第41話 浦賀沖海戦・開幕(閑話)
閑話継続中。
元亀2年(1571年)7月 相模国三浦郡 浦賀沖
里見水軍の異常な行動に気付いたのは、出撃の準備が整った直後であった。
外洋に出るなら南に進路を変えねばならないはずなのに、南蛮船を曳航する里見の関船は進路を変える気配が全くない。それどころか、西にあたる三浦方面に真っ直ぐ向かっているようにしか見えなかった。
不穏な空気が漂う中、浦賀城の物見台から、伝令が転がるように梶原らの下に飛び込んできた。
息も絶え絶えの伝令の言葉に、彼らは己の耳を疑った。
「南蛮船の帆柱に翻るは二つ引両にござる!」
『二つ引両』は里見の旗印。いかなる奇術か妖術か、かの南蛮船は里見の船になっていたのだ。
『南蛮船が里見の物』
このような馬鹿げた話は、梶原とて信じたくはなかった。
しかし、南蛮船は、里見の船に曳かれて、里見の旗を掲げてやってくるのだ。もはや信じざるを得ない。
ここで彼は、『戦うか、三崎港に撤退するか』という決断を迫られることになる。
数瞬の迷いの後、梶原の下した決断は、『戦う』であった。
見たところ、巨大な南蛮船は1艘だけ、しかも相手は鈍重な帆船である。
また、里見がどのような手を使って南蛮船を参戦させたのかは不明だが、里見領内にめぼしい産物は見当たらぬ。利をもって説いたとは考えにくい。
だとすれば、強奪したか、人質でもとって、無理矢理従わせているのであろう。そのような状態で、まともな操船ができるはずがない。
大筒はあるだろうか、あれはそう簡単に当たる物ではない。当たったとしても必ずしも船が沈むとは限らない。そもそも、強奪した物を操船しているならば、まともに撃てるかすらも怪しいものだ。
と、なれば、軽快な小早で突撃し、帆に火箭でも射かけてしまえば、身動きが取れなくなるに違いない。
南蛮船を除けば間違いなく装備は味方が上、南蛮船を早々に無力化できる可能性が高いなら、戦いを避ける必要はない。
このような考えからであった。
彼の決断は、すぐさまに麾下の将兵に伝えられる。
『南蛮船恐るるに足らず』
梶原の見立てに士気を取り戻した三浦の水軍衆は、浦賀水道に向けて、勇躍、船を漕ぎ出した。
半刻後、両軍は指呼の間まで接近していた。
三浦水軍は、3艘の安宅船を中央に、両翼に複数の関船、前面に小早船を配置している。対する里見水軍は、複数の関船が両翼にあるのは一緒だが、巨大な南蛮船を先行させており、小早などは後方に配置されているようだ。
梶原は敵の様子を見て、作戦の成功を確信した。この布陣は、南蛮船を突撃させることで、こちらの船足が乱れたところに襲いかかる腹づもりからのものであろう。
ならば、北条は手はずどおりに行うだけである。
安宅船の船楼に立った彼は、南蛮船に斬り付けるかのごとく、大きく軍配を振り下ろす。
法螺の音が高く鳴り響き、北条の小早は南蛮船を目指し、矢のように突進を開始した。
その時であった。巨大な南蛮船は舳先を南に向けて、ゆっくりと回頭を始めたのだ。
逃げるつもりか?
里見の連中、もしや、真っ先に南蛮船が狙われるとは想定していなかったのか!?
梶原の脳裏に、大勝利の未来図が浮かぶ。
南蛮船の船腹が光ったのはその時だった。遅れてドーンという轟音が鳴り響く。梶原の目には、黒い点のような物が大きくなるのが見えた。それが何かを理解する間もなく、凄まじい衝撃と轟音が安宅船を襲い、梶原は床に投げ出された。
急いで立ち上がった彼が見たのは、船首を破壊された乗艦の痛ましい姿であった。
一瞬絶望に襲われそうになるものの、すぐに気を取り直す。あの位置は喫水線のずいぶん上だ。破壊されたとしても、航行にも指揮にも全く問題はない。大丈夫だ!
それにしても、あそこには何があったか?
梶原の疑問は、ものの数秒で解決された。
部下の叫びが上がる。「大鉄砲損傷! 使用不能にございます!」
緒戦にして有力な攻撃手段が奪われてしまった。秘密兵器である大鉄砲は使えなくなったが、里見に安宅船がないことに変わりはない。
見れば、南蛮船はこちらの小早の突撃に慌てたのか、帆を下ろし始めている。焼けずとも、一度下ろした帆はすぐには張れない。南蛮船を戦場から外してしまえば、十分に勝機はある。
そこに、ひゅるひゅるという音とともに第2撃が着弾した。船の周囲に水柱が幾つも上がる。しかし、今回は命中弾は1つもない。先ほどは運が悪かったのだ! 予想外の不幸はあったが、それも戦場の常。全て上手くいくなど滅多にないことである。
前を見れば、味方の小早はもう少しで攻撃ができる所まで南蛮船に迫っていた。
小早に対応するため、南蛮船からも弓、鉄砲による攻撃が始まっている。味方の波状攻撃が始まってしまえば、いかに南蛮船といえど、対処に相当の人を割かれるはず。
しばらくは、大砲に砲撃されることはあるまい。
大砲は恐ろしい兵器であった。しかし、1町(※約100m)も下がってしまえば、当たる心配はなさそうだ。次に対戦することがあれば、戦訓にせねばなるまい。
そんなことを考えていられるほど、梶原の心は平静を取り戻していた。
その時、南蛮船の裏から、見慣れぬ船が1艘また1艘と飛び出してきた。




