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武器を取れ、ドラゴンを殺す  作者: 運果 尽ク乃
五日目 嵐前

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S0511 テッサ

「三千万ある。これで息子のことは忘れてくれんか?」


 管金(すがね)兼万(げんば)と初めて……物心ついてから初めて会った時の事は今でもよく覚えている。

 幼い頃から住んでいたボロアパートにとつぜん押しかけてきた彼が、アタッシュケースに詰め込まれた見たこともない量の札束を押し付けてきたのだ。


 テッサこと、小貝哲子……いや、それすらも偽名である。彼女には父親がいなかった。

 母親はテッサが産まれた際に水商売から足を洗い、スーパーマーケットのパートとして働き糊口をしのいでいた。


 県内の、比較的大きな街の場末のアパート。壁は薄く、夏場は暑く冬場は冷え込み、上階に住む住人の足音は常にうるさく、隣室の夫婦は毎晩喧嘩をしている。


 母親はテッサに苦労をかけなかった。一般的な家庭よりも収入は少ないし、旅行も遊園地も行ったことがなかった。

 服も必要以上はなく、ほとんどかお下がりであったものの、テッサはことさらに貧乏だった記憶がない。


 それは、母親が質素倹約のためにお金を切り詰めていたものの、お金がまるでなかった訳では無いからであろう。

 テッサは毎月どこからかお金が振り込まれている事を知っていた。そして、母親に確認はしていなかったものの、それはつまり父親は離婚済みか、養育費だけを送ってくる関係であることも理解していた。


 高校二年の夏に、母親が脳梗塞で急逝した折に、テッサは自分名義の一千万円以上の貯金を発見した。

 それの出所が『養育費』であり、未だに毎月その講座に振り込まれているのを、テッサは無感動に見つめて、ありがたく利用させてもらうことにした。


 結婚どころか恋を知らなかったテッサは、自分がこのまま母親のように一人で生きていくと思っていた。

 それには知識と学歴が必要であり、テッサは適当な地元の大学へ進学して、数字を扱うのが得意だから簿記や会計の資格でも取って、適当な会社で食っていこうと、そんな風に思っていた。


 大学に入ったテッサを待っていたのは衝撃だった。

 一つ年上の、ゼミの先輩。人懐っこい笑顔で、お人好しで、のんびり屋の背の低い男に、テッサは一目惚れしてしまった。


 彼も彼でテッサから目が離せないらしく、うるさくくっついて来た幼なじみで従姉妹だという女の子を振り切って、あっという間に男女の仲に発展した。


 彼は頭の天辺から変なフェロモンでも出ているのか、変にモテた。テッサは彼が卒業するまで間、女の子たちから彼を守るために戦った。今思えば、アレが青春てやつだったのかもしれない。


 彼の卒業後も交際は続いた。

 テッサが卒業したら結婚をしよう。彼はそう言った。


 例の幼なじみは許嫁でもあって、親が反対するかもしれないけれど、そしたら駆け落ちでも何でもしようと二人で笑い合った。

 その翌日に、まさか父親が押しかけてくるとは想定の外であったが。


 そして冒頭。管金兼万は息子とよく似ていた。生気に満ちた五十代。禿げ上がった頭、テッサと同じ程度しかない身長。

 彼は単身でテッサを訪ねてきた。そしてまず土下座した。当然テッサは慌てた。怒鳴り散らされる覚悟はあっても、謝罪される覚悟はなかったのだ。


「放置してすまん。あいつが死んでいるとは知らなんだ」

「え? 何? なんですって??」

「おれは管金兼万。お前さんの母親と、二十年と少し前に付き合っていた男であり、養育費の送り主だ!」


 テッサは頭が真っ白になった。何を言われたのかちょっと分からなかった。


「え? つまりあなたは私のおとうさ……」

「それ以上言うと、兼千(けんじ)との仲は絶対認められなくなるぞ」


 テッサはさらに混乱した。この人はどういう立場なの?


「ええと? 私と兼千さんの仲を引き裂きに来たのでは……?」

「嫁と姉にはそう言われてるけど、好きあっている二人を引き裂くのって良くないだろ?」


「え? え?」

「だから、覚悟があるかを聞きに来た。手切れ金を持って消えるか、聞かなかったことにして兼千の嫁になるか…………ただし」


 兼万は、眉間に眉を寄せると鬼瓦のように恐ろしかった。それでもテッサは怯まずその視線を受け止めた。


「遺伝的リスクだけは覚悟してくれよ」

「それは……」


 この人は、近親婚における倫理的社会的問題を無視している。テッサは戦慄した。

 ただ、生物学的な問題だけを覚悟しろと。それでも貫く意志があるのならばと。


「当時、私の母は水商売をしていましたし、あなた以外の男性もいたのかもしれませんし」

「あいつはそんな女じゃない」


 ここはそうかもねと言っておくべきタイミングだが、それでもこの人は……。


「道徳観念とかお持ちでないんですか? 不倫相手でしょう? 相手の貞操は大事なんですか?」

「親への愛と恋人への愛が同居するように、妻への愛と恋人への愛も同居できて当たり前だろう? だが、あいつは違った。愛の総量がおれと違うというだけの話さ」


 テッサは声を出して笑った。面白い人だと思った。自分はどうだろう? 当時は愛をいまいち理解できなかった。

 でも、と何万年も過去でテッサは思う。私の愛も増えたし、愛する人がたくさんの人を愛せるならば、それを喜ばしいと思う。


 テッサは兼万という味方を得て、管金の家に乗り込んでいくことになる。『小貝』姓はその時に戸籍をいじった。『どこの馬の骨』と言われないために、管金の親戚筋だということにしたのだ。

 それでも、義理の母、義理の叔母とその娘、義理の妹と四人がかりでいびられることになるのだが……また別の話。


 そして、約一年の生活の中でテッサは確信している。何がどう転んでも、テッサが我が子に名前をつけることはあり得ない。

 余程の事でもなければ……夫と義父が許しても、女たちが許してくれない。


 その余程の事とは?

 例えば…………遺言。



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