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第321話 伊達政宗の独白①(閑話)

 ちょっと短めです。

慶長13年(1608年)12月 武蔵国 豊島郡としまぐん 芝 里見屋敷



―――――――― 伊達政宗 視点 ――――――――


 先日、里見義信(太郎次郎)から、「久しぶりに伊東一刀斎一門(同門)で集まって、釣りでも楽しまぬか?」と誘われたゆえ、里見屋敷にやってきたところだ。


 “伊東一刀斎一門”とは言うたが、今は兄弟子の御子神義明(治郎右衛門)殿が宗家として一門を率いておる。


 一刀斎様か? 御健在だぞ? 『義明(治郎右衛門)殿に跡目を譲り、隠居』という形にはなっておる。だが、宗家の地位を譲られたことで、面倒なしがらみが消えたのか、以前よりも生き生きとして見えるほどだ。この間もふらっと我が屋敷にやってこられて、「疋田景兼(豊五郎)殿と試合をしたが、決着が付かなんだ」と楽しそうに話していかれたっけ。まあ、悠々自適に過ごされておるようで何よりだ。



 今日は師匠だけでなく、兄弟子たちも参加するらしい。この立場になってしまうと、なかなか会う機会のない人も多い。国会が開会中だから大名衆ならば顔を合わすことはあるのだが、如何いかんせん国会では仕事の話が中心でな、なかなか私的な話は出来ぬものだ。


 そんなわけで、今日は思う存分旧交を温めるつもりでおるぞ。



 それにしても、このように心置きなく釣りを楽しめるようになったのは、本当に有り難いことだ。


 実は、ほんの少し前まで、伊達家(当家)は所領の統治に大きな懸案を抱えておった。切り取り次第として与えられた民答撓(ミンダナオ)島の征服が思ったよりも難航してしまったためだ。


 全国屈指の大領を誇る伊達家の力を持ってすれば、未開の島などいとも簡単に征服が出来るはずであった。征服後は、最新の工作機械を導入して一気に耕地面積を広げ、二毛作どころか三毛作も可能な好条件の下、世界に“伊達”の名を轟かす予定であったのだが……。



 いや、実際、幸先さいさきは良かったのだぞ?


 伊達軍(我ら)が島の北部に上陸したのは、文禄2年(※1593年)の10月のことであった。スペイン(ヒスパニア)の影響下にあった蒲端(ブトゥアン)を皮切りに、一月ひとつきほどで島の1/4程度を影響下に収めることが出来たのだ。


 すると、程なくして、島の大半を支配するマギンダナオ王国が2万と号する大軍を擁し会戦を挑んできた。


 伊達軍(我ら)の兵力は1万5千。策源地となった蒲端を守る兵も必要なので、全軍を駆り出すことは出来ぬ。そのような状況なので、兵力だけを見れば、いささか苦しいと思われても致し方ない。


 しかし、俺は全く焦ってはいなかった。兵力は若干劣っていても、兵たちの装備も志気も練度も、そして将たちの経験も、何もかも伊達軍(我ら)の方が上なのだ。どこに焦る必要などあろうか。


 実際、会戦に及んだ時、数に物を言わせて突撃してくるだけの敵軍は、一瞬で火砲の餌食となった。その後は、混乱する敵を鶴翼の陣からの半包囲で殲滅。さらに、潰走する残党を追って追って、一気に首都まで付け入り、王ブイサンの首をも挙げたのだ。


 ここまでの流れを見て、征服に手こずるだろうと予想できる者がいるなら、教えてもらいたいくらいだ。



 ……だが、ここからが問題だった。王の息子のクダラットという男が、山中に逃れてゲリラ戦(遊撃戦)を始めたのだ。


 この遊撃戦というのが厄介極まりなかった。なにせ、普段は普通のなりをしている人間が、こちらが隙を見せるといきなり暴れだすのだから。


 かの織田信長公も、甲賀の山中で遊撃戦を展開する六角承禎入道を完全に追い出すまで、10年近くもかかっている。


 ましてや、ここはろくに言葉も通じぬ異郷の地、全てが敵の陣地に等しい。このままでは細かい出血を強いられて、我らが先に干上がってしまう。


 困った俺は、国会で帰国した際に、義信(太郎次郎)に相談を持ちかけた。


 蜂起の拠点となった村を1か所ずつ根切りにしようか? と言う俺に、義信は、住民の相互監視と、支配階級のモロ人と原住民を切り離す分割統治、そして、税を使った潜在的敵対勢力の見分け方を教えてくれた。


 いや、助かった! あのまま“根切り”を始めてしまえば、完全に落ち着くまで何十年かかったことか。少なくとも、収支が黒字に転ずるのは、まだまだ先になったことであろうよ。



 おかげで、あと5年もあれば何とかなりそうな目処は付いた。しかし、“目処が立った”とは言っても、あくまでこれは「順調にいけば」の話だ。


 肥後(本国)の鉱山送りにしたクダラットが舞い戻ってくる可能性は、万に一つも無かろう。問題は、いつ起こるか分からぬ天災だ。流石に天災の発生を、神ならざる人の身で予測することは難しい。


 この島は、南方に付きものの台風(野分)の被害がほとんど無いのが幸いだ。しかし、決して油断は出来ぬ。



 実際、隣の根黒州(ネグロス)島に封じられた小野寺義道(孫十郎)は、せっかく作った壮麗な天守閣が、台風で根本から吹き飛ばされてしもうたのだ。その嘆き、いかばかりか……。


 義道(孫十郎)の領地は“切り取り次第”とはいうものの、ほとんどスペイン(ヒスパニア)から引き継いだもので、制圧と開発は、我らとは比較にもならぬほど容易たやすかった(※だから、友人のよしみで、何回か援軍も派遣してもろうておった)。砂糖栽培による収益も大きく、余所よその大名家に先んじて、領地を返納する話も出ておったのだ。


 ところが、数年前に受けた、その台風の被害が甚大で、結局返納は、今年までずれ込んでしもうた。


 早期返還が予想されていた小野寺家ですらこうなのだ。現時点でも猶予措置を申請してギリギリな伊達家は、危ういことこの上ない。


 そこで、同じような悩みを抱える島津公や武田侯らと申し合わせ、相国府に直談判に行ったのだ。


 すると、あれよあれよと言う間に話が付いて、気が付けば『領地返上猶予法』が国会に提出され、成立しておった。


 しかも、伊達家は、弟の田村頼顕(小次郎)の担当だった蘇祿(スールー)諸島を担当に加えるという名目で、最長20年の猶予を得ることが出来たのだ。


 5年計画で目処が立っていたのが20年に。これなら、いくら何でも期限に間に合わぬことはあるまい。これでやっと枕を高くして寝られるわ。



 そんなわけで、今は心が晴れ晴れとしておる。今日は思う存分釣りを楽しむぞ!





 1話で釣りの結果まで収めるつもりだったんですけどね……。

 と、いうわけで、今週はここまでです。次話は来週月曜日7時頃投稿予定です。

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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
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