第66話 里見の事情(閑話)
天正2年(1574年)5月25日 昼 下総国 葛飾郡 市川宿
「ええい! 面白うない!!」
正木時通は、陣中で怒りを露わにしていた。
彼は勝浦正木家の嫡男である。こたびの戦では、当主である時忠が常陸で佐竹と対峙しているため、その名代として参戦していた。
彼は里見家でも屈指の武勇を誇るが、いささか“短気”が過ぎるきらいがある。したがって、このような時、側に控える者どもはじっと嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。
ただ、今日は味方の戦勝の日、いつまでもこのように荒れていては、忠誠を疑われかねない。
たまりかねて、重臣の糟屋綱定が口を挟む。
「若。華々しき勝利の日になぜこのように荒れなさる?」
「何が勝利だ!! ……ああ、糟屋綱定か」
「さよう。落ち着きなさったようで何よりじゃ。で、どうなさったのですかな?」
「我らは陣中で最も多くの将兵を預かっておる」
「そうですな、それに加えて義継様とともに、鶴翼陣の先端を任されておるのです。義弘様の厚い信頼無くば、あり得ませぬ」
「その、右翼側の義継殿は、着陣早々、大藤政信の首を挙げたばかりか、昨晩は、北条綱成を退け、多目長宗を討ったそうではないか!
それに比べて、同じく厚い信頼を受けているはずの我らは、着陣以来何をした!? せいぜい流れてきた溺死体の処理ぐらいではないか!」
「それは、そうですが……」
「それだけではないぞ! 昨晩は新参の土岐治英らが上田兄弟を生け捕り、外様の千葉殿や、栗林某とかいう若造ですら、大手柄を立てたと聞く! 家臣筆頭であるはずの我らが無為に時を過ごしておるのは、口惜しゅうてならぬのじゃ!!」
「若、北条めは、右翼が手薄とみて攻勢をかけたのでございましょう。こちらに押し寄せないのは、我らの士気の高さを恐れてのこと。
確かに昨晩手柄を立てた方はいらっしゃいますが、それは敵に侮られていたゆえ。言ってしまえば『守りの功』でござる。戦での本当の功績は、敵陣に討ち入っての『攻めの功』ではございませんかな?
我らはお味方が攻勢に出た時、真っ先に敵陣を食い破るのが役目でございましょう。その時まで、しっかりと牙をといで待つことが肝要かと」
「なるほど。言われてみれば確かにそうじゃ! よし! 我ら、北条めの隙を決して見逃すまいぞ!!!」
「若。その意気でござる!」
その時、陣内に組んだ櫓から物見の声が轟いた。
「敵方、笠原康勝、松田憲秀、陣を退き始めております!!」
思わず笑みを浮かべた時通は、興奮した様子で綱定に語りかける。
「綱定よ! 時が来たな!!」
「まさに!」
「皆の者! 出陣の準備じゃ! 我ら必ずや先陣を切って見せようぞ」
「「「「「「応!!!!」」」」」」
天正2年(1574年)5月25日 昼 下総国 葛飾郡 国府台城
陸戦での大勝利に沸き返る陣内で、主将である里見義弘は、一人冷静であった。
それは、10年前、今と同じここ国府台で、緒戦の勝利に酔って大敗を喫した苦い経験の賜でもある。しかし、それ以上に大きかったのが、戦勝の裏でもたらされた筆頭家老 正木憲時の横死の報であった。
憲時は10年前の合戦で実父と義兄を失って以来、正木大膳家当主として、義弘と二人三脚で北条と戦ってきた、言わば盟友のような存在であったのだ。その若すぎる死は義弘に衝撃を与えずにはいられなかった。
『憲時の死を無駄にしてはならぬ』
この思いは、義弘をいつになく慎重にしていた。
首実検が終わり、陣中が落ち着きを取り戻し始めた時、それを打ち破るかのように、城の櫓から大きな声が上がった。
「北条が陣を引き払っていきます!!」
櫓に上がってみれば、確かに北条勢は、全戦線において川沿いの陣から後退を始めているではないか。
普段の義弘であれば、即座に追撃を命じていたかもしれない。しかし、憲時の死がそれを押しとどめた。
彼は、脇に居並ぶ幕僚の中に白井浄三の姿を認めると、いささか不可解なこの北条の動きについて尋ねる。
「浄三入道殿。あの撤兵、いかが見る?」
「戦気は衰えておりませぬ。配置換え……。いや! 我らを誘っているものと見受けました」
「なるほどな、確かに北条は負けたが、攻め込んできた連中が負けただけで、陣所には一歩たりとも踏み込まれておらぬ。なのになぜ、わざわざ兵を退くのか不思議に思うたのだが、それならば合点がいく。
よし、追撃はせぬぞ。各陣所に『罠じゃから追ってはならぬ』と伝令を出せ」
北条の奸計をまたもや見破ってやった。
北条氏政の上を行っているという事実に少し気持ちも軽くなり、次なる作戦を考えるべく幕僚と話を始めた義弘の下に、先ほど送ったばかりの伝令の1人が、血相を変えて駆け込んできた。
「と、殿! 一大事にござる! 正木時通殿、既に追撃を始めております!!」
天正2年(1574年)5月25日 午後 下総国 葛飾郡 利根川河畔
正木時通は焦っていたのだ。
確かに父は歴戦の勇将である。しかし自分はどうか?
自分は従兄弟である正木憲時ほどの活躍ができているか?
海賊大将の正木堯盛と比べたらどうか?
それどころか梅王丸様お付きの新参者 栗林義長にも負けているのではないか?
ここで一つ大きな手柄を立てておかなければ……!
そんな焦りが目を曇らせたのであろう。彼は主君義弘の指示を仰ぐことなく、これ見よがしに撤退を始めた笠原康勝の部隊に対し、猛然と突撃を開始していた。
彼の与力の多くは、香取・鹿島方面の国衆である。偶然ではあるのだが、ここには国分、大須賀、鹿島といった、裏切りを意図したことで当主を人質に取られている連中が多数配備されていたのだ。このことが軍の勢いをより凄まじいものにした。主君を救わんと意気込む彼らは、より多くの手柄を求め争うように突撃を続ける。そのあまりの勢いに、笠原康勝隊は反転の暇もなく利根川岸に追い詰められ、壊滅した。
「笠原康勝 討ち取ったり!!」
笠原と言えば『北条五色備』の一角。その笠原を正面から撃破したのだ。勲功一等は間違いない。
絶頂の彼であったが、その思いにはすぐに冷水が浴びせかけられることになる。
「時通様! お引き返しください! 我が軍、完全に敵中に突出しております!!」
「なんだと!」
「あれをご覧ください! 国府台城の軍兵は、今やっと動き始めたばかりですぞ!」
「しまった! 急ぎすぎたか!? このままでは、取り囲まれる。皆の者、急いで退くぞ! 首などうち捨てよ! 一刻も早く太日川に戻るのだ!!」
慌てて指示を出し、撤退を始めた時通だったが、すぐに軍を反転させることは難しい。
彼は、退路の半ばで、反転してきた松田憲秀の横撃にさらされることになった。
横や後ろから攻撃された隊は弱い。先ほど笠原を打ち破ったの勢いが嘘のように、時通の配下の将兵は算を乱して逃げ始める。
時通は必死で槍を振るうが、周囲の部下は1人また1人と倒れていく。そして、何人目かの雑兵を突き殺した時、彼の脾腹を一筋の槍が貫いていた。
正木左近将監時通。里見の次代を担うはずだった男は、空しくも戦場に倒れた。
天正2年(1574年)5月25日 午後 下総国 葛飾郡 国府台城
「正木時通殿、討死!」
「救援に出た太田康資殿、『これ以上は持ちこたえられぬ。撤退を開始する』とのことです」
「松田憲秀、太田康資殿を追って渡河を開始しました」
「氏政の本隊も動き始めております」
凶報がひっきりなしに本陣に飛び込んでくる。
正木時通隊は主将を失って、もはや軍の体をなしていない。傘にかかって追撃してくる松田憲秀を、太田康資が必死で抑え込もうとするものの、勢いは止まる気配がない。しかも後ろからは氏政の本隊も動き始めている。
「太田康資を救いに参る。多賀高明この城は任せる。頼むぞ!」
「し、しかし殿、それでは……」
「ここを守り切れなくば、今までの勝利も水泡に帰す。ここが切所ぞ! 我に続……!」
「義弘様! 暫しお待ちを。何とかなるやもしれませぬぞ」
「浄三入道殿か、いかがしたというのじゃ!」
白井浄三は南の方を指さし言った。
「ほれ、あれをご覧あれ!」
厳めしい表情で、義弘は浄三の指さす方向を見た。そして、その姿を認めると、一転、表情を緩めた。
「助かった、届いたか! 高明! 2千を率いて康資の救援に向かえ!
とにかく今は敵を抑え込めればそれでよい。多少川を渡らせても構わぬ。後ろにだけは回られぬようにせよ!」
「はっ!」
「各陣所に伝令を出せ。『出撃の準備を整えよ。ゆめゆめ遅るることの無きように』とな!」
「「「「「「はっ!!」」」」」」




