第247話 評定の後に 伊達政宗たちの場合(閑話)
天正14年(1586年)7月 常陸国 新治郡 土浦城 道場
―――――――― 夕刻 ――――――――
つい先ごろ、疋田虎伯と伊東一刀斎による試合の見取りをもって本日の稽古は終了した。
そして、今は久しぶりに集うた遠方の弟子たちを交え、鍋を囲んでの歓談が始まっていた。
上座の方では疋田・伊東の両指南役に加え、真壁氏幹、堀秀政、松岡兵庫助といった、年嵩の大名・剣客たちが鍋を突いている。
それを横目に、次の席では、伊達政宗、小野寺義道、戸沢盛安ら、この道場で学んだ若手の大名・世継ぎらが、車座となって酒を酌み交わしていた。
そしてこの日の主役と言えば……。
「わはははは! この『はも鍋』は旨いが、それ以上に今日は酒が旨いぞ!」
「クソ! 酒が不味くなるではないか! 伊達政宗、自慢もほどほどにせい! 戸沢盛安も佐竹義宣も、そう思うであろう!!」
「小野寺義道の気持ちは分かるぞ。ただな、伊達政宗は里見義信様のあれに耐えたのだ。少しぐらいは役得があっても良かろう」
盛安の言葉に義宣も頷いた。
ますます苦い顔になる義道に対し、よせばいいのに政宗が追い打ちをかける。
「流石は盛安じゃ、分かっておるではないか! それに比べて義道の器の小さいこと!」
「何だと! 里見義信様と5回も稽古ができたからと言うていい気になりおって! その増上慢、叩き直してくれる! 表へ出ろ!!」
「おう! そちらこそ吠え面をかくなよ!!」
「お主ら、いい加減にせぬ……「うるさいぞ! 何を騒いでおる!!」」
喧嘩が始まらんとするまさにその時、道場奥の厨房から叱責の声が飛んでくる。慌てて口をつぐみ、居住まいを正した2人のもとに現れたのは……。
里見義信その人であった。その手には新たな鍋を持っていた。
「折角、旨い鱧を用意したというのに、さっさと喰わねば味が落ちるではないか! 盛安、義宣、コイツらは何をしているのだ?」
「義信様と5回稽古したことを、政宗めが、これ見よがしに自慢いたしまして……」
「政宗の言いように腹を立てた義道が『表へ出ろ』と申し……」
「……馬鹿でもあるまい。政宗も大概だが、義道もだ。その程度で腹を立てておっては、いざという時に物の役にも立たぬぞ?」
「「面目次第もございませぬ……」」
「久しぶりに集うたのだ。つまらぬことで喧嘩などするな! ……それから盛安、道場での私は、ただの義信だと言うたであろう。『様』などあっては稽古にならぬからな。分かったか!」
「「「「はっ!」」」」
「師匠方、鍋のお代わりはいかがですか? 大丈夫? 足りなければいつでもお申し付けくだされ。皆の衆、まだまだ鱧はあるゆえ、遠慮するなよ!」
義信は適当な席に鍋を置くと、また厨房に戻っていった。聞けば、鱧の骨切りが出来る料理人が足りず、しばらくは宴席には戻れぬらしい。
毒気を抜かれた4人。まず口を開いたのは政宗である。
「義道、つまらぬことを言うてしもうた。済まぬ」
「政宗、お主が矢面に立ってくれたことは知らされておったというに、私の方こそ変な僻み根性を出して済まぬ」
「ははは、お2人とも落ち着いたようですな」
4人が顔を上げると、そこにいたのは豊後の太守 堀秀政であった。
「こ、これは堀秀政殿! お恥ずかしいところをお見せしてしまいました!」
「いやいや、伊達殿、小野寺殿、戸沢殿は、我らとともに大陸侵攻の先陣となる方々、『諍いなどあっては困る』と思い、駆け付けて参りましたが、どうやら余計なお世話だったようですな」
「いや、堀秀政殿のお心遣い、有り難き限りでござる。すぐに義信が宥めに来てくれたから良いようなものを、さもなくば、どうなっていたことやら」
「ならばようごさった。では、まずは伊達政宗殿に一献差し上げましょう」
「これは有り難い。ただ、先ほど義信も言うておりましたが、この道場では身分で上下は付けぬしきたりです。私のことも『政宗』と」
「おお、そうでしたか! では、皆様、私のことも『秀政』と。
それでは改めて、『政宗』、一献」
「頂戴いたします。 ん! カーッ、旨い!!」
「良い飲みっぷりです。さて、政宗殿、本日はお疲れ様でした」
そう言うと、堀秀政は深々と頭を下げた。
慌てて制止する政宗らに向かって、秀政は続ける。
「領地を削られた毛利家や宇喜多家、島津家などにとっては大陸侵攻の延期は死活問題。また、加増により知行を宛がわれた我らとて領内には領地を失った国人衆をたくさん抱えております。誰かが不満の声を上げてみせる必要がございました。
当然ながら、このような話は鎮西探題の土岐殿が口にする内容ではございません。そして、喉から手が出るほど領地が欲しい島津殿や毛利殿では本当の不満になってしまいます。
かと言うて、失礼ですが小野寺殿や戸沢殿ではいささか軽うござる。また、私が反対の素振りを見せれば、全国に残る織田家旧臣が動揺しかねませぬ。
あれは上様と旧知の間柄で、しかも全国で5指に入る大身である政宗殿にしか出来ぬ芸当にござる。この秀政、諸将を代表して、御礼申し上げる」
「……何時からお気付きで?」
「上様があれだけの威圧感を出し、叱責なさっているにも関わらず、政宗殿が止まらずに喰ってかかった辺り、でしょうか。
上様があのような威圧感を周囲に振りまくことは今までありませんでしたし、長い付き合いであるはずの政宗殿も引き下がりませんでした。これは『周囲に聞かせようとしているな』と」
ここまで語ったところで、いきなり背後から声がかかる。
「いやはや、流石は堀秀政! この後、説明をするつもりでお呼びだしたのだが、必要はなかったかな?」
「これは上様! 憶測で失礼をば」
「正にその通りなので気する必要はないぞ。ただ、この席にいる面々は兎も角、まだ他の連中には内密にしてほしいのだ」
「それは承知しております」
「それからな、秀政よ」
「何でございましょう?」
「道場の私は義信だ。よろしく頼む」
「こ、これは失礼を!」
「わかればよいのだ。さて、これから私は師匠たちに挨拶してくる。終わったらまた回ってくるゆえ、今日はこの6人で思い切り飲もうではないか。私が戻るまで潰れずに待っているのだぞ? ではな!」
「……『思い切り』か」
「いかがなされた?」
「秀政殿、覚悟を召されよ。義信は、底無しのうわばみでございます」
この日の宴はいつまでも続いたという。そう、いつまでもいつまでも。
閑話はこれで終了、次回は主人公視点に戻ります。




