第47話 収入源を作ろう!③
元亀3年(1572年)8月 下総国匝瑳郡 椿村
こんにちは、天神山城主 里見梅王丸こと酒井政明です。今日は新しく領地にもらった匝瑳郡の椿村に来てるよ。
何で領地が増えたかっていうと、直接的には義弘さんにおねだりしたからなんだけどね。
馬鹿親を利用した?
いや、今回に関しては、ちゃんとした理由があるんだよ。それは、何を隠そう、『鯨』が大当たりしたからなんだ。
え、「シイタケはどうした?」って?
うん、今も何本かは生えてるよ。松の方さんたちは大喜びしてたけど、収穫本番は来年以降かな? しょげてる宗右衛門たちには悪いけど、まあ、そういう作物なんだから仕方ないよね。
で、鯨ね。実はあれから和田浦では、半月に1頭ぐらいのペースで鯨が水揚げされてる。多分、頑張ればもっとたくさん獲れるんだけど、ペースを抑えてる。なんと、加工が追いつかないからなんだって。村人総出でやっても追いつかないぐらい獲れるもんだから、周辺の村からも人が集まり始めて、和田の村は、今、凄いことになってるらしい。
そうなると、回りの村が僻みそうなもんだろ? だけど、そんなことにはなってないらしい。それは、ガレー船の漕ぎ手を安房全土から大々的に募集してて、報酬が漕ぎ手を通じて広く行き渡ってるからなんだ。
それに、鯨肉を入れるための桶とか、塩漬けにするための塩とかが大量に必要になってる。和田の村では手一杯で、周辺にどんどん発注するから、近隣の村々もかなり潤ってるらしい。「鯨一頭七浦潤う」はマジだったよ!
で、いっぱい捕れるもんだから売ったら、「掛け値無しで城が建つぐらい売り上げがあった」って義継さんが言ってた。
でも、義継さんは『できる人』だから、鯨は売っただけじゃなかった。信長経由で幕府や朝廷に大量にばらまいたんだよ。その上、使者には義継さんが自ら立つってぐらいの力の入れようだった。
岐阜で義継さんは信長と対面したらしいんだけど、俺が義重さんの記憶でレクチャーしといたから、受け答えも完璧。信長は終始上機嫌で、なんと普段より口数も多かったらしいよ。
おかげで、義弘さんや義継さんだけじゃなく、正木憲時さんたち家臣や、酒井胤治さんたちみたいな同盟してる国人まで官位をもらうことができたんだって。
信長は天下人の第一候補だからね。歴史が変わり始めてるこの世界線じゃ、本能寺の変が起こるとは限らないんだ。早いうちから誼を通じておくのは決してマイナスにはならない。その上、義継さんが気に入られて、信長の覚えがめでたいってなってるから、里見家が存続する確率はだいぶ上がったんじゃないかな?
せっかくだからって、ついでに近隣の同盟者や、配下の国人衆にも配ったら、めっちゃ感謝されたらしい。中には、鯨がほしいからって、わざわざ従属を申し出てきた国人もいたんだって。資金源として優秀だとは思ってたけど、ここまでとはね。ただただビックリするしかないよ。
俺が鹿島神宮を訪問してたからわかると思うけど、これまでも、常陸の鹿島や潮来近辺の国人は、里見に通じてた。だけど、鯨肉のおかげで、鹿島郡、行方郡の、いわゆる『南方三十三館』のほとんどが、配下にしてほしいって人質を送ってきたんだ。
ここからは義弘さんが冴えてた。また小金城を攻めると見せかけて、城の東側に大軍を配置しておき、夜陰に乗じて10kmほど離れた相馬郡の守谷城下に移動。払暁、総攻撃をかけて、北条の常陸に対する前線拠点だった守谷城を奪取したんだ。
朝になって陣が空になってるのに気付いた小金城の高城胤辰さん。大慌てで追撃に出たんだけど、殿軍を務めてた正木憲時さんの伏兵にこてんぱんにやられて、追撃どころじゃ無くなっちゃった。
で、凱旋してきた憲時さんを守谷に入れると、義弘さんは東進して、近隣を支配する北条方の領主 相馬治胤さん、豊島頼重さんを降伏させる。
下総矢作の正木時忠さんは、帰順してきた鹿島・行方の諸将を先鋒に、東から常陸の信太郡、河内郡を支配する、土岐治英さんを攻める。
治英さん、半月ほど頑張ったんだけど、西から義弘さんの本隊も合流。江戸崎城下に万余の軍勢がひしめくのを見て、たまりかねて降伏した。
こうして一気呵成に霞ヶ浦以南と鬼怒川・広河(※注)流域を支配下に加えることができたんだ。これは里見にとって、計り知れないくらい重要な意味を持つことなんだよ。支配領域の拡大以上にね。
なんでかって?
だって、誰にも邪魔されず、関宿城に援軍を送れるようになったんだぜ?
前にも言ったけど、関宿は、この時代は関東屈指の重要拠点だった。今でこそ目立たないけど、北条氏康さんだって「一国に等しい城」って言ってたんだ。なにせ、史実で里見が没落したのは、関宿が開城して、北条が自由に房総に侵入できるようになってからだからね。
義弘さん、これまでは南からのルートにこだわって、何度も高城氏の小金城に跳ね返されてきただけに、「やっと足利藤政様や簗田晴助殿に面目が立ったわい!」って、かなり上機嫌だった。
既に東京湾の制海権は確保してる。これで関宿を守り切れれば、さしもの北条も、ちょっとやそっとのことじゃ、房総には手が出せないだろう。これでまた、長生きに一歩近づいたね!
おっといけね! めっちゃ脱線しちゃったよ。感慨に浸ってる場合じゃなかった! さっさと始めないとな!
実は、上洛してた義継さんにお願いして、お土産に近江から貝をたくさん送ってもらったんで、それをこれから湖にばらまくところなんだ。
こんな場所に“湖”なんてあったっけ? って疑問に思う人。この時代にはあるんだよ。『椿の海』っていう結構でかい淡水湖が。江戸時代に干拓で消滅して、現代では干潟八万石っていう水田地帯になってるんだけど、今はまだ健在なんだ。
干拓はしないのか?
うん、実はそれ悪手だったんだ。干拓して水を海に流しちゃったら、地下水位が下がって、元々あった周辺の水田は干ばつに悩まされるようになるし、干拓でできた新田は、雨が降ればすぐに水没しちゃう。耕地面積は増えたけど、生産量は期待されたほど伸びなかったってのが実情なんだ。少なくとも、揚水排水が技術的にしっかりできないうちは、水抜きはすべきじゃないと俺は思うよ。
そんなわけで、干拓ができないんだから、水産業で役に立ってもらわないと。と思って導入したのが、この『イケチョウガイ』なんだ。
この貝、琵琶湖と淀川水系にしか生息してない日本の固有種なんだけど、大きな特徴がある。なんと真珠が取れるんだよ!
と、いうことで、収入源獲得作戦の第3弾は、淡水真珠の養殖だ。
え? 真珠の養殖ならアコヤガイじゃないのか?
その通りだよ。俺だって、アコヤガイでやりたかったさ!
確かにアコヤガイはさ、鹿島灘辺りまで分布してるから、生育環境としては問題ないんだよ。でもさ、大規模に養殖するためには、波の少ない内湾が必要じゃん? 房総半島にはそんなの存在しないから、地蒔きでやるしかないわけよ。そしたら、天然物との区別なんか付かないから、きっと乱獲されて、産業としては終了だろうね。
いや、内湾あるだろ?
……よく知ってるね! 確かにあるよ。でっかいのが。あ、誤解しないでね。東京湾のことじゃないから。三重県の英虞湾と比べればわかると思うけど、東京湾は広すぎ。
じゃあどこ?
香取海だよ。 あそこは浅くて入江の多い内湾だから、いけると思ったんだ。ただね、前に行ってみた感じでは、思った以上に汽水化してる気がする。アコヤガイがどれだけ汽水に耐えられるかはわかんないけど、あんまり良くない気はするな。
それよりも問題なのが、あそこは、浅すぎるってこと。アコヤガイは水温が10度を下回ると生きていけないんだ。だけど、あれじゃ、冬場に水温が下がりすぎて、きっと冬越しできないよ。砂丘一つ挟んだ鹿島灘ならいけるのにね。残念だよ。
で、次善の策としての『淡水真珠』ってわけだ。淡水真珠は真円にならないことが多いし、成長も時間がかかるんだけど、1つの貝で1個しか獲れないアコヤパールと違って、頑張れば1つの貝から30個~50個は獲れるんだって。それだけ獲れれば、何個かはまともなのもあるだろう。それに形の悪いやつは漢方薬の原料として売っちゃっても良い。
ちなみに、印旛沼とかじゃなくて『椿の海』を選んだのは、匝瑳郡の国人たちは一昨年の土気合戦で多くが没落しちゃって、周辺が里見家の直轄になってるところが多かったからなんだ。まあ、それを狙って、ここに領地をもらったんだけどね。
貝の移入から始めたから、産業化には10年以上かかるだろうけど、長い目で見ていくつもりなんだ。10年経ったって俺は14歳。そんとき、南蛮貿易の主要な輸出品になってくれればなぁなんて思ってる。そのためにも、しっかり捕獲規制の制札を出しておかないと……。よく知らない地域住民に食われちゃったら大変だからね。
※注:『広河』 関宿付近から流れ出て、鬼怒川に注いでいた川。江戸時代の利根川東遷事業の結果、現在は利根川本流になっている。『常陸川』と書かれることも多いが、この当時、川の両岸とも下総国だった。そんなわけで、筆者には何が『常陸』なのかよく分からないので、別名の『広河』と記した。
※なんで『常陸川』なのか知っている方、いらっしゃいましたら教えてください。




