第48話 5歳・変わらぬ歴史・変わる歴史① ※地図あり
後書きに現時点の勢力図を掲載しています。
元亀4年(1573年)正月 上総国天羽郡 佐貫城
こんにちは、天神山城主 里見梅王丸こと酒井政明です。もうちょっとで5歳になります。
今日は正月なんで、戦場から義弘さんが戻ってきてるんだ。でもなんか機嫌が悪いんだよね。
実は義弘さん、ちょっと前まで、常陸中部の北条方の重要拠点、土浦城を攻めに行ってたんだ。
出立の時は、
「土浦は『難攻不落』との噂じゃが、それは陸からしか攻め手がないからじゃ。海陸から攻めれば造作もないわ!」
なんて、大言壮語を吐いてたから、上手くいかなくてしょげてるのかな?
土浦を取れれば、香取海は完全に『我らの海』になるから、安全面だけじゃなく、経済的な面でも効果は絶大なんだけどね。まあ、上手くいかなかったのは仕方がないよ。とりあえず、話を聞いてあげて、ガス抜きをしてもらいますかね。
「父上、何やら浮かぬ顔をなさっておいでですが、小田氏治殿、何か卑怯な振る舞いでもなさいましたか」
「なんじゃ、梅王丸。儂はそんなに顔に出ておったか?」
「はい」
「子どもに顔色を読まれてしまうとは、儂もまだまだじゃな。梅王丸には早いかもしれぬが、折角じゃ、聞いてもらおうかの。
此度の戦は佐竹義重殿から持ちかけられた物であった。まあ言ってみれば手伝い戦じゃな。義重殿が小田城を、我らが土浦城を同時に囲む手はずだったのじゃ。
ところが、土浦に着いてみれば、『府中の大掾が蠢動しているから佐竹勢は出陣できなくなった』との連絡があっての。それを聞いて、鹿島や行方の北部に領地をもつ、烟田や芹沢といった連中が動揺しおる。情けないことじゃが、奴らの本拠は府中と目と鼻の先。将兵が動揺していては、まともに城攻めなどできる物ではない。いたし方なく兵を退いたのよ」
「それは無念でございましたな」
「まあな、しかし、行きがけの駄賃で、牛久の岡見を下したから、『骨折り損』とまでは行かぬ。ただ、もうちょっと大きく勝って、気持ちよく新年を迎えたかったがの。ははははは」
「流石は父上! 転んでもタダでは起きませぬな」
「うむ、こたびも着実に前進はしておるのじゃ。次こそは、小田氏治殿を屈服させ、関東の諸将が一丸となって北条めを抑え込む体制を整えてくれようぞ!」
「まあ! 殿、何と頼もしいお言葉でございましょう」
「おお! 松よ! 待っておれ、足利藤政様を古河に……。いや! 鎌倉にお連れする日は近づいておるぞ」
「何と! 兄に聞かせてさしあげたいですわ」
「わははははは」
「おほほほほほ」
松の方さんが乱入してきたんで、俺は退散してきた。義弘さん、機嫌が直ったみたいで良かったよ。折角の正月だし、いろいろと成果も出てるんだ。やっぱり楽しくいきたいよね。
それにしても『牛久の岡見』かぁ、頭の片隅に何か引っかかるんだよね。今日はちょっと調べてみようかな?
あと、この時期に何か大きな動きがあった気がするんだけど……。
あ、そうだった! 史実どおりなら『三方ヶ原の戦い』が起こってるはずじゃん! でも、北条と武田の同盟が締結されてないからな。もしかしたら起きないかもしれないね。起こったとしても、北条の牽制があるから、武田信玄さんも全力が出せないよね。徳川家康さんも、良い勝負が……! いや、もしかして勝っちゃっうなんてこともあるんじゃね?
そんなことを考えていると、1人の男が駆け込んできた。
早船で手紙が届いたらしい。手紙を受け取った義弘さんは、それを読むと喜色を浮かべ立ち上がる。
「皆の者、喜べ! さる12月22日、遠州三方ヶ原において武田信玄殿、徳川家康殿に大勝利じゃ!」
ふ~ん? なんだ、史実どおりじゃん! それにしても全力武田軍じゃなくても勝てないなんて、家康さんって思ったより雑魚い?
なーんて、テキトーなことを考えてた俺にとって、次の一言は衝撃以外の何物でもなかった。
「大勝利の余勢を駆って、武田勢は浜松城に付け入ったそうじゃ!」
はぁ!?
「徳川方は浜松をうち捨てて三河に敗走。徳川殿は消息不明とのことじゃ! お味方の大勝利じゃ、めでたい! 酒じゃ!! 酒を……」
はあああああああああああああああああああああっ!?




