第283話 慶長伏見地震
文禄5年(1596年)閏7月13日未明 紀伊国 名草郡 和歌山城
ドーンと突き上げるような揺れ。俺は刀を引っ掴むと、庭に走り出た。十三夜の月明かりの下、目の前で屋敷がギシギシと音を立てながら揺れる。外でも感じることが出来る大きな揺れ。
女衆の甲高い悲鳴が轟く中、「上様、上様は御無事か!?」との叫びも聞こえてくる。
俺は、「無事だ、安心いたせ! 今、庭におる!」と高らかに返す。と、同時に、駆け寄ってくる家臣どもの足音を聞きながら、内心では冷静に「震度4だな。予想通り」などと考えていたのだった。
文禄5年(1596年)閏7月13日早朝 大坂湾 船上
皆さんおはようございます。酒井政明こと里見義信です。
今は御座船である蒸気船『総州丸』に乗って、大坂を目指してるとこなんだ。今朝の地震の後、なる早で和歌山を出立したんで、もうすぐ港が見えてくるんじゃないかな?
え? 何が起こってるんだ、って?
うん、いわゆる『慶長伏見地震』だね。
年号が違う? 実は、この地震による被害が酷かったから、急遽、『文禄』から改元されたのが『慶長』なんだよ。本当は文禄年間に起こったんだけど、年末の元号が慶長に変わってたたんで、『慶長伏見地震』って言うんだ。
ちなみに、4日前に起こった地震も、後世では『慶長豊後地震』って名前で呼ばれてるよ。
当然ながら、地震が起こるのは事前に分かってたんで、豊後・伊予方面は沿岸部を中心に庶民に動員をかけて、泊まりがけで川の中流域の堤防工事とかをやらせてた。だから、ゼロは望めないにしても、史実よりも被害は少なくなってるとは思うんだ。
それだけじゃなく、動員してた庶民は組織的に災害対応に転用できるんで、一石二鳥の策だったと思うよ。
さらに、今期の老中のうち、西国に領地を持つ土岐頼春(筑前福崎54)、佐竹義重(伯耆倉吉31)、長宗我部元親(土佐浦戸20)を俺に先んじて出発させ、支援に入れるようにしてある。
これで豊後・伊予方面はどうにかしてもらうしかないね。
で、問題は京都だ。
こちらは、な~んにも対策は採ってない。あ、畿内でも、同じように動員はかけてたけど、巨椋池以北には手を出してないんだ。「京の街は朝廷のお膝元。騒がすことは本意ではない」とか言ってね。
当然意図的にだよ。
その、お膝元の京都のことなんだけど、後陽成天皇陛下が15日に観月の会をやるとかで、10日から伏見の指月にある離宮に御幸なさってるって情報が入ってる。殿上人をいっぱい引き連れてね!
お前、やったな?
いやぁ、俺がやったのは、伏見に離宮を建てて献上したことと、どれだけ指月からの十五夜の眺めが素晴らしいかってのを、あちこちで吹聴したぐらいだよ?
だから、このタイミングで滞在してたのは、「俺のせいだ!」って決めつけられないと思うんだ。
まあ、秀吉の伏見指月城と違って、突貫工事で完成させたわけでもないし、天守閣も作ってないんで、崩れる心配はそんなに無いんじゃないかな?
それに、大坂に駐屯してる第4師団の荒川秀景と、大津に駐屯してる第5旅団の亀井茲矩に、「豊後・伊予方面への移動準備のため即応態勢を取れ」って指示を出してあった。彼らは優秀だし、軍には有事のマニュアルも作ってあるんで、俺が指示を出さなくても、今頃は救援活動が始まってると思うよ。
おっと、陸が見えてきた。陛下、もうしばらくお待ちください。すぐに、里見義信が参りますからね。
文禄5年(1596年)閏7月13日昼前 山城国 紀伊郡 伏見離宮
離宮の庭園に立てられた天幕で、俺は後陽成天皇、そして、関白 近衛信輔さん以下、朝廷の高官たちと面会を果たすことができたんだ。
流石に御簾は無いけど、陛下は離宮から運び出された畳を重ねて座り、高官たちは床几に腰掛けてる。
俺は、陛下の前に進み出ると、まず、深々と頭を下げた。
「この一大事に遅参いたしましたこと、面目次第もございませぬ」
「『遅参』などとんでもない! 京の街からですら出てこぬ者もおる中、義信は、はるばる坂東より、その日のうちに来ておるではないか! それだけではない。麾下の荒川秀景や亀井茲矩は、まだ揺れが治まらぬ中、朝のうちから働いており、それによって救われた者は少なくない。誠に見事な働きであるぞ!」
「勿体なき御言葉! 恐悦至極にございます」
陛下から直答を賜った後、今度は脇に座っていた近衛信輔さんが口を開いた。
「して、義信殿、京にはどれぐらいで戻れそうでおじゃるか?」
「誠に申し訳ないことなれど、すぐには難しかろうと存じまする」
「そりゃ、何故でおじゃる?」
信輔さん、「意外だ!」みたいな顔をして問い返してきたけど、今の状況はそんなに簡単じゃないんだよ? ……って、周りを見回したら、どうやら、みんな良く分かってないみたい。面倒だけど説明するしかないか。
俺は、内心苦々しく思いつつも、務めて平静な顔で説明する。
「はい。色々と調べましたところ、此度の地震で、御所は清涼殿より出火し、全焼しておる由にござる。
また、下の京を中心に家屋の倒壊おびただしく、治安の悪化も懸念されまする。
さらに、まだ時折大きな揺れが起こっており、昨晩の揺れで残った建物も、いつ倒れるやも知れず、しばらく京に戻るのは危険かと」
「なんと! このまま野ざらしでおじゃるか!?」
「京周辺に留まる限り、その方がまだ危険は少のうござる。が、玉体を野に置くはあまりにも申し訳ないこと」
「では、いかがなさるのじゃ?」
やっと来ました! 俺は温めていた案を開陳する。
「はい。安土へ御幸いただければと。
幸い安土には、織田信長公が、正親町天皇陛下をお迎えせんと造らせた御殿がそのまま残ってございます。さらに、旧安土織田家は先年百済国に移り、現在は空き城となってござる。しかも、今から移動を始めても、安土であれば夕刻には到着できましょう。
いかがでござる?」
「しかし……………………」
「近衛信輔、苦しゅうない」
「主上!?」
五畿内の外へ出ることに抵抗があるのか、渋い声を上げる信輔さんだったけど、それを制したのは陛下だったよ。
「このままでは皆、気も休まらぬ。皆の安全が守れる一番の場所が安土ならば、朕に否やはない」
「はっ!」
「では早速、先触れを出しまする」
「義信、頼んだぞ」
「はっ!」
こうして、安土が仮御所になることが決まったんだ。
ま、あくまで安土は一時避難場所だ。安土にいらっしゃるうちに、しっかりと安全な御所の整備を進めないとね!
今週はここまでです。
次話は来週月曜日7時頃投稿予定です。