第77話 義弘と信康(閑話)
天正3年(1575年)5月 三河国宝飯郡 蒲郡湊
沖に停泊する大船から、艀を使って軽武装の将兵が次々と上陸してくる。そして、一際華やかな一団が港の土を踏んだ時、居並ぶ群衆の中から、1人の立派な若武者が進み出た。
「里見義弘殿とお見受けいたす」
「いかにも」
「申し遅れました。徳川信康と申す。よろしくお見知りおきくだされ」
「なんと! 徳川殿でござったか! これは大変な不調法をいたした。里見義弘にござる。こちらこそ、よしなにお願い申す。
それにしても御当主自らの出迎えとは……。誠に痛み入り申す」
「当たり前のことをしたまでにござる。なにしろ、先だって里見義頼殿に武田の謀略を御教授いただかなければ、私はここに立ってはいなかったかもしれぬのですからな。我ら里見殿に足を向けては寝られませぬ」
「義頼が役に立ったようで何よりでござる。して、始末は付きましたかな?」
「おかげをもちまして、謀反人どもは一掃できましてござる」
「それは何よりじゃ! これで後顧の憂い無く戦に臨めますな」
「誠に有り難きことにござる。これで仇敵撃滅に全力を挙げられまする。それに加えて、此度は、遠路わざわざ駆けつけてくださり、この信康、感謝の申しようもござらん」
「なんのなんの。同盟を組んでおるだけでなく、我らは互いに新田の一族ではござらぬか。親類を助けるのを優先するのは当たり前でござろう」
「里見殿、この恩は必ずや!」
「同盟を組んだのですから、持ちつ持たれつでござろう。あまりお気に召さるるな。いつか我らの大事には、徳川殿にお力添えを頂ければそれで大丈夫でござる。さあ、話はこの辺で。我らはこの後どこに向かえばよろしいかな?」
「おっと、これはいけない! 何より先の御礼を言上したく焦ってしまいました。ささやかながら宴を設けました。今日はあそこに見える上之郷城でおくつろぎくだされ。そして、明日、岡崎に移動していただき、そこで織田殿と合流いたしましょう」
「いかん! 大切なお願いを忘れておった。徳川殿には早速助太刀いただかなければならぬ!」
「何でございましょう?」
「ワシを織田信長殿にお引き合わせいただかねばなりませぬ」
「ははははは! 織田殿はこの信康めの舅、そのようなことならお安い御用でござる!」
「いや、助かり申した。この義弘、なにぶん田舎者ゆえ、どんな無礼を働くのではとヒヤヒヤしておりました。恩に着ますぞ!」
「……里見殿!」
この遣り取りを受け、徳川信康は深く感動していた。
里見殿は、謀反を防いでいただいたばかりか、海を越えて援軍を送ってくださった。にもかかわらず、2度も命を救われた事への見返りが、『信長殿に取り次いでほしい』だけとは! 私にとって、信長殿への紹介など、いとも容易いこと。何と度量が大きいのだろうか!
そもそも、里見家の嫡子、義頼殿は、既に何度も上洛し、信長殿のお気に入りと聞く。だから、最初から、義弘殿は『紹介』される必要などないのだ。
にもかかわらず、私に『紹介』を依頼なさった。これは、若年である私に『箔が付くように』との、お心遣いであろう。
いくら新田一門とは言え、ここまでしていただいたのを見過ごしては、武門の恥。徳川一門の総力を挙げて、必ずやこの恩に報いん!
報恩の決意を固める信康。その対象となった、里見義弘は、実はこんなことを考えていた。
船は楽で良いわ、乗っているだけで着くのじゃからの。此度は陸続きでなくて本当に助かったわい!
それにしても、1度にこれだけの軍勢を送り込めるのじゃから、もっと船を使っていかねば損じゃな。待てよ? 中入りで敵の背後を狙う策も狙えるかもしれんぞ。帰ったら早速、義頼に相談してみないといかんな!
それにしても憂鬱じゃ。直接信長に会わねばならぬとは……。できることならこのような面倒事は、ずっと義頼に任せたかったのじゃが、義頼も梅王丸も『1度は拝謁してこい』と言って譲らん。
それに、皆が「上方の衆に坂東武者の勇姿を見せつける良い機会じゃ。それができるのは最高の坂東武者である義弘様をおいて他にはない」などと言うからその気になってしもうた。自分自身の浅はかさが心底恨めしいわい。
自分で言うのもなんじゃが、ワシは戦については誰にも負けぬ自信がある。ただ、相手の裏を読みながら、丁々発止の交渉とかはどうも苦手でのぉ。こればっかりは義頼の足下にも及ばぬ。だから来るのは嫌だったのじゃが、梅王丸にまで、こう言われてしもうた。
「我らは武田を滅ぼそうとしておりますね? その武田が滅びれば、次は北条です。そうなれば里見家は、戦うなり和睦を仲介するなりしなければなりませぬ。そうなった時に当主である父上が、顔をつないでいるのといないのとでは大違いですぞ?」
全くその通りじゃから困る。こうなっては、もはや自ら出張るしかないわい。
上杉謙信も気難しくて、いろいろと面倒くさかったが、信長はもっと面倒だと聞く。なにせ、降った武将に刀に刺した饅頭を食わせたなどという話も聞いたことがある。義頼は上手く取り入って気に入られておるのだから、こたびも付いてきてくれれば良いものを。
「義弘様と私が一緒に領国を留守にしてしまっては、誰が後を守るのですか!」こう言われてしもうては、どうしようもない。
いや、それにしても、信長に会う前に信康殿と面会できたことは助かった。聞いた話では『粗暴な荒武者』という噂もあったが、なかなかどうして、誠実で好感のもてる若者ではないか。
そんな信康殿が『仲介する』と断言してくれたのじゃ。まあ、最悪なことにはならんじゃろう。
これは信康殿に足を向けて寝られぬのぉ。
翌日、里見義弘は徳川信康の仲介のもと、織田信長との初の面会を果たす。
鉄砲600挺を携え、遠路はるばるやってきた援軍に信長は終始上機嫌であった(※土産として持ち込んだ楓蜜と砂糖に喜んだという話もある)。
また、信長は朴訥で表裏を感じない義弘の姿にも好感を抱き、出陣中でありながら、生まれたばかりの『桃姫』と、七男『長丸』との婚約を決めることになった。
義弘の喜びは大変なものであり、仲介の労をとった信康も大いに面目を施した。そんなわけで、結ばれたばかりの3家の同盟は、より強固なものになったのであった。




