第38話 いろいろな思惑(閑話)
里見義弘さん、北条氏政さん、風間隼人さんの思惑です
元亀2年(1571年)6月 上総国天羽郡 佐貫城
里見左馬頭義弘は、得意の絶頂にあった。早くから北条と組み、何度敗れても北条の助力で息を吹き返してきた千葉家が、とうとう里見家の軍門に降ったのだ。
千葉介殿の降伏については、攻城の先頭に立った己の武勇を誇る気持ちもあるが、幾つもの幸運が重なってのことなのは否定できぬ。
その幸運、まずは、昨夏の土気合戦から続く連勝で、千葉家の勢力圏の半分以上を削り取っていたことだ。
その結果、元亀2年に入って、親北条派だった前当主の胤富殿が押し込められ、北条に隔意をもつ良胤殿に当主が交代していた。
北条による千葉家の乗っ取りを警戒する良胤殿は、こたびの戦で、援軍の要請を行わなかった。それどころか、一戦して敗れると、これ幸いと家臣を説得し、和睦の途を選んだのだ。
これが胤富殿だったら、北条の援軍を頼みに、本丸の門が破れるまで徹底的に抗戦していたであろう。
これは、千葉家の内情をいち早くつかみ、良胤殿と事前に秘密裏に交渉をもっていた義継の手柄もある。
そして、拿捕した南蛮船の大砲が使えたことも大きい。
最初はどう扱うどころか、どんな威力があるのかすらわからなかった。南蛮船の船員に聞こうにも、何をしゃべっているか分からぬ異人どもだ。そもそも話を聞いてみようという発想がなかった。
それがどうだ、梅王丸が出かけていくと、奴らは途端に協力的になり、今では片言で話が通じるようになった者さえいる。おかげで、大砲の撃ち方はもちろん、船から外して移動できることもわかった。
(本)佐倉城攻めでは、船から外した2門の大砲で、大手門を破却したのみならず、惣構の外から、本丸に弾丸を落とすことに成功した。
これによって、抗戦派の家臣の心が折れ、良胤殿たちの発言が勢いを増したことで、速やかな和睦の成立に繋げられたのだ。
これは梅王丸の手柄と言っても良いだろう。
それに、土気合戦で勝てたのは、義継の適切な献策もあるが、梅王丸が自ら万喜城に乗り込んで、土岐の爺様との和睦をまとめてきたのがきっかけだ。
……よく考えるとまだあるぞ、先日天神山の造船所が焼かれるという失態があった。きっと北条めの小細工であろう。正面切っての戦で勝てぬからと言って、卑怯千万な行いじゃ。ところが、梅王丸は、その焼けた造船所跡に異人どもの手を借りて、南蛮式の造船所を造っていると聞いた。それを造っておけば、大型船の建造・修理が簡単になるらしい。
今まで里見には安宅船がなく、最近の海戦では、船員の差では勝っていても船の差で勝ちきれないことが多かった。南蛮船とはいかないまでも、安宅船が建造できるようになれば、三浦の海賊どもに大きな顔はさせずに済むというものだ。
南蛮船と言えば、造海の正木淡路守が、面白い報告をあげてきた。艪ではなく多量の櫂で漕ぐ南蛮船を建造したというのだ。
この船は船速が速いだけでなく、衝撃にも強く、敵船に体当たりして沈めることも可能らしい。これは船戦が大きく変わる可能性がある。数を揃えれば、海でも北条めに一泡吹かせることができるであろう。
数え4歳(※満3歳)にしてこれだけの成果を上げる。流石は八幡太郎義家様の子孫、里見義弘が子じゃわい!
そう言えば、梅王丸は先月、褒美がほしいと言い出したな。なんでも自分で家臣を養いたいのだとか。
南蛮船の件では多量の銀も得られたし、昨年以来の連勝で、領地も大きく広がっている。これまでは『まだ幼いから』と控えてきたが、これだけの手柄を立てたのじゃ、ちょっと多めに褒美をやっても文句を言うやつはおるまい。
そうとなったら『善は急げ』じゃ! 梅王丸が喜ぶ顔を見るのが今から楽しみじゃわい!
元亀2年(1571年)5月 相模国|西郡(足柄下郡) 小田原城
北条家当主、左京大夫氏政は、屋敷の縁側で、玉砂利の上に土下座する忍から報告を受けていた。
今日の報告は里見についてである。
「南蛮船は修理を進めているようでございますが、まだ終わらない様子でございます」
「それはなぜじゃ?」
「大きすぎて浜に上げることができぬ様子でございます」
「それは困ったものじゃ。早く出港してもらわねば、うかうか手出しができぬ」
「取りあえず、南蛮船の修理に全力を上げられるよう、里見の造船所を1つ焼いておきました」
「それはでかした! ふふふ、里見の海賊どもが慌てふためくようすが目に浮かぶようじゃわい」
「なお、南蛮船の船員どもが佐貫を訪問し、義弘めに銀を献上した様子。それ以降、修理の速度が上がりましてございます」
「里見の海賊どもを富ませるのは業腹だが、さっさと出港してもらうためには致し方あるまい。ところで、異人どもは普段は何をしておるのじゃ?」
「最初のうちは、船の中にいることが多うございましたが、最近は半数程度が上陸して、港の周囲をうろつく姿も見受けられます」
「何人かに渡りは付けられぬか?」
「実は、何度か試みましたが、難しゅうございます。異人どもは個人ではなく、2~3人の集団で動いております。また、必ず里見の監視が複数付いており、接触の機会が見つけられませんでした」
「そうか……。それでは致し方ない。では、今後も情報の確保頼んだぞ」
「はっ!」
氏政は懐から、小袋を取り出すと、平伏する男に向かって放った。
袋は男の前に落ちると、軽い金属音を響かせる。それと同時に、下にあった小石が1つ弾かれて、男の頭を打った。
「これは此度の褒美じゃ。造船所を焼いた乱破働き、見事であった。色を付けておいたぞ。今後も励めよ」
「ありがたき幸せ!」
「では、さっさと去ね!」
「はっ!」
慌てたように目の前の袋をつかむと、逃げるように男は去って行った。
それを見て、氏政は苦々しい表情で呟く。
「卑しき者めが! 北条早雲様ゆかりの連中でなければ、さっさと放逐してくれるものを……」
庭を睨んでいた氏政だが、しばらくして興味をなくしたのか、どこかの部屋へと渡っていった。
…………同日 城内某所…………
「けっ! 何が『色を付けた』だ。色を付けてこれっぽっちかい! あの『汁飯野郎』しみったれてんなぁ! 梅王丸様の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぜ!!
ま、いいや、タダで教えてもらった情報が、ちょっとした小遣い稼ぎになったんだからな。
さて、これからが本番だ。あんなセコい『汁飯野郎』ことなんかどうでもいい。どんどん仲間を増やして、若様から『歩合給』をいっぱいもらうぞ!」
こんなことを嘯きながら、風間隼人は小田原の街に消えていった。




