第64話 前哨戦(閑話)
天正2年(1574年)5月22日朝 下総国 葛飾郡 栗橋城
関宿城攻撃に向けての軍議のため、栗橋城本丸の大広間に参集した北条方の諸将の前に、急使が飛び込んできた。
「申し上げます! 里見の本隊、動き始めてございます!!」
「ようやくか。で、どこに動いた?」
「国府台でござる! 房総への入口を遮断したうえで、葛西・江戸方面を狙う見込みとのこと」
「中入りとは小賢しい真似を! 我らもうかうかしてはおられぬ。国府台へ向かうぞ!」
「「「「「「「はっ!」」」」」」」
「笠原康勝。そちは葛西城に急行し、城兵と合流して守りを固めよ!」
「はっ!」
「大藤政信。そちは小金城を経由し、小金の兵も加えて、松戸の相模台城を占領せよ。ただし、既に里見の大軍が着陣しておるようならば、すぐに引き、本陣にその様子を伝えよ。これは時間との勝負ぞ。疾く動け」
「はっ!」
「殿は、松田康郷、栗橋の留守居は北条氏照に任す。関宿から追撃があるやもしれぬ。決して油断するでないぞ。
また、我ら全てが去った後に栗橋に攻めかかってきた時には、本隊が戻るまで固く守るように。決して討って出てはならぬ」
「「はっ!」」
「よし、準備ができ次第、出陣じゃ!! 調子に乗っておる里見に一泡吹かせてくれようぞ!」
「「「「「「「応!!!」」」」」」」
天正2年(1574年)5月22日夕刻 下総国 葛飾郡 相模台付近
山手の先陣を任された大藤政信は、8里の道を急ぎに急いだ。そして、日が西に傾き始めた頃には、相模台城の出城である根本城が見える所にまで軍を進めていた。
さて、これから城攻めか、と、城の様子をよくよく見れば、十数名の城兵らしき者どもが、慌てふためいて逃げ出しているではないか。
狼煙も上げずに逃げ出すとは、これは、まだ相模台には里見の主力が到達していないことの現れであろう。なんと幸先が良い!
大藤は逃げる城兵を追って、相模台城へ付け入るよう、全軍に号令をかけた。
先陣の誉れを与えられた兵たちは、8里を移動した疲れなどものともせず。虎狼の如く逃亡する敵兵を追う。無人の根本城はうち捨て、街道を東に曲がれば、大手門へ続く坂は目の前である。敵兵たちの最後尾はまだ坂の中腹でもがいている。見上げれば突然の襲来に相模台城の櫓の兵も狼狽している様が見て取れる。
「追えや!」大藤の叫びに、兵たちは鬨の声を上げ、我先にと坂を登り始めた。
坂の中腹を過ぎ、大手門を指呼の間に捉えたその時。ひゅるるるるる 天に向かって高い音を立てながら鏑矢が上がった。
そして、南北の尾根に、『二つ引き両』が一斉に立ち上がるやいなや、谷間を進む北条勢に矢の雨が降り注ぐ。
しまった! 謀られた!! すぐに撤退をせねば。瞬時に判断を下した大藤は大きく息を吸い込む。
「全軍、退……」
その言葉は最後まで発せられることはなかった。馬から転げ落ちた彼の兜は、一条の矢に貫かれていたのだ。
天正2年(1574年)5月23日夕刻 下総国 葛飾郡 関宿城
援軍を加えて6千に膨れ上がっていた関宿城では、北条勢の撤退を受けて軍議が紛糾していた。
「簗田晴助殿、北条めが、主力を南に動かし始めた今こそ好機でござる。ぜひ城から討って出て、北条の殿軍を蹴散らしてやろうではありませんか!」
「さよう! 小山秀綱殿のおっしゃるとおり。どのような戦上手でも後ろから襲われるのは弱いものでござる。北条の軍は、わざわざ背をさらして動いてくれており申す。これは天が与え賜うた好機でござろう。拾える勝ちを見落としては、我ら天に見放されてしまいますぞ!」
「小山秀綱殿、結城晴朝殿のおっしゃることは、この晴助とてわかり申す。しかし、移動自体が敵の策であったらいかがいたすのじゃ? 北条を攻めるためには、我らも太日川を渡らねばならぬ。渡ってしまえば、城に戻ることも容易ではない。それよりも、今は城の守りを固め、更なる援軍を待つべきでござろう」
(「……小山殿も結城殿も手柄を焦っておる。ま、無理もないな。元亀年間以来、里見は北条に勝ち続け、勢力を5倍近くにまで拡大した。彼らはその間、互いに小競り合いを繰り返すのみで、何一つ成長はない。ここで存在感を示したいのはわかる……。だが、ここで討って出るのは悪手じゃな。これが彼らのみの考えなら、簗田殿に合力して封じ込むこともできようが……」)
正木憲時が黙って考えを巡らせていると、高座に座る人物が声を上げた。
これは憲時の予想どおりであった。しかし、あってほしくない予想でもあった。
「晴助、待て! 里見義弘殿は、あの大軍を引きつけて、これから決戦に及ぶのじゃ。今、我らが関宿で逼塞しておっては、後々物笑いの種になるばかり。余も出陣いたすぞ!」
「足利藤政様! それはなりません! 御身にもしものことがあっては……」
「晴助。父祖、足利成氏様は、自ら兵を率いて両上杉の大軍と戦ったと聞く。成氏様にできて、余にできぬと言うは如何なることぞ?」
「………………」
(「やはりこうなってしまったか。藤政様も武家の棟梁として華々しい戦果を上げたいとお考えになるのはもっとものこと。それがここで出てしまうとはな……。もはやこうなっては仕方が無い。ままよ!」)
覚悟を決めた正木憲時は、これまで貫いてきた沈黙を破り、大音声を発する。
「まことにありがたきお言葉! 我が主、里見義弘が聞けば、泣かんばかりに喜びましょう! そこまでおっしゃっていただいたからには、ご期待に沿えずとあっては武士の名折れ、我ら里見軍2千、小勢ではございますが、藤政様の近衛を務めまする。簗田殿、藤政様の御身は我らにお任せくだされ!」
その高揚した口調とは裏腹の、真剣な目差しを向けられ、簗田晴助も憲時の覚悟を悟った。彼は深々と頭を下げると、一転、努めて明るい口調で話し始める。
「いやぁ、正木殿ありがたい! 藤政様、正木殿が付いてくださるとなれば百人力でござる」
「おお! 晴助、賛成してくれるか! では、憲時、よろしく頼むぞ!」
「はっ! 命に替えましても!!!」
「流石は槍大膳殿!」「北条に一泡吹かせてくれよう」威勢の良い声が轟く広間で、簗田晴助はもう一度頭を下げる。
(「憲時殿、申し訳ない。藤政様をお頼み申すぞ!」)
天正2年(1574年)5月24日 朝 下総国 葛飾郡 太日川河原
太日川を渡り、自然堤防上の微高地に陣を進めた正木憲時のもとには次々と悲報が飛び込んできていた。
「先鋒の小山殿、敵の伏兵に遭い撤退を始めました」
「結城殿も支えきれずに撤退するとの由にございます」
「栗橋城からも敵が討って出ました」
「急いでここに陣を築け! 撤退してくるお味方を受け入れるのだ!」
「憲時! 余も戦うぞ!」
(「そのお気持ちや良し! しかし、ここで藤政様を失うわけにはいかん!」)
「ありがたきお言葉かな! 一生の誉れといたします。が、藤政様、御免!」
憲時は藤政の首筋に鋭い手刀を浴びせる。狙いは過たず藤政は昏倒した。
「加藤景信殿、藤政様を関宿城へ。それから、我らにもしものことがあれば、里見勢の指揮をお願い申す!」
「憲時殿……」
「時間が無い! 行け! 早く行かぬか!!」
「憲時殿、御免!」
加藤景信が、気絶した藤政とともに去り、結城勢が通過し、小山勢を受け入れ終わったころ、当初率いていた2千の兵は半分にまで減っていた。
背水の陣を敷いているとは言え、目と鼻の先に味方の城があるのでは、なかなか死力は出ないものらしい。北条方の包囲もじわりじわりと狭まっている。
「潮時じゃな。正木頼房。ひと当てしたら兵を退く。我らに何かあったら、撤兵の指揮を頼む」
「……はっ!」
憲時は重臣の頼房に密かに指示を出すと、大声で奮闘する味方に下知を出す。
「援軍が来た! 押し返すぞ! 我に続け、突撃じゃ!」
「「「「「「うおおおおおお!」」」」」」
いきなり鬨の声を上げて突撃してきた里見勢。「援軍が来た」との叫びも上がる。さしもの北条方も思わず動揺し、兵を引き始めた。
「よし、退くぞ!」
と、先ほどの勢いがどこへ行ったか、いきなり後退を始めた里見勢。一瞬北条方も呆気にとられたが、すぐに騙されたことに気付き、猛然と追撃を開始する。
先頭に立つのは、松田康郷、『赤鬼』とも称せらるる猛将である。
松田の猛追は凄まじく、遂に太日川の河原で撤退する里見の殿に食らいついた。
「正木憲時殿とお見受けいたす。我は松田康郷と申す。尋常に勝負召されよ!」
「おお! そなたが名高き『松田の赤鬼』殿か! 相手にとって不足は無し! いざ!!」
両者馬を寄せ、槍を交えること二十合余、松田の赤鬼の膂力が、連戦の疲れの見える槍大膳の技を徐々に上回り始める。しかし、このままむざむざと討たれるわけにはいかぬ。憲時は決死の一撃を繰り出した。
憲時の決死の槍は、康郷の右の頸部を捉えた。血飛沫が吹き上がる。
と、同時に、康郷の槍は憲時の胸を貫いていた。
胸を貫かれてなお、目を見開き、敵を睨めつける憲時であったが、徐々に体を傾けるとと、馬から転げ落ちた。
落馬した憲時を見て、主の敵をとらんと、猛り狂う兵を止めたのは、北条氏照の一喝であった。
「止めよ! 康郷の手柄を穢すでない!」
息絶えた2人は、ともに栗橋城に運ばれた。そして、栗橋城内で清められた憲時の遺体は、愛槍とともに夕刻、関宿城に帰還した。
享年26歳。里見の筆頭家老の早すぎる死であった。




