第62話 佐竹の陰謀・結末編(閑話)
天正2年(1574年)4月 常陸国 真壁郡 下妻城
「ありがたい! こたびは我慢の戦で、当家にとっては、この戦を乗り越えてからが本番じゃろうと半ば諦めておりましたが、まさか、援軍を頂戴できようとは! これで、目障りな小田を討ち滅ぼせましょう!」
「なんのなんの! 兵が足りなくては攻め手に欠きますからな。逆に、我らを快くお迎えいただきありがたく存ずる。政経殿の忠勤は、我が主にしかとお伝え申そう」
「ならば、援軍の皆様には、しっかりと英気を養っていただかなくては! 明日からは、お手伝いいただかなくてはなりませんからな」
「ははは! 明日と言わずに今晩からでも頑張る所存」
「何と心強いお言葉であろう! おい! 早速酒宴の準備じゃ!」
多賀谷家当主 下総守政経は、この日喜びの絶頂にあった。やっと多賀谷家の更なる飛躍の姿が見えたのである。
多賀谷家は元々は結城家の家臣であった。しかし、彼の代で主家をも凌ぐ領地を持つまでに勢力を拡大していたのだ。
本家の結城家を捨てて盟主に仰いだ佐竹家を始め、北条を毛嫌いする国人衆はとても多い。「北条に味方する○○を討つ!」と宣言すれば、味方を集めることは容易であり、次々に領地を拡大することができた。元亀元年には岡見家から谷田部城を奪い、このまま行けば、鬼怒川下流域を支配下に収めるのは時間の問題のはずだった。
それがどうだ、最近耳に入ってくるのは不快な話ばかり。相馬、岡見といった北条方の領主が、次々と里見に降伏してしまったのだ。それどころか、この地域の北条方の首魁であった小田氏治までもが里見に降伏する始末。
里見は佐竹と同盟しているから、里見麾下の国人衆には手を出せない。勢力拡大のためには、北条に下るぐらいしか手がなくなってしまったのだ。北条の麾下に参じれば戦う相手は増えようが、そんなことをすれば、周囲から袋叩きにされるのは目に見えている。もはや八方塞がりであった。
「忌々しい里見め、大人しく安房・上総で逼塞しておれば良いものを。わざわざこんなところまで来おって!」
こんな政経の悪態が常態化した頃、急に風向きが変わった。里見が武田との同盟を破棄したのである。佐竹-武田-里見の同盟は、武田が扇の要に入っての同盟であった。武田との同盟を破棄すれば、自動的に佐竹との同盟もなくなるのだ。
そうなると多賀谷領は対里見の最前線になってしまうのだが、里見にとっての主敵は、何と言っても北条である。北条が頑張っている限り、多賀谷に大軍を差し向ける余裕はあるまい。
今は守りに徹して時を稼ぐ。そして、北条・里見の決戦の漁夫の利を得て、佐竹家が大掾や小田を下してからが本番だ。彼はこのような想定をしていたのだ。
それがどうだ。佐竹義重様は、真壁久幹殿以下2千を派遣し、西から小田を攻めよとの指示である。
我ら6千が西から、佐竹の本隊8千が東から小田領に攻め込めば、戦上手の小田氏治とて、太刀打ちは出来まい。
小田攻めが終わったら、佐竹家の皆様には、岡見攻めに、下妻城の強化にと、色々働いてもらわねばな。なあに、『里見に備えるため』と言えば、快く協力してくれよう。
やっとワシにもツキが向いてきたわい。
このようなことを考えながら、久々の楽しい時間を過ごしていると、体がふらつくようになってきた。どうやら楽しさのあまり、飲み過ぎたようだ。
「どうやら飲み過ぎたようじゃ。悪いがそろそろお開きにしてもらいたい」
「なんじゃ、政経殿? いかがなされた?」
「いや、先程からふらついてならぬのだ。久しぶりの吉報に、些かはしゃぎすぎてしまったようじゃ。それにしても、この有様。これでは明日に差し障りがあるや知れぬ」
「そうか、そうか! では良い頃合いじゃな」
「うむ、今日のところはこれで……」
「それ! かかれ!!」
合図とともに次々と兵士が広間に飛び込んでくる。多賀谷家の面々は慌てて立ち上がろうとするが、皆、酩酊したかのようで、誰1人として立ち上がることすらできない。
たちまち政経ら多賀谷家の一族、重臣らは縛り上げられてしまった。
「おのれ! 真壁久幹裏切ったな!」
「おお! 今頃気付いたか? まあ、元はと言えば、義重殿が足利藤政様を裏切るような利敵行為をするから悪いのじゃ! それに乗ったそなたも同罪よ!
まあ、安心しろ。約束どおり、そなたのことは、我が主、里見義弘様に『よろしく』伝えておいてやるからな!」
「クソがあああ!!! 者ども出会え! 出会え!!」
「ふっ、助けが来れば良いがの」
その時、廊下から多数の足音が近づいてくるのが聞こえた。勝ち誇った顔をする政経。久幹の顔には一転して緊張が走る。
「はあっはっは! どうやら形勢逆転のようじゃな! 我らが死ねば久幹も無事では済まぬぞ? さあどうする?」
「ま、いざとなれば斬り抜けるまでよ!」
「ふん! 強がりを!!」
そして、襖が開き……
「真壁殿! 城の要所の制圧済みましてござる!」
「おお! 栗林義長殿、若いのになかなかの手際じゃな!」
「な! な! な!」
「多賀谷殿、里見が家臣、栗林下総守と申す。騒いでも無駄でござるぞ。城は我らの手に落ちておりまする。ちなみに、そこもとの妻子は先ほど保護いたしたゆえ、ご安心召されよ」
「う、嘘じゃああああああああ!」
「全く、うるさくてかなわん。おい! コイツらを黙らせろ。あ、コイツらにも重要な役割があるのだ。決して殺してはならんぞ」
「「「「はっ!」」」」
なおも暴れる多賀谷家の主従は、屈強な兵士たちによって乱暴に引き立てられていった。
「行ったな?」
「そのようで」
「それにしても、痺れ薬とは……。里見の忍はえげつない技を持っているのぉ。おかげで楽ができたが……」
「このことは他言無用にお願いいたしますぞ。そう言う私も、詳しいところは知らないのですが……」
「わかっており申す。つまらぬことで里見義弘様の不興を買いたくはござらんからの」
「ありがとうございます。それではこの後は、打ち合わせどおりに」
「わかり申した。この久幹、必ずやこの城を守りきってご覧に入れましょう」
「それでこそ真壁殿! 私も安心して戦場に駆けつけられると申すものです。必ずや真壁殿のお働き、藤政様と里見義弘にお伝えいたしましょうぞ!」
「ありがたきこと! 栗林殿。ご武運を」
「真壁殿も更なるご武運を」
2人は頷き合うと、それぞれの部下が待つ暗がりへと消えていった。
天正2年(1574年)4月 常陸国 新治郡 府中城外
「一昨日より谷田部城は里見の軍勢に襲われておりまする」
「ならば、まずは、下妻に援軍を求めるべきであろう。多賀谷政経殿はいかがなされた?」
「わかりませぬ。某が下妻に到着いたしました時には、既に下妻は落城しておりました」
「な!」
「下妻落城じゃと!?」
「一体誰が!?」
「城下の噂では、真壁久幹殿が里見と手を組んで落とした由にござる」
「……真壁久幹は、梶原政景の舅であったな? どうやら息子を通じて太田資正の手が伸びておったようじゃ」
「御屋形様。いかがいたしましょう?」
「真壁が裏切ったとなれば、もはや谷田部まで援軍を出すことは難しい。渡辺神五郎とやら、戻って多賀谷経伯殿に伝えよ。開城しても恨みに思わぬし、万が一のことがあれば、必ず子孫を取り立てるとな」
「わかり申した。一刻も早く戻り、あるじ経伯にその旨、申し伝えます」
「済まぬ! 頼んだぞ!」
渡辺神五郎は帷幕を出た。一気に重苦しくなった空気の中に、さらに一騎の早馬が飛び込んできた。「哀れ、谷田部城は間に合わなかったか」。そう予想している主従に向かって、使者はこう言い放った。
「里見の軍勢に石神城が襲われております。至急援軍をお願いいたします」
「石神城と言ったか!?」
「石神城でございます!」
「石神と言えば根拠地の目と鼻の先ではないか! なぜそのような場所に里見が現れるのじゃ!?」
「船です! 船で久慈川を遡ってまいりました」
「我が水軍はいかがした!?」
「鎧袖一触にて壊滅した由にございます」
「御屋形様!」
「騒ぐな! 速やかに撤退じゃ! ええい、忌々しい! 里見の手はどこまで伸びるのじゃ!」
翌朝、撤退を始めた佐竹勢であったが、その直後から里見方の追撃が始まった。
追われる側は弱い。しかも、街道沿いでは、なぜか「佐竹が本拠地太田を襲われて、慌てて逃亡してくる」と言う噂が蔓延しており、農民の落ち武者狩りにも頭を悩まされることになった。更には、里見の水軍は那珂川にまで入り込んでおり、帰路は西に大きく迂回することを強いられる。その結果、殿が、太田城に戻ったのは、撤退を始めてから実に半月が過ぎてからであった。
敗戦による直接的な被害も甚大であったが、それ以上に足利藤政に敵対する行動をとったことで北関東の国人衆の信用を失い、佐竹の勢力は一気に減退することになる。




