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第89話 歴史資料:ガレオン船上総丸 船長 舟浦シモンの日記・前編(閑話)

※経度についての記述を削除しました。御指摘ありがとうございました。



 これは、天正~慶長期に里見家で水軍や開拓団を率いた舟浦シモン(スペイン名:シモン=オリード ?~1622年)の航海日記である。舟浦家に家伝として伝わったが、原文はスペイン語で書かれており、読める者が絶えてしまったことから、早くに散逸したとされる。当初から文献としての存在は知られており、いくつか引用なされているのだが、現在は写本、和訳本を含め全文を網羅した文書は存在が確認されていない。当該部分は、現代になってから、とある旧家のふすまを修復中、偶然発見された物で、まとめて裏紙として使われていたため、散逸を免れたものである。


 ただし、前・後半で文体が違うことから、『どちらかが偽作である』という説や、『別の2つの航海記録が合体している』という説、『原文からの写本で、筆写した人物が言葉遣いを改めた』といった様々な説が出されている。


 筆者は、『本文書は2次写本であり、前半は正確に写されているが、後半は文体を丁寧に書き改めるとともに、願望や脚色が追記されている』という立場をとっている。


 これは、文体こそ違えど筆跡は同一人物の物であること。後半になると急に里見梅王丸(※当時)の神がかり的な行為を礼賛する記述が散見されるようになることが主な理由である。


 このように、全てを信頼できるわけではないが、緯度の記録などは正確であり、信憑性に欠ける部分を除外してやれば、かなり詳しく当時の小笠原諸島近辺の様子がを知ることができる。


 本書では、そこを読み解くために、独自に注釈を加えている。ただし、これについては、今後、当該航海記の原文を始めとする新しい資料が発見された場合は、変更される可能性があることを事前にお断りしておく。

 注釈を加えた点は『※』をつけた。







1578年 8月11日


 快晴だが、うねりは強め。早朝、八重根港(※八丈島西部の港湾)を出港する。3時間ほどで青ヶ島の脇を通過。海からそそり立つような島だが、こんな島にも人が住んでいるみてぇだ。こちらを見つけたようで、波打ち際まで下りて、手を振る様子が見える(※青ヶ島の住人は過酷な環境に困窮しており、八丈島からの援助に頼る心情が強かった)。坊ちゃん(※里見梅王丸)は寄りたがったけど、あの島に波を避けられるような港なんざねぇ。近寄りすぎちゃあ座礁の危険もある。遭難者ならともかく、あいつらは普通の島民だからって、なだめて諦めてもらった。坊ちゃんが何にでも興味をもたれることは今に始まったことじゃねぇが、今回の目的地はここじゃねぇ。流石にちょっとは考えてほしいもんだ。




 青ヶ島を過ぎると、しばらくは人跡未踏の大海原だ。ただ、このあたりは岩礁もあるから気をつけろって坊ちゃんは話してた。なんで知ってるのかはよくわからねぇが、坊ちゃんの言うこった。きっとそうなんだろう。


 すると、昼過ぎになって、白波を上げる岩礁が見えてきた。流石は坊ちゃんだぜ!


 北緯31度53分。コイツは今までの海図にはねぇ島だ。なんともありがてぇことに、坊ちゃんが『シモン島』(※現在の志門島)って命名してくだすった。 これで俺も歴史に名を刻んだぜ!



 坊ちゃんは揺れる船の上から島をスケッチしていなすったが、これが上手うめぇんだ! この絵があれば、間違いなく『俺の島』だって証拠になるぜ。あとで、絶対に写しをいただかねぇとな!




 15時ごろになって、また鳥の姿が増えてきた。近くに陸があるに違いねぇ。注意深く探してっと、南東の方向に島影が見えてきた。あの水平線から飛び出した感じだと、結構でけぇ島かもしれねぇな。


 北緯31度26分。喜んで近寄って損したぜ。なんのことはねぇ、背ばっかり高くて、陸なんざほとんどねぇ、塀みてぇな島だった。そんな形だったもんで、屏風島って名前がついた。


 こんな島で座礁でもしたら大変だ。さっさと離れるに限るって思ったら、坊ちゃんが「調査をしたい」なんて言い出すんだ。「上陸なんかできませんぜ」って言ったら海の調査だって言うから、それならってことで認めてさしあげた。


 で、何をするのかと思ったら、坊ちゃんは長い綱の先端に網と重りをくくりつけたヤツを、その辺の奴を捕まえて、3つばかし海に放り込ませたんだ。それで、船の進むに任せて綱を引きずって島の脇を通り過ぎた頃に引き上げた。するとどうだ! 網には赤やピンクの木みてぇなヤツがいっぱい付いてるじゃねぇか!


 俺も初めて見たが、こりゃあサンゴだ! 間違いねぇ!!(※当時、太平洋で宝石サンゴが獲れることは知られていなかった)


 俺たちは見つけただけで大興奮だったんだけど、なんと坊ちゃん、売り飛ばしたら、その売上げの半分を、おいらたち乗組員に分けるって約束してくださった。流石は坊ちゃん、気前が良い! 俺たち一生付いて行きやすぜ!






1578年 8月12日


 快晴、うねりも和らぐ。深夜西方に島影のような見えたとの報告もあった(※鳥島と考えられる)が、報告にあった場所は北緯30度30分付近。目的地である小笠原島の北緯27度41分とは、かけ離れてる。船速を考えれば寄り道をするわけには行かねぇ。海図に記録だけ付けて先を急いだ。


 それにしても何度渡っても太平洋は退屈だ。右を見ても左を見ても海ばかり。島影一つ見えやしねぇ。ま、今回に限って言えば、あるのが分かってるところに行くんだから気が楽だ。ただ、海は何が起こるか分からねぇ。見張りはしっかりさせねぇとな。


 小笠原島に着くのは夕方ごろかな?


 17時過ぎ。島が見えた。もう夕方だ。夜の上陸はできねぇから、取りあえずは島の西側の湾に回り込み投錨する。明日はお待ちかねの上陸だぜ。











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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
― 新着の感想 ―
[一言] >東経139度55分  グリニッジ天文台ができる100年くらい前にグリニッジ天文台基準っぽい表記があると偽書あつかいされそうだなあ  わりと見逃されがちだけど暦とか地図を創るのは権威を示…
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