第44話 密偵と造船
元亀3年(1572年)2月 上総国天羽郡 天神山城
「それはそうとして、二重スパイのスカウトの方はどう? 順調?」
「おかげさまをもちまして、順調も順調、進めている自分が言うのもなんですが、怖いくらいに順調にございます!」
「それは良かった! ……でも、渋るヤツとかはいない?」
「それはもう。何せ雇用条件がまったく違うのですから、誰もが二つ返事で寝返りまする! ……と、申し上げられれば良かったのですが」
「やっぱり、その手の奴はいるんだね」
「はい。さして恩もないにも関わらず、北条に忠義立てしようとする分からず屋も10人に1人くらいはおります。しかし、ご安心くだされ。そのような愚か者は既に“消えて”ございます」
「……悪いね。汚れ役を任せちゃって」
「勿体ないお言葉! 梅王丸様に、このようなお言葉を頂戴できるのでしたら、この隼人、どんな汚れ仕事でも勤めてまいりましょう!」
「なるべく、“きれいな”仕事を振るようにはしたいんだけどね。これからもよろしく頼むよ。で、今回は何人ぐらい“転んだ”の?」
「は! こちらが、今回味方に付いた者と、消えた者の名簿にございます。また、下にあるのは、働きがあった者でございます」
隼人は懐から巻物を出して差し出した。開いた俺は期待以上の成果に、思わず目を見開いた。
「……! 凄いじゃん! これ、50人近くいるんじゃないの!?」
「最近の里見の躍進は、飛ぶ鳥を落とすが如きでございます。また、天神山城下には南蛮船が係留されているともなれば、自ずと密偵どもが集まってまいります。灯明に集まる虫を捕らえるようなもので、楽をさせていただきました」
「それにしたってねぇ。……待てよ! と、すると、風魔衆以外の他国の密偵も来てるんじゃないの?」
「流石は若様! その通りでございます。しかし、ご安心くだされ。近辺にいる北条の忍は全て里見方に寝返らせましたので、その者を使って怪しい他国者は悉く捕らえておりますので」
「助かるよ! じゃあ褒美をあげないとね。ええっと、今回は、隼人の他に、采女と新左衛門が加増の線に到達したね。他の手柄のあった人たちも含めて、どうするかは聞いてる?」
「はい、その3名には、約定どおりご加増を賜りたく存じます。また、手柄のあった者のうち4名は金品を希望しております」
「わかった。じゃあ、ほうびを出すから、後で残りの6人も呼んでもらっていい?」
「は!」
こんにちは、天神山城主 里見梅王丸こと酒井政明です。前回に引き続き、風間隼人からの報告を受けたよ。
実は、天神山城下は造船景気で、今、凄いことになってるんだ。
で、人が集まれば、怪しいヤツも自然と集まるだろ? ここで風間隼人たちが、いい仕事をしてくれてるんだよ。
二重スパイじゃない風魔衆が来れば、説得して味方に引き入れる。言うことを聞かなければ消す。で、本国には「○○は潜入に失敗して討たれた」って情報を送る。
そして、他国の乱破、素破と見れば、たちどころに闇に葬る。もしくは、わざと泳がせて偽情報をつかませる。
人間誰しも失敗はあるから、『完璧』とまでは言えないかもしれないけど、こんなんだから、相当厳しい防諜体制が敷けてるんじゃないかな?
事実、他国に行ってる風魔衆からは、笑っちゃうような珍情報が次々と入ってくる。そんな感じなんで、実は、北条にわざと流してる情報が一番正確なんだ。凄いよね! これなら、隼人たちを二重スパイだって疑うヤツはいないんじゃないかな?
密偵たちが一番気にしてたのは、浦賀沖で北条の水軍をこてんぱんにやっつけたガレー船だったんだけど、実はあれから一度も出撃させてない。
なんでかって?
技術流出を少しでも遅らせるためだよ。
だってそうだろ? みんなに竜骨を備えた船を造られたら、里見家の優位はあっという間になくなるからね!
義弘さんは、『関東副帥』(笑)なんて自称してることもあって、鎌倉には異様なまでも執着が強いんだ。『三浦氏の末裔』を称する正木家の連中も、三浦半島への執着が強いから、渡海攻撃にガレー船を使いたいみたいなんだけど、義継さんとも相談して、渡海攻撃にガレー船は出撃させないようにしてる。
当然、風間隼人たちを通して、偽情報も流してるよ。
「里見のガレー船は、1回使うと半壊してしまう欠陥品だ」
ってね。
あれ以来一度も出撃せず、最近は新造を止めちゃったガレー船を見て、他国は、「情報どおり1回限りの『決戦兵器』だ」って考えてくれてるみたい。
北条としても、あえて造ろうという意欲は出ないけど、攻めていったら『捨て身の攻撃』(笑)で、大損害を受ける。そんな存在だって捉えてくれてるらしい。だから、北条側からの渡海攻撃は下火になってるし、しばらくの間、海では優位を保てるんじゃないかな?
と、いうわけで、密偵を寝返らせ、情報収集と防諜を行い、偽情報を流し、と隼人たちは手柄を立てまくりなんだ。彼らには基本給分としてノルマを設定してるんだけど、予想以上に他国の密偵が集まってくるせいか、全員が昇給を勝ち取ってる。
今は長浜湊の発展と、ガレオン船から頂いた銀のおかげで、問題なく給与を支給できてるけど、このままの勢いで急拡大を続けたら、きっとどっかで破綻する。早急に、何か新しい産業を考えないとね。まさか里見家で、成長しすぎが原因で悩むなんて、夢にも考えたこともなかったよ!!
ちなみにガレー船は10隻で建造を止めた。
で、今、造ってるのはガレオン船なんだ。取りあえず2隻造ったら習熟航海をして、その後、スペイン人たちをグアムもしくはフィリピンへ送り届ける予定になってる。
え? もう帰しちゃうのかって?
うん。教わることはだいたい教わったからね!
それに、あんまり引き止めちゃうと、不満が溜まって反乱とか起こすかもしれないじゃん? だから、もう「これから新しくガレオン船を2隻造るから、完成して日本人たちの習熟が終わったら、グアムまで送る」って言ってある。
「残る!」って言い出すヤツが意外と多かったけど、それでも8割以上は、これで帰国することになる。
ちなみに、新しい船を造ったのは、「元の船が沈んじゃって、現地の領主が新しく造ってくれた」って言い訳のためなんだ。どうやら、『現地人に負けて船と積荷を奪われた』だと、乗員全体が罰を食らうらしい。『船が沈んだ』だと船長の責任になるんだけど、船長はいないからね!
グアムへの航海ついでに、小笠原諸島やマリアナ諸島の北部を里見家の支配地にしちゃいたいな! だって、小笠原とかが手に入れば、胡椒やサトウキビの生産もできるんじゃね? まあ、俺が一度行ってくる必要があるんで、だいぶ先の話にはなるんだけどね。




