第267話 新たな王家
天正16年(1588年)2月 山城国 愛宕郡 二条御所
「五宮邦慶。
『総王源朝臣義信』が求めにより新たに宮家を創設することを許す」
「有り難き幸せ」
「其方には百済王宮の号を与え、百済の地に封じるゆえ、百済王家の社稷も守るべし」
「御意!」
皆さんこんにちは、先月満20歳になった酒井政明こと里見義信です。
今は御所で半島南部の王を任命してもらってるとこなんだ。
王政に復古するのか、って?
そんなわけないじゃん! 『王』って言っても、あくまで名目上の『王』だよ。軍事的な功績が全くないのに王政復古なんかしたら、大掃除中の将兵たちが暴動を起こすよ?
そう、三韓地域は、現在、大掃除の真っ只中なの。
具体的には、全羅道・忠清道・京畿道を百済国、慶尚道のうち日本海沿岸を新羅国、洛東江流域を任那って区分で再編を進めてる。
これ、元々は朝鮮領から三韓地域を引っぺがすための詭弁だったんだけど、戦闘で圧勝しちゃったこともあって、条件闘争とかが必要無かったんで、そのまま流用してるんだ。
ちなみに、漢城を占領して宣祖も捕らえたのに、朝鮮国を存続させてるのは、明や女真との緩衝地帯としての役割と、一般庶民のヘイトの引受先としての働きを期待したからだよ。
それに、領地が急拡大してる現状だと、全土を統治するにはどう考えても人手が足りないってのもある。
で、わざわざ旧国名を復活させたのは、支配の正統性を確保するためなんだ。
百済:『王族の子孫が日本にいるから』
新羅:『任那の調を滞納した補償として』
任那:『元々日本領で、預けていただけ』
こんな感じの理屈でね。
え? 王族がいるのに、なんで百済に宮様を封じたんだ、って?
実はねぇ、朝鮮王から三韓地域を取り上げて、日本に戻った後、とんでもないことが発覚したんだ。
なんと、飛鳥時代から存在してたはずの百済王家なんだけどね、50年ぐらい前に、完全に没落して行方知れずになっちゃってたの!
たかだか50年だ。土地の古老を捕まえて虱潰しに調べれば、簡単に辿り着きそうなもんだけど、そこは戦国時代! 百済王家のお膝元が戦場になってたとかの悪条件も重なって、調べても調べても子孫の行方が分からないときた!
宣祖に向かって「日本《我が国》には、百済王家という百済王の直系の子孫がおる」なんてしゃべっちゃったのに、「調べてみたらいませんでした」じゃあ計画が根底から崩れちゃう!
この不都合な現実が分かった時には、流石の俺も、どうしようかって頭を抱えたよ。
だけど、(都合が)良いことを思い出したんだ。
俺が転生(?)する直前の平成13年、天皇陛下が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だということが『続日本紀』に記録されていて、韓国とのゆかりを感じています」なんておっしゃってたんだよ。
天皇家と百済王家に血縁があるんなら、親王様に王になってもらえばいいじゃん!
どこの馬の骨とも分からない奴を探し出してきて、いきなり「今日からお前は王だ!」ってやるよりは、最初っから親王な宮様を王に据えた方が、よっぽど通りがいいし。
それだけじゃないよ。今は伏見宮家しかない世襲親王家を増やせば、天皇家の血統の安定にも繋がるからね。
だから、後陽成天皇陛下の弟君で、信長さんの猶子でもあった邦慶親王殿下を、「『百済王宮』に推戴したい」って要望を出したの。
朝廷? 大喜びだったよ。織田政権とみっちりつながった邦慶親王殿下が分家してくれれば、陛下としては強力なライバルが消えて、今後ご生誕なさる御自身のお子様へ譲位できる可能性が増すし、貴族連中は新王家が設立されれば新たに官職が増えるからね。
三韓地域を統治する象徴の得られる里見幕府と併せて、『三方得』のアイディアだって誉められた。
ただ、問題は邦慶親王殿下には、定輔親王殿下、勝輔親王殿下ってお兄さんがいることなんだよね。ちなみに、お兄さんたちを飛び越しちゃったのは、『信長さんの猶子だった』ってんで、理由が大きい。なにせ、里見幕府は織田家の後継政権だからさ。
ただ、だからと言って、この2人の兄さんを放置するのも拙い。何かしらの配慮が必要だよね。
だから、定輔親王殿下を、新羅王宮に封じて新羅の地の象徴に。勝輔親王殿下には将来の天台座主の道を保障することにしたの。
で、残った任那の地は『皇太子領』って名目にしたよ。これは、イギリスの皇太子がウェールズ公を名乗るのを参考にしたんだ(笑)
つまり、皇太子殿下=任那宮ってこと。
ただ、今上陛下は17歳。まだ皇子がいらっしゃらない。だけど、せっかくの新体制発足時に“任那宮”を空席にするわけにもいかない。だから、陛下の六弟の智仁親王殿下に暫定任那宮になってもらったんだ。
ま、陛下には近々皇子が誕生なさるだろうから、そうなれば、智仁親王殿下には別家を立ててもらう、ってのが既定路線にはなってるよ。まだ10歳にも満たない子どもとは言え、都合のいい時だけ祭り上げて、用済みになったら『ポイ』は流石にどうかと思うし。
これで、伏見宮家に加えて、百済王宮、新羅王宮、(暫定)任那宮って世襲親王家が誕生することになるんだ。これで、将来的な備えもバッチリじゃないかな?
ちなみに、半島南部の象徴は、各親王様方を担ぐけど、支配については封建制度を維持する予定だよ。
今は制度を整えてるとこだから、全部が幕府直轄領なんだけどね。
最初から各大名に統治を任せちゃった方が、間違いなく楽なんだけどさ、アイツら日本のことしか知らないだろ?
そのまま領地を充てがっちゃうと、今、自分の領地でやってることをそのまましようとするから、間違いなく混乱が生じるに決まってる。
『新領地で起こった一揆の責任を問うて取り潰す』ってのも1つの手だ。それどころか、俺としても心服してない連中とかは、ぜひ嵌めにかかりたいところではあるよ?
でもさ、残念ながら新領地は、まだ『日本』じゃないんだよね。せっかく朝鮮王や両班たちが大失態を演じてくれて、今、民衆たちの多くが、「もう、あんな酷い連中に支配されたくない」って思ってるんだ。そのバフ状態が生きてるうちに、統治を安定させちゃわないと。
それを日本人領主の失策で上書きしちゃったら、元も子もないからね。
だから、戸籍を整えて税のシステムを里見領並みに確立させ、領民の中に、ある程度日本語を理解する者が出てくるまでは、数年間幕府直轄領として統治することになると思う。
え? 領地無しで不満は出ないのか、って?
今のところは大丈夫。なにせ倭寇で巨万の富を入手したんで、財貨はいくらでも出せるからね。それに、明侵攻前に、朝廷から四位以下の位階についての自由発行権を得てるんで、位階も大盤振る舞いできてるし。
領地があれば、それに越したことはないけど、今のところそんなに問題にはなってないかな?
だって、武士ってほとんどが、『感状』なんて紙っぺら1枚で、大喜びしてたんだよ?
今回は『感状』でも喜んでた連中が、『位階』って具体的な名誉まで手に入ったら、喜ばないわけないよね。さらに、『財貨』も貰えて『懐まで温かい』とくれば、大抵の連中は満足するでしょ?
加えて、ちょっとではあるけど、異国での戦いを経験した人間が多いってのも大きいんだ。実際に明や朝鮮に侵攻してみて、多くの将が言葉が通じないことの大変さや文化の違いの恐ろしさを痛感したみたい。
だから、俺が出した『幕府が資金を投入して統治機構を整える』って案は、みんな手放しで喜んでたよ。
まあ、当然だよね。面倒な作業をみんな親分が請け負ってくれるんだからさ。
逆に言えば、幕府にとっては、かなり面倒な作業ではあるんだ。だけど、ここをしっかり乗り切れるか否かで、『日本』が拡大できるか否かも決まる。だから、今は手を抜くわけには行かないんだよ。
今は将来への先行投資。後々ガッツリ回収してやるんだ!
あ、何を回収するかは、今後のお楽しみってことで!




