第63話 北条の企み(閑話)
天正2年(1574年)5月 下総国 葛飾郡 栗橋城
関宿城攻略に向け、北条家が準備した軍勢は3万。本陣は北条氏照の居城であるここ栗橋城に置かれているが、松田康郷らが率いる先発隊は、既に太日川(※渡良瀬川)の川岸に達しており、対岸の城兵たちと睨み合いを始めている。
そんな時、城の奥の間で、1人の黒装束の男が平伏していた。
どれだけ時間が経っただろうか。襖が開くと2人の男が入ってきた。現れた男は、城主である陸奥守氏照と北条家当主 左京大夫氏政であった。
「面を上げよ」
「御意」
「関宿の様子はどうじゃ?」
「はっ! 簗田晴助勢に加え、小山秀綱、結城晴朝らの援軍が入っておりましたが、3日前に正木憲時率いる2千が加わり、戦意は高揚しております」
「兵糧や弾薬はどうじゃ?」
「元々不足はしておりませんでしたが、正木憲時が追加で運び込みましたので、今後全く補給がなかったとしても数か月は耐えられるかと」
「焼き払うことはできぬか?」
「実は、既に数度試みておりますが、ことごとく失敗しております。帰らぬ者も3名。今後も隙を狙って試みてまいりますが、おそらく難しいのではないかと」
「ふむ、やはり警備は固いか。それでも関宿が獲れるなら安い物よ。今後とも続けてまいれ」
「…………はっ!」
「里見の動きはどうなっておる?」
「房総の兵は鹿島城にほぼ集結した模様です。その数3万と号しております」
「3万だと!」
「氏照、慌てるな。こういう数はだいたい多めに言うものじゃ。『3万』と号したと言うことは、多くても2万4千がせいぜいであろう」
「兄上、取り乱しました。失礼いたしました」
「よい。あの里見が単独で2万を超える兵を集めたのだ。ワシも驚いておる。で、風魔よ常陸方面はどうなっておる」
「はっ。佐竹が府中を狙ったようですが、里見の海賊に中入りされて、成果なく撤退いたしました。なお、佐竹は撤退中に追撃を受け、大損害を出した模様です」
「佐竹は役に立たなんだか……。して、中入りをした海賊どもはどうじゃ?」
「現在主力は香取方面に展開しております。それに伴って、三浦・伊豆方面への攻撃は落ち着いている状況です」
「……佐竹めが海賊どもを引き受けてくれただけでも良しとすべきか。で、里見が主力をどこに動かすのかはつかんでおろうな?」
「それが、まだ軍議でもまとまっていないらしく……」
「そのようなことも調べきれておらぬのか!? 何のために忍ごときに高い金子を支払っていると思っておるのじゃ! さっさと調べておけ!」
「…………はっ!」
「もう良い! 去ね!」
「はっ!」
短い返事を残して、黒装束の男は部屋から消えた。
苦々しい顔をして男を見送った2人は密談を再開する。
「兄上、里見もだいぶ兵を集めておるようですが、大丈夫でしょうか?」
「ああ、もう8人の国人衆に内応の約束を取り付けておる。当日怖じ気づくヤツもおろうが、これだけいれば、最低でも2、3人は反応するものよ。ここぞという時に裏切りがでれば、どんなに精強な軍でもひとたまりもないからな」
「思った以上に里見に不満をもつ国人は多いのですな」
「ああ、関宿城の守将に内応するヤツがいなかったのは残念じゃ。が、まずは野戦で里見の本隊を蹴散らし、城兵が気落ちしたところを攻めれば、いくら関宿が堅城とて、あっけなく落ちるであろう」
「なるほど! 流石は兄上」
「ははははははは」
---------------同時刻---------------
奥の間から下がった黒装束の男。そこに、辺りを気にするように、もう1人黒装束の男が近づいてきた。
そして、誰もいないことを確認すると、辺りをはばかる小声で話しかける。
「お頭様、いかがでしたか?」
「隼人よ、お主の言うとおりじゃ。あの者ども、我らを道具か何かとしか思うておらぬ。『関宿の兵糧庫を焼くために3人を失った』と話したら、『関宿を獲れるものなら安い』などとほざきおる!」
「ああ、『氏政』が言いそうな台詞ですな」
「『汁飯野郎』か! 彼奴にぴったりじゃ!! そうだ。隼人よ、此度の我らの働きに、彼奴はどれだけ報酬を寄越したと思う」
「氏政はケチですからな。だいぶ値切られましたか?」
「値切るも何も。『無し』じゃ『無し』!!」
「は? 何も寄越さなかったので!?」
「しかり!『里見がどこに攻めてくるかまだわからぬ』と言ったのが気に触ったらしい。しかし、まだ決まっていないものを報告などできるか!」
「それは酷い……」
「ワシももう愛想が尽きたわ。隼人よお前の勝ちじゃ。里見への繋ぎをとって貰えぬか?」
「ご決断いただけますか!」
「おお! この風魔小太郎、全ての風魔衆とともに里見に下ろうではないか」
「ありがたい! 早速梅王丸様に報告いたします」
「それはそうと、此度の戦ではどのようなことを企んでおるのだ? ワシも一枚噛ませよ」
「よろしいので?」
「仕官の手土産じゃ。ここで大手柄を立てて、若君に『流石は風魔小太郎』とおっしゃっていただかなくてはな!」
「それでこそ、お頭! では早速…………」
2人の密談は暗がりに紛れてしばらく続いた。そして話の済んだ2人は、笑顔で闇に消えていった。




