第56話 出港の後で
天正元年(1573年)11月 上総国天羽郡 長浜湊
こんにちは、こんにちは、天神山城主 里見梅王丸こと酒井政明です。
2隻のガレオン船は無事出帆したよ。今は港で、段々小さくなる船を眺めてるとこ。
俺の頭の中には、李白の漢詩『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』の一節『孤帆の遠影 碧空に尽き』って言葉が浮かんでる。あの名作は、きっとこんな心境で詠まれたんだね。
「行っちゃった。寂しくなるね」
「そうすね」
「いい奴らだったね」
「そうすね」
「『そうすね』しか言わないね」
「そうすね」
「ホントは一緒に行きたかったんじゃないの?」
「坊ちゃん。それはねぇです。おいらは里見家造船奉行『長浜メンデス』ですぜ! 坊ちゃんの為にここで働くって決めたんでさぁ!」
「ありがとね! でもさ、奉行だったら、もっとそれらしい言葉遣いをしなきゃ行けないんじゃないの?」
「大丈夫でさぁ! どうせ、坊ちゃんと、長浜湊に残った連中にしかわかんねぇんですから! 殿さんの前とかだったらきちんとしゃべりやすぜ? 『トノ! フネノジュンビ、トトノイマシテゴザル!!』とかね」
「ははは! すっごい片言」
「しょうがねえでしょう。まだ日本語に慣れてねぇんですから」
「でも、日本語ずいぶん上達したね。これからもよろしくね!」
「ええ、任せてくだせぇ!」
2隻のガレオン船は、生き残ったスペイン人たちの9割を乗せて出航した。残りの1割は、このメンデスみたいに、日本に帰化することを選んだ人たちだ。
船員として残った人もいるから、帰化した人は、全体の2割強かな? 船員の中には、グアムや、フィリピンで里心が出るかもしれないから、全員が戻ってくるわけじゃないだろうけど、最初の予想より残った人が多いんじゃないかな? 日本を気に入ってくれて良かったよ。
この2隻のガレオン船は、伊豆諸島経由で南下し、まずはグアム島を目指す予定にしてる。
伊豆諸島は北条領じゃないの、って?
うん! 今年になってから、里見が攻め取ったんだ!
だって、スペイン人たちはともかく、里見家のクルーは遠洋航海初めてなんだよ。ずっと大海原を行くよりは、最初は島伝いに南下した方が気が楽じゃん?
ちょうど義弘さんたちが、性懲りも無く三浦半島にちょっかいを出して、占領しきれず撤退したとこだったからさ、ちょっと吹き込んでおいたんだよ。
「北条も船でしか行けない場所なら、このような悔しい思いをすることはございませんものを! 父上、どこかにそのような場所はございませんか?」
ってね!
義弘さんは脳筋だけど、頭の回転は悪くない。俺の話でピーンときたらしい。8月に、また三崎城を攻撃すると、今回は焼き討ちをするだけで、すぐに海に退散した。そのまま房総に帰ると見せかけて、長駆、伊豆の下田に向かい、城を焼き討ちし、船は1隻残らず奪うか焼き払った。そして、その足で伊豆大島に上陸。伊豆七島を北から順番にどんどん占領していったんだ。
北条は援軍を出そうしたみたいなんだけど、船がほとんど無くなっちゃったから、送りたくても送れない。
焦った連中が、生き残った少数の船で強襲をかけてきたけど、そんなの『戦力の逐次投入』じゃん? みんな美味しくいただいて、余計に北条の海上戦力が弱体化しちゃった。おかげで、駿河湾じゃあ新興の武田水軍にも押しまくられるようになっちゃったんだって!
最近、北条には、海で一方的に勝っても、陸では数で押し負けることが多かったから、義弘さんも相当嬉しかったみたいだよ。
そんな感じで、中継地点を確保できたんで、フィリピンへの使節を派遣することが、本決まりになった。
使節の正使を任されたのは、小笠原秀清さん。上洛した時、義継さんがスカウトしてきたんだ。
実はこの人、小笠原流の家元(?)だったりする。礼法を始めとして、色々な知識に精通してるから、里見家の武家故実指南役として俺に礼法とかを教えてくれてた。
誰が秀清さんを推薦したかって?
もちろん! 俺だよ!!
「秀清様なら、どこの王侯貴族にも引けをとらない礼をとれまする。里見のひいては日の本の誉を高めてくださいましょう」
って義弘さんに推薦したんだ。
みんな、本当の理由はわかるよね?
そう、航海のついでに『小笠原諸島』を見つけてもらうためだよ!
……だって、例えば俺が見つけちゃったら、あそこ『里見諸島』になっちゃうんだよ?
いきなり『里見諸島』って言われたら、絶対「ドコソコ!?」ってなるよ! しかも、納得できないのは自分だけ。はっきり言って最悪じゃん!
だから、この数年、ずっと探してたんだよ。『小笠原さん』を!
そんな中で見つかった、里見家にとって一番無難で、すぐに登用できる『小笠原』が師匠だったってわけ。
本当は旧信濃守護の小笠原長時さんの系統が頭数も多いし、武田に追い出されて流浪中だから探しやすいんだけど、うちは条件が悪いんだよね。
だって、あの連中は信濃に返り咲きたいから流浪してるんだろ? 返り咲くためには武田を倒さなきゃいけない。うちは、武田と領地が離れてる上に、同盟してるんだ。本領に戻れる要素が皆無じゃん? まあ、みんな能力的にも今一っぽいし、『小笠原』じゃなかったら登用する要素も皆無だったんで、惜しくもなんともないんだけどね。
師匠は、足利義輝さんに仕えてた父親が、永禄の変で一緒に討死しちゃって、浪人してたんだよ。それを俺の指南役って名目で連れてきてもらったってわけだ。
京都を離れることには、ちょっと抵抗があったみたいだけど、鯨肉で“転んだ”よ。
鯨肉様々だね!
師匠を登用したことで、俺の礼法や弓術、馬術の修行もめっちゃ進んだし、良いことづくめだったと思ってる。
ただ、スカウトしちゃったおかげで、細川ガラシャの最期の時、刺す人がいなくなっちゃった。けど、そもそも家康・三成の関ヶ原は起きないことが確定しちゃってるから、もう関係ないよね!
※数か月後、帰国した使節団から、『伊豆七島とマリアナの間に島が見つかった』って報告が上がり、無事、『小笠原諸島』って名前が付きましたとさ!




