第72話 小田原城の密談 ※地図あり
後書きに地図を載せました。
天正2年(1574年)11月 相模国西郡(※足柄下郡) 小田原城内 茶室
庭園の一角に建てられた一軒の茶室。周囲は人払いがなされており、不用意に近づく者は誰もいない。室内には3人の男。
主は北条家当主の氏政。客は氏政の弟で安房・上総方面を担当する、北条助五郎氏規と初代北条早雲の息子で、幻庵宗哲である。
幻庵が口を開く。
「いやはや驚いたわい。あれは何じゃ!? 姿形は小童なれど、中身は老成した武者のようじゃ。少なくても、あの受け答えは教え込まれてできるものではない」
幻庵の話に氏政も頷くと、取り次ぎを務める氏規に問うた。
「氏規。あれは本当に、あの里見義弘の子か!? どこからか優秀な子を連れてきて、入れ替えたのではないか?」
「兄上。どうやら本物のようです。里見義弘は、同行の土岐為頼殿はおろか、家臣であるはずの岡本元悦殿にも『梅王丸を頼み申す』と、さんざん頭を下げておりました。あれが芝居でできる男なら、北条家は、もっと苦労していたことでしょう」
「うむむ。『鳶が鷹を生んだ』というやつか! 今からこの調子では、腑抜けに育つのは望み薄じゃな。いっそのこと、今のうちに亡き者に……」
「兄上! それは拙い!! あの義弘の溺愛ぶりを見るに、少しの傷でも付けよう物なら怒り狂うことは目に見えております。大領を手にしてしまった義弘が、怒り狂って攻めてくることにでもなれば、勝っても大損害を被ることは避けられませぬ。
しかも、先の小金城の合戦では、5町も離れた城外から炸裂する砲弾を城に撃ち込んだとのこと。あの里見の大船で海から砲撃されれば、小田原城とて無事では済みませぬぞ。
その上、曾祖父にあたる土岐為頼殿も、たいそう可愛がっておいでの様子。土岐家まで敵に回せば、仮に勝ちきったとしても、房総を統治することは相当に困難になります」
「うむ。儂も氏規と同じ意見じゃ。加えて、血筋で言えば梅王丸は義弘の正室が生んだ息子じゃが、家督を継ぐ流れから言うと義頼の次になる。義頼に子がいないなら、一考の余地はあるが、義頼には、複数の男児がいると聞く。今殺しても、里見家全体では家督継承の流れがはっきりするだけじゃ。
将来のお家騒動の芽が摘まれ、里見家中は完全に一つにまとまる。そんな所と二度と和睦はできんようになる。そう考えれば、氏政殿の策は『無し』じゃろう」
「そうか……。で、あるならば、北条贔屓になるように、いろいろと優遇してやるしかあるまい。鶴はもちろん新九郎(※氏直)たちにも良く言って聞かせねばな」
「そうじゃの。『鶴に優秀な婿ができた』と喜ぶより他はあるまい。ま、物は考えようじゃ、あの優秀な童ならば、情も利もわかるはず。家督を継いでも里見義堯や義弘のように、無闇に戦をふっかけてはこないじゃろう。」
「兄上、『北条家のためとはいえ、野蛮な安房の男などに嫁がせねばならぬ鶴が不憫じゃ、不憫じゃ』と、おっしゃっていたではありませんか。野蛮どころか、全国目を皿のように探しても、あれほどの婿殿は早々には見つかりますまい。お鶴のためにも良いことではございませんか。
また、考えてもみてください。梅王丸殿が佐竹や上杉の縁者になるとしたら、いかがでございましょう? それに比べたら、早い内から当家の縁者として囲ってしまえるのは、まさに天の配剤ではございませんか」
「それもそうだの……。よし、わかった。それで行こう! と、なれば、早速、母や子らにも話をせねばならぬな。広間に親族を集め、話をするぞ。氏規、手配を任せた!」
「は、かしこまってございます」
―――――――――小田原城 二の丸 客間―――――――――
「…………と、このような話し合いがなされておりました」
こんばんは、安房国主 里見梅王丸こと酒井政明です。
今は氏政さんたちの密談についての報告を受けてたとこだよ。いきなり殺されはしないってことがわかったから安心した。まあ、引っかかる点はいっぱいあったけど、結論としては仲良くしようとしてくれてるみたいだから、今のところは様子見だね。
それにしても、氏政さんはちょっと短絡的すぎないかな? 話を聞く耳はありそうだけど、これじゃあ将来が不安だよ。
「うん、大事に扱ってくれそうなことはわかったよ。ただ、氏政殿にはちょっと警戒されちゃったみたいだけど大丈夫かな?」
「梅王丸様、そこはご安心くだされ。このあたりは我らの庭同然。万が一の時は氏政も知らぬ抜け穴で城外の隠れ里までお連れいたします。そもそも、そのような怪しい行為を命じられるのは我らでございますから、何かあった時には、すぐに対応できましょう」
「それを聞いて安心したよ! ところで小太郎、安房の所領には行ってみた?」
「私は小田原詰めが長く、なかなか……」
「いや、さっきの話を聞いて思ったんだけど、『風魔の里』ってこの近くにあるんでしょ。ってことはさ、そこで女子供や老人たちが暮らしてるんじゃない?」
「おっしゃるとおりですが?」
「今は良いんだけど、もし風魔が里見と繋がってることがばれたら、里の人たちが酷い目に遭うんじゃない? だからさ、少しずつ里の人たちを安房に避難させた方が良いと思うんだけど」
「……なるほど。確かに家族は我らの弱点ですな。人質に取られたり、報復を受けたりする可能性は十分にありえること。梅王丸様のご提案、他の幹部とも相談して前向きに検討いたします」
「あ、私の方で言い出したことだから、建設費とか『新しい里』が軌道に乗るまでの食糧とかは全部こっちで持つからね。その辺の費用とかは無視して大丈夫だって、他の人たちにも伝えといて!」
「あ、あ、ありがたきしあわせ!!」
「ちょ! 声が大きいよ!」
「これは失礼いたしました!」
「でも、喜んでもらえたみたいで何よりだよ。明日からもよろしくね」
「はッ! 命に替えましても!」
風魔小太郎が味方に付いたのはでかいね。氏政さんのケチッぷりに助けられた点もあるけど、こっちも俸禄を惜しまずに出しててよかったよ。隼人たちだけだと房総で遣り取りをしてる時は問題なくても、小田原まで来るとなると、どうしてもスケジュール調整とか名目とかが必要になるからね。その点、小太郎は小田原にいるのが当然なんで、その辺をウロウロしてても全く違和感がない。俺も枕を高くして寝られるってもんだよ。
ただ、小太郎にも話したんだけど、早いうちに里見領にも拠点を構えてもらいたいな。何かの弾みで情報が漏れないとは限らないし、ウィークポイントはなるべく潰しておいた方が良いからね。逆に言えば、里見領に拠点があれば、里見家がそれを握れるってのもあるけどね。
腹黒い?
その通り! だって、この時代、善良だけじゃやってけないからね!




