第272話 各陣営の思惑(閑話)
万暦18年(1590年)2月 明国 広東布政使司 澳門ポルトガル人居留地
「コエリョの馬鹿め! 何ということをしてくれたのだ! 日本は目と鼻の先の香港島に拠点を築いているのだぞ!」
マカオの行政長官 ドミンゴス・モンテイロは怒り狂っていた。
「しかし、コエリョは先月長崎で亡くなったと……」
「だから始末に負えぬのだ! 『コエリョが勝手に言ったことだ』と日本側に引き渡せたなら、口実を1つ潰せたであろうに……。勝手に死んでしまっては責任をとらせることも出来ぬではないか!!」
「カピタン モンテイロ。お怒りなのは良く分かります。しかし、怒っていても時間は過ぎるばかり。どのような対策をお考えで?」
副官の言葉で、即座にそれまでの怒りを抑え込んだモンテイロは、少し考え込むような仕草を見せた後、こう言った。
「金はいくらかかっても構わん! 1人でも多くの日本人奴隷を買い戻すのだ!」
「そこからですか?」
「そうだ! 他の件は『誤解だ』と主張も出来ても、こればかりはどうにもならん。『最初にポルトガル商人に奴隷を売ったのは日本の商人だ』とは主張するつもりだが、恐らくはその程度では納得するまい。出費は痛いが、極東の稼ぎ頭、マカオ―長崎航路を維持するためだ。少しでも誠意を見せておかねばなるまい。
それと、マラッカとゴアにも急使を送って援軍を求めておけ。今回の件が言いがかりなら、きっとヤツらは攻めてくるぞ」
「マニラはどうしますか? マラッカよりまとまった兵が駐留してますよ」
「忌々しいスペイン人を頼るのは業腹だが……! 待てよ! コエリョのアホは『マニラから援軍が来る』などと嘯いていたと聞くぞ。と、言うことはだ、スペイン人どもがコエリョを焚き付けたという流れに持って行けるかもしれん! よし! ヤツらに責任を取らせろ!!」
「どうやってです?」
「『スペイン人がコエリョに、おかしなことを吹き込むから、こちらは大変迷惑をしている』とでも言ってやれ!」
「なるほど。それなら頭を下げなくても援軍ぐらいは送ってくるかもしれませんね。では早速使者を送ります。 ……ところで、イエズス会の件はどうなさいますか?」
「元はと言えば、ほとんどはイエズス会員の不始末ではないか。会の者には責任をもって火消ししてもらわねばならぬ。都合の良いことに、ちょうどヴァリニャーノ巡察使が日本の少年使節どもを伴って滞在しておる。使節団を帰国させるついでに、江戸に送り込めば一石二鳥であろう」
「それでは早速ヴァリニャーノ殿を呼び出します」
「うむ、なるべく早くだぞ」
「はっ!」
1590年3月(※旧暦2月) ヌエバエスパーニャ副王領 マニラ フィリピン総督府
「コエリョの間抜けめ! 何ということをしてくれたのだ! 日本は目と鼻の先の台湾や、アカプルコ・ガレオンの寄港地であるグアム島に拠点を築いているのだぞ!」
フィリピン総督 サンティアゴ・デ・ベラは怒り狂っていた。しかも彼の怒りの矛先はコエリョだけではなく……。
「あのポルトガル人もだ! 日本人を奴隷に売ったのも、明の海禁を破ったのも、みんなポルトガル人の仕業ではないか!
私たちは20年近く前から、里見家と上手くやってた。その里見家が日本の執政になって、『さあこれから!』という時に、なんてことをしでかしてくれた! しかもコエリョのアホは『マニラから援軍が来る』とか言ったと聞く。とんでもないとばっちりだ!
だから私はポルトガル人と合邦するなど反対だったのだ!」
「総督閣下、私も全く同感です。しかし、日本側は、我が国を『イスパニア・ポルトガル連合王国』と呼び、同一視しております。誤解を解くにせよ、ポルトガルと組んで対抗するにせよ、早々に善後策を練らねばなりません。我らはどのように動けばよろしいでしょうか?」
副官の言葉で、即座にそれまでの怒りを抑え込んだベラは、少し考え込むような仕草を見せた後、こう言った。
「まずは、日本に仕官しているイスパニア出身の連中に繋ぎを取って、誤解を解くための運動をさせろ。金はいくら使っても構わん。
それから、並行してマニラの防備を固めるんだ。防壁を築き砲台を構え、もし、日本人が攻め寄せてきても、簡単には攻め落とせないようにするぞ。
それと、すぐにメキシコの副王閣下に急使を送り、援軍を求めるんだ!」
「分かりました。しかし、メキシコとの連絡はどんなに急いでも6か月はかかりますが……」
「その6か月を持ちこたえられる城を築くんだよ! なぁに、日本人だって海を越えてくるんだ。すぐには大軍は揃えられないだろう?
仮に大軍が揃えられても、食糧を運ぶのにだって手間がかかるんだ。それに、フィリピンで屋外に陣取って城攻めなんかしようものなら、すぐに疫病が蔓延するに決まってる。もしかしたら、メキシコから援軍が届く前に、日本人たちの方が音を上げるかもな」
「しかし、我々の兵は原住民をかき集めても5,000足らず。日本人が1万も押し寄せてきたら……」
「そこは、ポルトガル人どもに責任を取らせろ。マカオはともかく、ゴアやマラッカ、ティモールには兵が余っているだろう。ヤツらが撒いた種だ。そのぐらいは責任を取ってもらわんとな! さ、分かったらさっさと使者を出すんだ」
「はっ!」
全く同じようなことを考えている者がいることを、彼らはまだ知らない……
天正18年(1590年)4月 ??? ??? 某開拓拠点
あちこちで槌音や鋸音が響く港の一画。そこに設けられた要塞の作戦室では、新天地への入植に応じた7人の元大名たちと、屯田兵を統率する4人の旅団長が卓を囲んでいた。
と、おもむろに扉が開き、5人の男たちが室内に入ってくる。そして、先に入ってきた2人が椅子を引き、後から入ってきた3人が腰を下ろしたのである。
全員が着席したのを見て、中央に座った男が壁際に控えていた士官に声をかける。
「黒川少佐、もしや、皆をだいぶ待たせてしもうたか?」
「いえ、早く来た方でも30分は待っておりませぬ」
「ならば安心した。ちょうどこちらに向かおうとした矢先に江戸より連絡があっての。大分長く待たせてしもうたのではないかと心苦しく思うておったのだ。
さて、馴染みの顔もあるが、初めての者もおるゆえ、先に挨拶させてもらう。此度の遠征軍の総帥にして征南将軍の任を仰せつかった畠山義長である。皆の衆、よろしく頼む」
「同じく、此度の遠征で北方軍の指揮を執る、勝又義仁にござる。お見知りおきを」
「南方軍の指揮を執る、山川貞孝にござる。よろしくお願いいたす」
「「「「「よろしくお願いいたしまする」」」」」
「さて、皆の衆、田植えがまだ終わらぬ忙しい中、集まって貰うたのは他でもない。既に聞き及んでいる者もおることと思うが、このままなら、4月30日に日本はヒスパニアと開戦となる。
手切れとなった後、我らは順次出陣し、二手に分かれてヒスパニア植民地の攻略にかかるゆえ、そう心得よ」
「「「「「応!」」」」」
義長は、各将の気合いの籠もった応答に満足げに頷くと、話を続ける。
「では、これより各将の役割について申し渡す。まず、先鋒だが、北方軍は島清興、南方軍は御子神重。それぞれ兵5千を率いて敵前上陸し、橋頭堡を確保せよ」
「「応っ!」」
「第2陣として、北は丹羽長重殿と筒井定次殿、土橋春継。南は多賀谷重経殿と岩城常隆殿、そして青山宗勝。各将2千5百を率いて先鋒の確保した橋頭堡に上陸すべし。
なお、北方軍は第3陣の到着を待って内陸への侵攻を開始するとともに、原住民を懐柔して軍に加えよ。南方軍は街道を扼し、首都より押し寄せるであろう敵軍を押しとどめよ」
「「「応!」」」
「お任せあれ!」
「腕が鳴るわい!」
「第3陣は両中将。それぞれ1万の兵を率いる。そして、北方軍の第4陣は小笠原貞慶殿、高城胤則殿。各々2千5百を率いて後詰めをすべし」
「「はっ!」」
「そして、南方軍の第4陣には、この畠山義長自ら2万を率いて後詰めをいたす」
大将自らの出陣ということもあって、思わず諸将がどよめく。そのどよめきが治まるのを待ち、義長は続けた。
「最後に、河野通直殿は水軍を使った兵站の確保を、戸田勝成は当地の守護と追加で部隊が到着した場合の振り分けを、上田重安は開拓地全体の安全確保を申し付ける。決して華々しくはないが、お主らの働きが戦全体を左右する。そう心得て励むべし」
「「「はっ!」」」
「なお、毎度の事ではあるが、糧秣や弾薬について気にかける必要は無い。確と刀槍・甲冑、そして体の手入れをしておくように。では、1か月後、またここで会おう」
「「「「「応!」」」」」
一大決戦に向けて興奮冷めやらぬのか、外地諸将は一斉に立ち上がると、作戦室を出て行く。
義長らは、それを満足げに見送ると、作戦と兵站計画の細部を詰めるため、再度話し合いを始めるのであった。
イエズス会とスペイン人を利用して、この窮地を切り抜けんとするポルトガル人。
全てをポルトガル人の責任にして知らぬ存ぜぬで押し通したいスペイン人。
そして、着々と戦支度を進める日本人。
各陣営の思惑は様々。なれど、タイムリミットである5月31日(旧暦4月30日)は、刻一刻と迫っていた。




