S0108 救いの手
「あのなぁ」
緞帳のごとく闇が落ちた山中は、頼りない星明かりしかなく、恐ろしいほどに暗かった。
現代人が知る闇は、闇のまがい物だったと思えるほどで、流れる川の音はすれどその姿が見えぬほど、闇は強く濃密だ。
「見殺しにしちまおうぜ」
「……あっ」
囁き声の押し問答。管金の意識は途切れ途切れであった。
囁きは耳に届いたが、その意味までは理解出来ない。
「人助けなんてやめとけよ」
「……ぅぅ」
二つの声は、管金の事で言い争っているようだ。
管金は何か言おうとして、口が開かずに断念した。
「え、えと……」
「犬猫じゃねーんだぞ」
呆れたような声を聞きながら、管金は重いまぶたを開けられなかった。
そして猛烈な眠気の波に押し流されて、再び意識を失った。
管金が意識を取り戻した時、薄曇りの空には大きな半月が輝いていた。
現代にいた頃はそんなに明るいとは思っていなかった。
なのに、薄曇りで半月にも関わらず、ハイビームのように目を焼く輝きがそこにはあった。
「さむーいッ!?」
「ひ……っ」
月に見とれたのもつかの間。管金はあまりの寒さに飛び上がった。
管金が寝ていたのは大きな乾いた石の上だったが、それでも靴下からパンツの中までぐしゃぐしゃだ。
「あっあっ……えと……………」
蚊の鳴くような声が、離れた所から聞こえた気がした。
川の流れにかき消されるような小声。管金はきょろきょろと周りを見て、脇腹の引きつる痛みに眉をしかめた。
「痛てて」
「あ、わ……けが……」
身をよじって確認したくても、暗い上そもそも見える場所ではない。
指で探ると、触れた場所は乾いていた。破れてささくれた皮膚が硬質化し、傷跡はかさぶたみたいになっている。
思ってたよりひどい傷ではなかったのかと管金はホッとした。
「あれ、服は?」
「うぅ……」
小声の人物がなにか言おうとしている。管金は上半身裸だった。
管金はようやく、その影を見つけた。
同じ石の端っこにへばりつき、頭だけ見えている。
いや、月明かりしかないため、その顔も曖昧だ。風船や枕だとしても見分けがつかない暗さなのだ。
管金生来の臆病さが顔を出した。得体の知れない、顔も見えない相手への激しい怯え。
「うう……え、ええと……」
「ぴゃッ」
か細い悲鳴をあげ、頭が素早く岩陰に隠れた。声からして女の子なのだろう。 恐れるのも無理はない。
でも、管金は恐れる振りをして巧みに近づいて、情報と荷物をかすめ取ったアンネを思い出した。
「ああっ!!」
「ひぃん!?」
悲鳴と、石が転がる音。そしてドスンバタンと。
「ご、ごめんなさい。おれの荷物……盗られちゃったの思い出して」
「きゅう……」
恐る恐る石の端へ行き見下ろす。その下は、暗がりで何も見えなかった。女性の姿は愚か、何もかも暗闇に隠されていた。
管金はポケットからスマートフォンを取り出し、ライトを着けようとして呻いた。
入学祝いに買ってもらったスマホは、水没故障していた。
「おどかして、ごめんなさい……」
「あ……あ」
メソリと折れる心はいったん置いておいて、まずはお詫びとお礼だ。
闇に手を差し伸べる。恐る恐ると掴まれた手は暖かく、案外固かった。
「おれは管金って言います」
「あっ……えと」
「助けてくれてありがとう」
闇の中に危なっかしく立つ影に、管金は頭を下げた。
狼狽するシルエットは、返事ができずにただ手を振るばかり。
「荷物はないから、お礼に渡せるものはないなあ」
「あ、その……えと」
管金は頭を振った。彼女は命の恩人だ。再びアンネを思い出して、管金はうなだれた。
なんでアンネにはあんなに色々教えてしまったのか。
思い出すと腹立たしくさえある。
「あ、たべもの……い、いる?」
「え?」
対してこの人物の目も眩むほどの優しさは何だろう。
単純な管金と言えど、手ひどい裏切りの直後は人を疑うことくらいおぼえる。
だが、それと同時に思う。
「ありがとう。おれ、ありがたくて涙出そう」
管金が寂しくて不安だったみたいに、この人も寂しくて不安だったのだろう。
誰かと喋って、恐怖を追い払いたいのだ。
管金が笛吹にすがり、朱里にすがったように。
「えと、えと……」
差し出されたのは、南天のような赤い実だった。管金はそれを受け取ると、無造作に口に入れた。
「あっ」
「ありがとう」
表面の皮は固く、中の実は酸っぱい。種は渋く、なにより実そのものが大きくないので腹の足しにはならなそうだ。
管金は顔をしかめながら、受け取った数十粒を次々に食べた。
「あ、あの!」
淀みなく食べる管金に、女が慌て気味に声をかける。
「おなか……」
「え? 毒味でしょ?」
大変おいしくないが、何もないよりマシ。
すべてよく噛んで飲み込んだ。
「あんまおいしくはないね」
「あ……お、お水……」
差し出されたペットボトルの水をごくごく飲む。口に残った木の実の皮を、余さず飲み下した。
「ご、ごめ……」
「全部食べない方が良かった?」
影が激しく首を振る。管金は小さく安堵した。
「おれも山の中で木の実を取ってたんだけどさ、全部なくしちゃって。
食べ物なかったらあれ食べるつもりだったし、一緒一緒」
笑いながらも、管金の胸の奥からはムクムクと臆病の気が膨らんできた。
腹を壊すかも。食中毒で上も下も垂れ流しになったり、高熱が出て動けなくなるかも。
全身にジンマシンが出たり、麻痺や幻覚の恐れもある。
考えるだに恐ろしく、身震いする管金を見て、女が白と黒の塊を差し出した。
「あ、うう……えと……」
管金のワイシャツと学ランだ。
ワイシャツは湿気ているが、裸よりよかろう。ただし学ランはしっかり水を吸ってひどく重い。管金は着るのを断念した。
だが……ポケットを探った管金は、棒手裏剣が残っているのを確認できて小さく安堵。何にも使わないうちに無くしては朱里に申し訳がない。
「そういえば、ええと……」
「あ、い、石見……で、す……」
石見さんか。菅金は彼女の顔が見たいと思った。
アンネみたいな絵から出てきた美少女や、朱里の様に都会的なお姉さんとも違う。管金が慣れ親しんだ純朴さが想像できた。
「よろしく、石見さん」
言って、右手を差し出してからちょっと後悔した。助けてくれたからってよろしくとは限らない。
「う……」
石見から伝わるのは困惑。
だが、石見は管金が下げようとした手をぎゅっと握った。
「よろ……し、く……!」
案外強い握力に管金は目を白黒させ、しかし石見が微笑む気配にいい気分になった。
しかしその気分は、背後からかけられた殺気と声によりどん底に落とされる。
「よろしくの前に、だ」




