第299話 病床の里見義弘
訳あって、かなり長めです。
慶長4年(1599年)3月 上総国天羽郡 湊城
……皆さんこんにちは、酒井政明こと里見義信です。
今は、里見義弘さんの枕頭にいるんだ。
義弘さん? 今は、って言うか、俺が駆けつける前から寝てるよ。
実は、俺が義弘さんの寝所に駆けつけた時、既に義弘さんの目が閉じてるもんだから、一瞬慌てたんだ。だけど、よく見たら胸が軽く上下してたんで、ちょっと安心したよ。
付き添ってた松の方さんに聞いたら、永田徳本先生が席を外してすぐ寝ちゃったんだって。
その後、荒川頼景からの知らせを受けて、続々と子や孫たちが集まってきた。だけど、全員が入るにはちょっと部屋が狭いんで、今は、正室の松の方さんと側室の春さん、子供たち8人と医師団以外は、隣室で待機させてるんだ。
いくら義弘さんがVIPだって言っても、病人を大広間に寝かせとくわけにはいかないからね。
で、当の義弘さんなんだけど、痩せ細って頬がこけてる上に、明らかに顔色も悪い。こりゃ、徳本先生が匙を投げちゃったのも分かるよ。
ただなぁ、今回発作が起こったのは事実なんだけど、その後の症状の悪化は、本人の気力の問題も大きいような気がするんだ。
確かに中風の発作のせいで失語気味になったし、右半身には麻痺も出てる。だけど、現時点でも全く言葉が出ないわけじゃないし、左半身は動くんだよ。
でも、2度目の発作が悪かったのか、はたまた歳をとったせいもあるのかね。前回よりも症状は明らかに重篤なんで、本人が絶望しちゃったような感じがするんだ。
で、そんな状況だから気力が出ない。気力が出なきゃリハビリも出来ない。動かないから腹も減らない。腹が減らなけりゃ飯を食わない。飯を食わなけりゃ動き出す力が出ない。そんな負のスパイラルに嵌まり込んじゃってるのかなと。
俺も、松の方さんたちも、気力が湧きそうなことを言いながら励ましては来たんだけど、なかなか乗ってこないんだ。
え? ちょうど良い祝いのネタとかは無いのか、って?
それがねぇ、運悪く倒れる直前に、末娘の結婚と初孫の結婚って、とっても大きいのが2つ終わっちゃってるの。
実は、昨年末に、朱常洛くんと楓、義継と朱軒媖ちゃんの結婚式をダブルで実施しちゃったんだ。
あ、俺の長子の梅千代王丸の諱には、亡くなった義頼さんの初名『義継』を貰ったよ。当然、龍雲院や蘆名義盛には許可を貰ってね? 2人とも「我が夫(父)の名が残る」って、とっても喜んでくれたんだ。
ちなみに、さっき言った4人なんだけど、全員天正10年生まれなの。まあ、中世のことなんで、この辺はあんまり気にしないでほしいな。現代だといろいろとツッコミどころが満載だけどね。
話を戻すね。本当だったら、こんな重要な結婚式は別々に実施するものなんだ。だけど、そうすると、どっちを先にしたかで揉めるのが確実だったの。だって、この4人の関係、日本と明とか、叔母と甥とか、姉と弟とか、正室腹と側室腹とか、どこに視点を置くかで、優先順位がまるで違ってくるんだもん!
どうしようか頭を悩ませてたら、当事者の4人が全員口を揃えて、「早く祝言を挙げたい、一緒が良い」って言うもんだから、「じゃあ!」ってことで、まとめてやっちゃった。もちろん日本で、だよ?
あの時は「順番で揉めることも防げたし、予算も圧縮できたし、一石二鳥だ」って思ってたんだけどね。こんなことになるんなら、どっちか一組を後回しにしときゃ良かったよ。
え? 孫の誕生とかの慶事は無いのか、って?
そっちもあるよ。あるんだけどさ……。
もう既に、義弘さんの初孫は結婚するような歳になってるんだよ? 孫は全部で……。確か27人だったかな? こんな状況で1人2人増えても、心理的なインパクトは、ねぇ?
これが、明国の皇太孫(※予定)になる楓の子とか、初の曾孫になる義継の子とかだったら、違ったんだろうけど……。どっちの夫婦にも、「妻が満18歳になるまで子作り禁止!」って通達しちゃったんだよね。
何で? って、母体の保護のためだよ。だって、医療技術が格段に進歩した現代だって、お産が原因で亡くなる人はいるんだ。リスクは減らせるだけ減らしたいじゃん?
確かに里見家の子たちは、栄養バランス良く食事を摂らせてるし、しっかりと運動もさせてる。だから、他家に比べたら危険は少ないよ? けどさ、この2組は国同士の関係も関わってくる重要カップルなんだよね。万が一のことを考えると、どうしても慎重になっちゃうよ。
てなわけで、その2組は見込み無しなの!
え? 今から慌てて仕込ませろ? 義弘さんは危篤なのに、どう考えても間に合うわけ無いでしょ!?
他に作戦は無いのか、って?
戦大好きな義弘なんで、ちょっと前なら戦のネタで釣ることも出来たんだろうけど……。流石に今の義弘さんの年齢じゃあ、戦働きには高齢過ぎるし、そもそも、近在のめぼしい敵は潰し尽くしちゃったんで、相手自体が見つからないという(笑)
現状は、こんな感じ。一言で言えば『八方塞がり』なんだよね……。
こんなことを考えてると、寝ている義弘さんの眉が、僅かに動く。と、次の瞬間、ゆっくりと瞼が開いたんだ。
「………………義信……殿は、ある……か?」
「父上、義信はこちらに」
「……おお、義信…………殿、済まぬ……が、起こして……たもれ」
「父上、お体に障りますぞ?」
「良い……のだ。最後……は、皆と……会うて……から、逝き、たい」
「体を起こすのですね」
こう言いながら、徳本先生の方を見やれば、先生は顔をしかめながらも頷く。きっと『安静にさせたい』とは思いつつ、『患者の最後の望みを叶えてやりたい』っていう思いもあるんだろうね。
俺はそれを確認した上で、義弘さんの背に手を伸ばす。
軽い。寡兵で大軍を打ち破ることも多かった、当代屈指の武人が、百戦錬磨の名将 里見義弘が、そして、大きな手で幼い日の俺を抱き上げてくれていた、偉大な父親が、このように小さく、そして軽くなってしまったなんて!
俺は必死で涙をこらえながら、なんとか義弘さんの体を抱き起こす。
「………………義信……殿、歳の……せい……か……声が……かすれて……しまう……ゆえ、儂の……話……を……皆……に……伝えて……もらえぬ………………か?」
「父上、某に断りなど不要にございます。何なりとお申し付けくだされ」
「……うむ。……では………………………………………………」
その後、義弘さんは、2人の妻と8人の子たち一人一人に、これまで秘めていた思いを語っていった。妻への愛情と感謝に溢れた言葉や、子どもの誕生時や成長の過程で考えていた話などは、多くが涙を誘うものだった。……若干、俺の話だけ、びっくりどっきりエピソードになってたけど。
「……………………関東副帥などと悦に入っていた儂の子が、位人臣を極めた。これほどの果報者はどこを探してもおらぬ。それに、中年まで子宝に恵まれなんだ儂が、今は30人近い孫に囲まれておる。こちらは、土岐為頼公には届かなんだがな。ただ、できることなら、曾孫と明国の皇太孫をこの手で抱きたかったが、そこまで求めては罰が当た……」
「父上、兄上、お待ちください!」
俺がここまで語ったところで、末席に控えていた楓が声を上げた。
見れば、いきなり俺の話を遮ったせいか、楓の表情はかなり硬い。義弘さんも疲れた表情で楓を見つめてる。このまま放置しておくわけにも行かないんで、俺は発言を促す。
「楓、いかがした?」
そこで、楓から飛び出したのは。
「実は、しばらく月のものが来ておらず……」
は? ちょっと待て! お前いつの間に!?
と、混乱する俺を余所に、義弘さんは目をぱっちりと見開いた。
さらに隣室からおずおずと手が上がる、義継だ。
あっ! まさか!?
「御祖父様、実は軒媖も、しばらく月のものが……」
予想通りだったよ!! コイツら! さては、内緒で仲良くしてやがったな!
あ! まさか、合同結婚式を望んだのも、このせいか? チクショーめ! やられた!!
心穏やかではいられない俺の腕の中で、いきなり義弘さんが大声を上げた。
「真か!! こうしてはおられぬ! しゃべりすぎて疲れたゆえ、今日は寝る! 楓、義継、続きは明日聞かせてもらうぞ!」
みんなが呆気にとられる中、義弘さんは床に就き、そのまま軽い寝息を立てながら寝ちゃった。
それでもしばらくは、みんな脇に控えてたよ? でも、脈を取った徳本先生が信じられないものを見るような表情で、「峠は越えたようにございます」なんて言うんで、みんな自室に下がったんだ。
確かに『病は気から』っては言うけどさ、義弘さん、ちょっとメンタルの影響、大きすぎじゃね? まあ、前から思ってたことではあるんだけど。
それにしても、ナイスサプライズだったな。楓と軒媖ちゃんには感謝してもしきれないよ。
ま、義継と常洛くんは説教だけどね。だいたい2時間コースかな?
結果的に義弘さんの命を救ったとは言え、俺の指示に背いてお楽しみしちゃってたんだからさ。
『それはそれ、これはこれ』だよ!
結局、義弘さんは麻痺は残ったものの、元気を取り戻し、無事に皇太孫と初曾孫をその腕に抱くことが出来たという。
〈Wiki風解説〉
里見義弘
生没 享禄3年(1530年)~慶長8年(1603年)
別名 太郎(幼名)、義舜(初名)、瑞龍院(出家名)
官位 左馬頭 大御所
称 関東副帥 大殿
氏族 安房里見氏
父母 父:里見義堯、母:土岐為頼の娘
兄弟 義弘、義頼、義政、忠弘、弘光
妻 正室:青岳尼(足利義明の娘)
継室:松の方(足利晴氏の娘)
側室:春の方(薦野時盛の娘)
子 義信、大崎義兼、土岐弘頼、上杉弘景、正木義断、
桃姫(織田信吉室)、菊姫(佐竹義宣室)、楓姫(朱常洛室)
里見 義弘は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。安房里見氏の第6代当主。里見幕府初代将軍 里見義頼の兄(義父)、初代総理大臣(相国)里見義信の実父。
永禄年間初めに父・里見義堯より実権を譲られて、義舜から義弘へと改名したとされる。
父と同様に後北条氏と徹底して対立した。しかし、永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦で北条軍に大敗し、更に北条水軍などの攻撃と、正木時忠、土岐為頼、酒井敏房ら上総国の有力領主の離反によって、上総国の大半を失った。
このため、里見氏の勢力は一時衰退したが、永禄10年(1567年)に三船山合戦で北条軍を撃破して勢力を挽回し、佐貫城を本拠地として安房国から上総国・下総国にかけて領国体制を築き上げた。その後、漂着したスペイン船(マニラガレオン)を利用して海軍力を高めるとともに、広く交易を行うことで経済力も高め、浦賀沖海戦や第三次国府台合戦で北条軍に大勝し、東関東の覇権を得た。しかし、この合戦により重臣の正木憲時、正木時通らが戦死したことで、北条氏と敵対する方針を改め、実子で義頼の養子だった梅王丸(里見義信)と北条氏政の娘(鶴姫)を婚姻させることで同盟を締結し、長年の敵対関係に終止符を打った(房相一和)。
この頃から居城を下総の佐倉城に移し、常陸 土浦城の義頼、上総 湊城の梅王丸(義信)の三頭体制による分権的な領国統治を開始した。また、織田信長に接近し、長篠合戦には直接兵を率いて参戦することで信長との関係を深めた。
しかし、天正6年5月、上杉謙信死去後の混乱を鎮めるさなか、佐倉城で中風の発作を起こし倒れた。症状は軽微であったものの、家督を義頼に譲り隠居。同時に出家して瑞龍院と号した。以降、政治の一線からは退いたもの、義頼、義信の補佐をしながら政治・軍事の両面で影響力を保ち続けた。特に軍事面では、甲州征伐、奥州征伐、羽柴秀吉の乱などの重要な合戦に参戦し、戦功を挙げている。
里見幕府が開かれ、義頼が征夷大将軍に就任するのに合わせ、大御所号が贈られる。また、将軍位が義信に移った際には、北条氏政とともに幕府の相談役を務めた。
慶長2年2月の大政奉還に合わせて完全に政治の世界から退く。しかし、慶長3年12月、隠居先の湊城で2回目の中風の発作を起こし、一時危篤となった。永田徳本ら主治医の治療により一命は取り留めたものの、結局半身不随となり、そのまま慶長8年に湊城で死去した。戒名 瑞龍院殿在天高存居士
義弘は将軍職には就かなかったものの、義頼・義信の二代にわたり里見家の中枢を支え続けた功績により、後世においては名将として高く評価されている。
義信「おい、お前ら! なぜ私の言うことを聞かなかった! 妻の身にもしものことがあったら、どうするつもりだったのだ!?」
義継「でも、父上は15歳で、17歳の母上といたしたと伺っておりますぞ?」
常洛「それに比べ、我らは皆17にございました」
義信「(く~~っ)……アレは、そう! 妻の方から迫ってきたゆえ、致し方なかったのだ」
義継・常洛「「我らも妻から迫られました!」」
義信「(く~~っ)……………………分かった。下がってよい」
義継・常洛「「はい!」」
義信(何も言い返せん! それにしても、なぜ、俺の周囲の女どもは、こうも肉食系ばかりなんだ!?)
義継「いや~、上手く言いくるめられたな!」
常洛「しっ! 声を控えよ! 義父上は、ものすごい地獄耳ぞ!」
義継「や! すまんすまん」
常洛「分かれば良いのだ。それにしても助かった」
義継「ああ、やはりこういうことは母上に頼るに限る」
常洛「違いない」
義継・常洛「「わははははは」」




