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第242話 義頼の引退

天正14年(1586年)6月 常陸国 新治郡 土浦城 奥の間



 皆さんおはようございます、酒井政明こと里見義信です。


 一夜明けて、また義頼(義父)さんの部屋にやってきたよ。


 訪問の目的は、表向きは「昨日の話の続き」ってことになってる。だけど、俺の方としては義頼さんに『静養』を進言しようと思ってるんだ。だって、このまま政務を続けてたら、義頼さんの寿命を縮めちゃうからね。


 本当は義弘さん(父ちゃん)とか桂の方(義母)さんとか正木頼忠(老中筆頭)とかに根回しをしてから話を持ってきたかったし、それがすじだとは思うんだ。でも、昨日の様子を見てると、義頼さんの体はもう限界だとしか思えない。だから、思い切って直接義頼さんに話を切り出すことにしたの。


 ただ、『静養』とは言うけど、医者の見立ては癌。しかもかなり進行してるように見える。奇跡でも起こらない限り、そのまま『引退』になるだろうね。



 え? そんなに強引に進めて大丈夫か、って?


 うーん、多分大丈夫じゃない(●●●●)と思うよ。だって、はたから見たら『強制隠居』みたいなもんじゃん? 絶対、怒り出す人や反発する人はいるだろうね。


 けど、今は、ただただ時間が惜しいんだ。『大陸侵攻(唐入り)』とか難題が山積してるってこともそうだけど、それより何より義頼さんの命が心配だ。さっき『奇跡』って言ったけど、このまま仕事をさせてたら奇跡の起こる確率すら皆無になるのは確実だからね。とにかく今はしっかりと休んでもらわないと。


 文句を言ってくるような人達には、後で俺が直接説明するよ。

 間違いなく面倒くさいし、考えれば考えるほど憂鬱になってくる。けど、義頼さんが征夷大将軍(今の地位)なのは、主に俺のやり過ぎが原因だ。原因を作った人間が責任を負うのは当然だよね。


 ま、うじうじ考えてても何の解決にもならないな。さあ、気合い入れていきますか!




 小姓に導かれて奥の間に入ると、義頼さんは昨日より幾分かは調子がよさそうだった。




里見義信(太郎次郎)、参上つかまつりました」



「……うむ。昨日は済まなんだ。……今日は義信に相談したいことがあって来てもらった。


 ……本当なら、昨日まとめて話せれば良かったのだが、何分なにぶんこの有様でな。


 ……今日もおそらくは、あまり長くは話しておられぬ。……それゆえ、単刀直入に話すぞ。


 義信(太郎次郎)。里見家を継いでくれ」




 俺は思わず目を見開いた。だって、義頼さんの方から切り出してくるとは想定してなかったからね。


 それにしても流石は義頼さんだ。俺も一緒のことを考えてたんだけど、昨日から考え始めた俺に対し、話しぶりからして義頼さんは前々から考えてたみたい。


 うーん、こういう先見の明に関しては、色々と経験を積んだ今でもかなわないね。



 え? 答えは何だ、って?


 そんなのこれしか無いでしょ!




「はっ! つつしんでうけたまわります」


「……ほう、断らぬか」



「はい。義頼(義父)様の様子を見れば、ここで余計な遠慮はすべきでないと判断いたしました。この義信、若輩者ではありますが、精一杯努めて参ります。


 義頼様におかれましては、御政道や御家のことは気になさらず、ゆるりとお休みいただき、まずはお体を治すことのみをお考えくださいませ」



「……流石は義信だ。おぬしであれば、家督であれ、将軍職であれ、安心して譲れる。ただなぁ……」




 今日一番の晴れ晴れとした笑顔を浮かべた義頼さんだったけど、その笑顔が少しだけ曇った。そして、義頼さん、何かを言いかけて口を閉じる。




「『ただ』、いかがいたしました?」


「ああ、ただな、出来ることならば、おぬし二十歳(はたち)になるぐらいまでは、私が頑張って、天下の土台を盤石にしておきたかったのだがな。ままならぬものよ……」


「いいえ、義頼様は十分里見家の屋台骨を盤石にしてくださいました。これからは、私がさらに御家を、そして、この日ノ本を堅牢にして参りましょう」


「……頼もしきことよ。これで私も心おきなく休めるというものだ」


「はい、じっくりお休みくださいませ。そして、早く回復していただき、大御所として辣腕らつわんを振るっていただきませんと」


「……まだ私を使いたいとな? ははは! 言うではないか! しかし、私が大御所になれば、里見義弘(今の大御所)様は何とお呼びするのだ?」


「『大御所』号を持つとは言え、義弘様(父上)は、ほとんど悠々自適の生活をしております。もはや『大御所』と言うより『御隠居』の方が相応しいかと。あ、義弘様(父上)は生前の土岐為頼(慶含院)様を、かたくなに『土岐のじいさま』とおっしゃっておりましたね。『じいさま』によほどこだわりがある様子。ですから、『里見のじいさま』とでもお呼びいたしましょうか」


「わははははは」




 俺のごとを聞いた義頼さんは、この日一番の笑顔を見せたんだ。














 里見義頼 天文12年(1543年)~天正14年(1586年)

 江戸幕府(※注1)初代将軍(在位1586年1月~7月)

 天文12年(1543年)、安房国の大名・里見義堯の子として誕生。嫡子に恵まれなかった長兄・義弘の養子となり、天正6年(1578年)に家督を継承(※注2)。義弘時代からの織田家・徳川家・北条家との同盟を堅持し、東国に権勢を拡大する。甲州征伐後の天正10年(1582年)には、鎮守府将軍に任じられ、奥羽を勢力圏に収めた。そして、天正13年(1585年)の織田家の内訌ないこうでは、羽柴秀吉の陰謀を阻止。その功績をもって、天正14年(1586年)に征夷大将軍に推戴された。しかし、天正14年(1586年)春頃から病を得、7月に養嗣子(※義弘の長子)義信に将軍位を譲り、引退した。

 戦場では無類の戦上手いくさじょうずとして知られ、伊王野いおうの合戦など大将を務めた戦は負け知らずであったとされる。さらに内政での功績は日本史上でも屈指のものであり、スペインの漂着船の船員から得た知識を基に、高炉や蒸気機関を開発させるなど、わずか数年で日本の技術を世界最高水準まで引き上げたとされる。


※注1:義頼の将軍在位時は政庁は土浦城に置かれていたため、正確には『江戸幕府』ではない。

※注2:当時は義弘に長子(義信)が生まれていたが、継承に際して異論は出なかったとされる。






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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
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