第271話 イエズス会来訪
天正18年(1590年)1月 武蔵国 豊島郡 江戸城
江戸城白書院。平伏する3人の男たちに向かって、近習の梅津憲忠が声を掛ける。
「イエズス会日本準管区長 ガスパール・コエリョ。面を上げよ」
「ハッ! ウエサマニハ、マスマスゴケンショウノコトトオヨロコビモウシアゲマスル」
「コエリョ、なかなか日本語が堪能なようで何よりだ。ただ、予はポルトガル語も分かるゆえ、遠慮無う母国語で話すがよいぞ」
『それは助かります! まずは、上様に御礼申し上げます。これまで我らの布教をお許しいただいておりますこと、ありがとうございます。また、三韓の統治も順調にお進みの様子。おめでとうございます』
「うむ!」
『つきましては、そろそろ三韓地域でも我らの布教活動をお認めいただけないかと。いや、当然、タダでとは申しませぬ。布教をお許しいただきました暁には……………………」
皆さんこんにちは、酒井政明こと里見義信です。
イエズス会の日本準管区長ガスパール・コエリョと、ポルトガルの長崎商館長以下数名が面会を求めてきたんで、対応してるとこだよ。
色々と貢ぎ物を持ってきてるみたいだし、布教を許すメリットについて、目の前で一生懸命プレゼンしてるんだけど、俺としては、あんまり旨味を感じないんだよね……。
10年前ならまだしも、今では全ての分野で日本の技術が上回ってるから、機械類にはほとんど魅力を感じないんだ。それに、あれだけ明の文物を手に入れた後だから、結構な“お宝”を持ち出されても、比較対象が上過ぎて、どうしても見劣りしちゃうんだよね。
おっと、話が終わりそうだ。
『上様、いかがでございましょう?』
俺は、さもしっかり聞いていた体で頷くと、語りかける。
「なるほど。なかなか魅力的な話ではある」
『それでは!』
「しかし、まだ任那、百済、新羅の地は領主も決まっておらぬ。布教を許すとしても、領主の発表があった後でになろう」
『……そうですか』
「時に、コエリョ司祭よ。幾つか尋ねたきことがあるのだが」
『私で答えられることでしたら、何なりとお尋ねくださいませ』
「ではな、『天から降った神の子孫が治めるとされる国がある』と言う者がおるのだが、これについてどう思う?」
『ははは、それは妄言でございます。そのような妄言を弄す者どもに天の扉は開かれませぬ。是非、某にその地への布教をお許しくださいませ! 正しき神の教えを伝え、蒙を啓いてやらねばなりませぬ。して、それは何処にございますか?』
「まあ焦るな。その国の者どもは『イエスの生まれたのは1590年前だが、我が国の最初の王が即位したのは2250年前、その曾祖父が天より降ったのはさらに前になる。釈尊が生まれたのも2200年ほど前、なぜキリスト教徒は先達の教えを貶めるのか?』と言うのだ。この疑問には何と返す?」
『いやはや、理に昏き者は始末に負えませぬな。
全て古き物が良いわけではございません。例えば、神の教えをまとめた書物に“旧約聖書”というものがございます。これも神の教えではございます。しかし、全ては預言者を通しての教えでございました。
そこに神の子イエスが現れて、直接、神の御言葉を我らにお伝え下されたのでございます。
確かに釈迦の行いは立派でございます。なにしろ、只人の知のみによって悟り、今に続く教えを残したのですから。
しかし、それとて、神が地上に顕現した主イエスとは比べものにもなりませぬ。きっと、釈迦の前に主イエスが現れれば、跪いて教えを請うたことでございましょう。
また、釈迦は色々奇跡を起こしたとも聞いておりますが、最期は入滅いたしました。主イエスは磔刑にかけられた後、復活しております。これが神と只人の違いにございます。
そうだ! 神の子孫を騙る者は、その頭領を磔刑にかけてみればよろしいかと。主イエスと同じ神の子であるならば、きっと復活することでしょう』
いや~、よくぞ自信満々に語ってくれたね。ありがとう!
これで、こっちも遠慮会釈無く、思う存分にやれるってもんだよ。
「なるほど、其方らの考えは良く分かった。梅津憲忠、手文庫と筆を持て」
「はっ!」
俺の指示に反応した憲忠が、サッとお手紙セットを差し出した。
俺は、蓋を開けると、中にしまってあった6通の書きかけの書状を取り出す。そして、それぞれにサラサラと必要事項を書き足すと、2通を憲忠に、2通をコエリョに渡した。
憲忠が手早くそれを封筒に入れ、糊付けして返してきたので、俺は花押を書いて封をする。
と、その時、悲鳴のような叫び声が上がる。顔を上げれば、真っ青になったコエリョが、震えながらこちらを見つめていた。
『こ、これは、何の冗談でございますか!?』
「『冗談』などとは心外な! ま、準管区長殿は知らぬようだから教えて遣わそう。
我が国の史書で神の子孫と伝わるのは天皇陛下のことである。ちなみに予も元をたどれば第56代清和天皇陛下26世の孫に当たるのだが、それはまあどうでもいい。
其方は、先ほど『神の子孫を騙る者の頭領を磔刑にせよ』と言うた。つまり、畏れ多くも天皇陛下を磔にせよとのこと。これを『不敬極まる』と言わずして何と言う?」
『そ、それは誤解にござ……』
「黙れ! 今までも、『長崎で日本人を牛馬の如く扱うておる』とか、『ポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に売っておる』とか、『神社仏閣を破壊し、仏僧を迫害しておる』とか、『教化したキリスト教徒を手先に各地で侵略を図っておる』とかの話が伝わっておったのだ。
これまでは『誹謗中傷の類ではないか?』と半信半疑で聞いておったが、今日、其方の話を聞いて、ただの流言でなかったことが良く分かった!
……回答は5月末まで待ってやる。ゴアでもマラッカでもマニラでも、この書状を届けるが良い。去ね!!」
俺の言葉が終わると同時に左右の襖が開き、屈強な馬廻の者が押し入ってくる。そして、瞬く間に、喚くコエリョたち3人を引きずりながら出ていった。
いや~、スッキリした!
……コエリョさ、船に大砲積んで俺の前で示威行為してみせたり、マニラから軍艦を呼び寄せようとしたり、癪に障ることばっかりするから、一度痛い目に遭わせてやろうと思ってたんだよ。
布教の許可が貰えるかと思ったら、出てきたのは最後通牒だからね。衝撃も一入じゃないかな?
え? どんな書状を渡したのか、って?
ああ、今回は詰問状なんで、大した内容じゃないよ。
一、教会領長崎にて良民が牛馬の如く扱われんとす。その責や如何
(長崎で日本人が奴隷扱いされてるって話。どう落とし前付けてくれんの?)
一、奴婢とした良民を国外に売却せし件、彼の帰国について如何
(日本人を奴隷として海外に売ってるけど、当然買い戻してくれるでしょ?)
一、寺社仏閣を破壊、仏僧を害し、平時に擾乱に及ぶ。その責や如何
(他の宗教を迫害して困るんだけど、誰のせい? きちんと統御できないの?)
一、耶蘇の者を尖兵とし本朝を侵略せんとの訴状あり。申し開きはありや
(キリスト教徒を手先に日本侵略を企んでるって証言が出たよ? 弁明はある?)
一、明国の海禁を破らんとする者あり。既に罰を受くるが、その責や如何
(明で海賊行為を働いてるんで取り締まったけど文句ないよね?)
ただ、最初に
一、耶蘇会準管区長、帝を磔刑に処すべしと。その責や如何
(準管区長が『天皇陛下を磔にかける』って言ったけど、誰がどう責任とんの?)
ってのが、追加されてはいるけどね(笑)
で、最後に
グレゴリオ暦5月31日までに、納得のいく返答がない場合、我が国はイスパニア・ポルトガル連合王国に対し、宣戦を布告するものとする。
って、付け加えてやったんだ。
猶予期間が長い?
今の時代、電話も無線もないからさ、そのぐらいは間を空けておかないと。それに、俺たち普段は太陰暦を使ってるけど、南蛮人は、太陽暦だから、暦が1か月ぐらい先行してるからね。
あ、ちなみに、2通渡したのは、正本と訳本だよ。それを、内容確認用と封書、差出人保管用で3種類作ったんで、計6通になったってわけ!
さ、果たして先方からは、どんな回答が来るかね?
ま、どう転んでも、また忙しくなるんで、準備準備!
主人公の一人称の使い分けについて
1人語りの時:俺
日本人相手の時:私
外国人相手の時:予
外国人相手の時は『総王』として振る舞う関係上、王の一人称である『予』を使います。
※ただ、メンデスとかシモンみたいな、幼い時から仕えてて、『若様』『若殿』で通る連中を相手にする時は『私』です。




