第295話 ヌルハチ
慶長3年(1598年)11月 武蔵国豊島郡 千代田城 吹上曲輪 相国府
みなさんこんにちは、酒井政明こと里見義信です。
昨日は朝鮮国の使者 李山海を相手にしてた俺だけど、今日はこれから、宇喜多秀家に捕らえられた女真族の族長の戦争犯罪について、判決を下すとこなんだ。
え? 捕らえてから判決が下るまで、ずいぶんと時間がかかったな、って?
これが日本国民ならなんも問題無かったんだけどね。女真族とは言え、一応相手は明国の付属民なんだよ。そんなわけで、ちょっと関係者との連絡調整に時間がかかったんだ。
まあ、やっとそれも全て済んだんで、今日、晴れて判決を下せることになったってわけ。
連日海外の人間を相手にするのは、逆に急ぎすぎじゃないか、って?
それは分かってるんだけどさ、出来ることからさっさと決着を付けちゃいたいんだよ。国会の開会まで、もう10日を切ってるんでね。なんせ、ほれ、俺、総理大臣だし。
おっと、遠くから喚き声が聞こえてきたよ。
聞いた話では、捕らえた男は幾つもの部族を束ねる“大族長”らしいんだけど……。でも、これじゃあ、本人の資質どころか、選んだ(?)部族民自体の価値が問われかねないレベルだよ。そもそも喚いたって何も解決しないどころか、逆に事態を悪化させかねないのにね。
俺が内心呆れながら待ってると、程なくして、獄吏に引き立てられた1人の男が白洲に入ってきた。
「控えい! 控えいと言うに! この蛮族め! 相国様の御前であるぞ!」
『放せ! この、下郎どもがッ!! 俺を完顔氏の流れを組む扈倫の王と知っての扱いか!』
こりゃ、あんまりだね。こんなんじゃ話にならないんで、ちょっと折ってやらなきゃ。じゃ、まずは煽る方向で。
俺はあからさまに蔑んだ表情を作ると、喚き暴れようとする男に向かって、こう言い放ったんだ。
「ふーん、完顔氏と言えば、金国皇帝の末裔ではなかったか?
金国滅亡の折、皇統に繋がる名将完顔陳和尚は、敗戦の後、潔く自ら敵陣に赴いて処刑するよう求めたと聞くが……。
普通は、一敗、地に塗るるとも、王ともなればそれなりの態度を取れるものだがな。どうやら、蛮地暮らしが長くなるうちに皇統の誇りも消え失せたと見える」
『何だと! 儂が縛られていると見て、好き勝手なことを言いおって! この縄、無かりせば、必ずや縊り殺してやるものを!!』
お、乗ってきた乗ってきた! 関係筋から得た情報だと、コイツの武芸は『人並み以上』レベルらしい。
『人並み以上』程度じゃあ、俺にとっては目をつぶってても勝てるぐらいのレベル差だ。あ、だからってホントに目をつぶって戦わないからね?
ま、そんなわけで、ちょっと揉んでやりますか!
俺は、男の不敬な物言いに苛立ったような表情を作ると、一瞬遅れてこう言った。内心では、ほくそ笑みながらね。
「……ほう! 面白いことを言うではないか? お主のような図体ばかり大きくなった薄鈍に、予が縊り殺せるものか! おい、この者の縄を解いてやれ!」
「……はっ」
獄吏があんまりにもあっさりと縄を解いたんで、男は一瞬面食らった表情を浮かべた。けど、すぐに獰猛な笑みをたたえると、喚声を上げながら、俺に向かって突っ込んできたんだ。
で、俺はそいつが伸ばしてきた腕を取ると、勢いそのままに、投げ飛ばす。背中から白洲に叩き付けられた男は、しばらくの間、地べたでのたうち回ってた。けど、一頻りのたうち回った後、ゆっくりと立ち上がった。怒りを湛えた目で俺を睨め付けながらね。
「ほう? 立ち上がるか? 図体だけの根性無しかと思うたら、意外に頑丈ではないか」
『ほざけ! このようなもの、痛くも痒くもないわ!!』
「それにしては、ずいぶんと長い間悶え苦しんでおったようだが? 以前に試合た女真族の男は、倒れてもすぐに立ち上がったものだがな」
『喧しい!! 転がっておったのは……! そうだ! お主を油断させるためだ!! 俺の手が届くところまで近づいたら、きっと、その首ねじ切ってやったものを! 命拾いしたな!!』
「(『そうだ!』って……)ま、減らず口が利けるということは、まだまだ大丈夫であろう。ほれ、遠慮無う掛かってこい」
『言われずとも!! この! ぐぇッ』
結局、この後、攻撃をかすらせもせずに5回投げ飛ばしたてやった。それでも、「武器さえあれば!」とか甘いことを抜かすんで、青竜刀(※真剣)を与えて、相手してやったよ。俺の得物は木刀でね。
で、木刀でけちょんけちょんに叩きのめしてやって、やっと心が折れたんだ。これでやっと、落ち着いて話ができるかな?
俺は白洲で完全にへたばっている男に声をかける。
「予の方が強いことが分かったであろう? これで、話を聞く気になったか? まだ、足りぬとあれば……」
『も、もう十分じゃ!「じゃ?」い、いや、も、もう十分です!!』
「ならば良し。では、此度の仕置きを申し渡す。
朝鮮国内の同胞を救わんとした其方の行動はある程度理解はできる。しかし、その後の匪賊のごとき振る舞いは、到底許容できるものではない。
その上、平壌に軍を進めるならまだしも、欲に駆られて全く無関係の新羅領へ侵入したこと、言語道断の所業である。
本来であれば引き回しの上、獄門を申し付けるが妥当……」
「ごくり」と、男が息を呑む音が聞こえる。
「なれど、同盟国より減刑の嘆願と身元引受けの申し出があったゆえ、刑の執行を猶予するとともに、猶予の期間は同盟国に奉公するよう申し付ける」
『ま、待っ……。お待ちくだされ! それは、”同盟国”とやらの“奴婢になれ”という意味でござるか?』
「いや、“同盟国に家臣として仕えよ”という意味だが? ま、主君に逆らうようなことがあれば罰せられようし、日本国やその同盟国に仇なすようなことがあらば、討伐されるだろうがな。ちなみに、討伐軍の将軍は予の武術の師匠になるやもしれぬ。その際は覚悟しておくように」
『(そ、総王の師匠だと!? 総王自体があれほどに強いのに、その師匠など、万に一つも勝ち目が無いではないか!)決して、決して逆らうことなどいたしませぬ!! どうか同盟国の家臣にしてくだされ!』
「うむ! 願いを、聞いた!」
俺はこう言って大きく頷くと、振り返って裏に向かって叫ぶ。
「聞こえましたかな? 葉赫 (イェヘ)部の王 ナリムブルが、『家臣になる』そうですぞ」
『いやいや、畳重、畳重。これで妻や義母を悲しませずに済みますわい』
奥の間から声がして、スッと襖が開く。そこから現れたのは、1人の辮髪の男だった。決して大柄ではないが、引き締まった体は、その姿を実際以上に大きく見せている。その男は、持ち前の鋭いつり目を緩めると、笑いながら白洲に座り込むナリムブルに語りかけた。
『わはは、義兄殿、なかなか良いざまではないか!』
『な、なぜお主がここに!?』
『「なぜ?」と言われても困るのだが。総王様は以前より、我が領の本溪から出る石炭を買ってくださっている上得意様なのだ。お主は知らなかったか? それに、総王様は強いぞ。この儂でも一勝も出来なんだ。ま、義兄殿も今、身に染みて分かったと思うがな』
『知っておったのになぜ教えぬ!?』
『いや、聞かれれば教えてやったぞ? そもそも、朝鮮に出兵するにあたって、お主ら海西四部と東海三部は我ら建州部に何か諮ったか? それでは教えようもあるまい』
『うぬぬぬぬ』
『おおかた、戦で財貨と奴隷を得て、我らに再戦を挑もうとでも考えていたのであろう。が、国外に手を出す時には、しっかり下調べをせんと。ま、此度の敗戦は良い薬になったであろう。これからは、儂の臣下としてしっかり働いてもらうでな』
『な、ではさっきの“同盟者”とは!?』
「そうだ。満洲部の王、ヌルハチ殿のことだ!」
赤くなったり白くなったりと、目まぐるしく顔色が変わるナリムブル。ここでヌルハチさんから最後の追い打ちが……。
『そうそう、義兄殿を始め、戦士たちの多くが囚われてしもうたせいで、この3か月、海西四部と東海三部は、夜盗や外敵の侵入が頻発して大変だったのだぞ? ああ、安心せい。女子供は皆無事じゃ。日本国から援軍を得て、我ら満洲部が、全て保護しておいてやったからの。なに、礼はいらぬ。妻の実家が滅ぶのを見るのは忍びないでな。わっはっはっはっはっはっ』
がっくりと項垂れたまま、侍従に連れられて出て行くナリムブルの背に、ヌルハチさんの哄笑が突き刺さる。いつまでもいつまでも……。