?」
朱里は自らの不足を恥じた。そして、この想像がもし事実なら致命的だと感じていた。
今すぐに戻らねばならない。まだ間に合うはずだ。そう思いたかった、
「【敵】の知能と戦術のレベルをだ。相手の出方を測っていたのは、我々だけではないようだぞ」
「……………………ここはどこ?」
「クリス、気が付きましたか」
土と黒カビ、獣臭と燃えがら。あまり好きにはなれない臭いの中で目を覚まし、その女は不機嫌そのものといった雰囲気であった。
通称『クリス』。
アンネに囮にされて【敵】に捕まり、再度遭遇したアンネに襲いかかるも、返り討ちにあった女。
うねる黒髪は雑に剃られ、輝く小麦色の肌を汚した無数の傷は、あざを残して治りつつあった。
起き上がろうとして、クリスは苦痛にうめいた。両手にはめられた添え木。両手の指が全て折られていたし、爪は剥がれていた。今は、痛みはあるものの動かせる。
「痛……ッ」
「気分はどうです? 水は飲めますか?」
【武器】はクリスナイフ。【防具】は不明。アンネと倉木の暗い欲望のはけ口にされてきた肉体は、ひどく痛めつけられていた。
ちなみに鶴来はクリスに興味がなく、こんなことになっているとは知らなかった。人前では余裕ぶっていたが、遊ぶ暇があれば剣を振るって居たのだ。構う余裕などなかったのである。
「…………吐きそ」
「一度吐いてもいいかもしれませんね」
献身的に介護をするのはテッサ。本名は小貝哲子。【武器】は鉄鎖。【防具】は黒革と鎖で装飾された、ロックでボンテージな和装。
白髪交じりの三つ編みと、困ったような八の字眉、泣きぼくろが印象的な薄幸系人妻だ。
「…………状況は? アイツはどうなった?」
「アンネという女は取り逃がしました。現在は【ドラゴン】との決戦間近です」
クリスは太い眉を器用に片方だけ上げた。アンネについては、クリス自身の問題だ。文句を言っても仕方がない。
だが、決戦? 捕まって、眠らされて、その間に何もかもが進んでしまって……クリスは自嘲した。自分の境遇がひどく惨めに感じた。
「お前以外は信用ならない。アタシは手伝わないからな」




