第241話 里見義頼の異変
天正14年(1586年)6月 常陸国 新治郡 土浦城 奥の間
皆さんこんにちは、酒井政明こと里見義信です。
汽車と汽船を乗り継いで土浦にやってきたよ。丸一日移動してたんで多少疲労はあるけど、乗ってれば勝手に着くんだ。この時代としてはかなり優雅な旅だったね。
本当だったら、さっさと飯でも食って床に就きたいとこだけど、義頼さんへの報告が先だね。さて、義頼さん、4月からちょっと体調を崩してるんだけど、今はどんな塩梅かな?
土浦城の専用桟橋に着いて早々、取次を依頼すると、小姓が飛んできて、すぐに奥の間に通された。
「義頼様。義信様がお越しにございます」
「…………通せ」
襖の前で、小姓が俺の来着を告げると、一拍遅れて、中からくぐもったような声が聞こえた。うーん、まだ体調が戻ってないのかも。
そんなことを考えながら、小姓に導かれて部屋に入ると、高座にいる義頼さんの姿が否応なしに目に飛び込んでくる。
それを見た俺は思わず絶句しちゃった。だって、義頼さんの顔、頬はこけ、目は落ちくぼみ、肌も青白いんだよ? 会うのは2か月ぶりだったけど、記憶の中とは何から何まで違ってたんだ。4月に九州から呼び戻された時には普通だったのに、たった2か月でここまで変わるとはね……。
予想の範疇を逸脱してたこともあって、こっちの衝撃もかなり大きいものになった。けど、面会を求めた側の人間が、いつまでも黙ってるわけにはいかない。
俺は気を取り直すと、その場を取り繕うため、大きく一度咳払いをした。そして、努めて明るく、かつ平静を装いながら話し始めたんだ。
「里見義信、江戸より帰参いたしましてございます」
「……うむ。御苦労。……江戸の様子はいかがじゃ」
「は! 主郭の整備と日比谷入江の埋め立ては、ほぼ完了いたしました。多摩川より引いている上水路もあと1里ほどの所まで掘り進められており、今暫くで水の心配も無くなるかと」
「……それは畳重」
「また、先日、完成の報告を上げました、佐倉―市川間の鉄道ですが、本日より運転を開始いたしました。朝8時市川発の一番列車に乗り、先ほど土浦まで罷り越すことが出来ました。『早く義頼様にも御乗車いただければ幸い』と汽車奉行も申して……」
「ま、待て、昨日でなく、今朝、市川を発ったのか!?」
それまで、気怠げに話を聞いていた義頼さんだったけど、汽車の話には食い気味に話を被せてきたよ。市川―土浦間を半日で楽々移動できるってのには、流石に冷静じゃいられなかったみたい。
「はい。今朝の辰の刻に市川を発ちました。その後は、巳の刻前には佐倉に着き、そこからは汽船で土浦まで。到着した時には、まだ日も残っておりましたので、16時前だったかと存じます」
「……うむむ、早馬には敵わぬとは言え、この速さで大量の人員を輸送出来るとは! これは時代が変わるやもしれぬな……」
しばらくの間、ブツブツ言いながら何やら考えていた義頼さんだったけど、顔を上げると、俺に話しかけてきたんだ。
「……義信よ大儀であった。……もう少し話をしていたいところではあるが、続きは、また明日にいたそう。……最近疲れが溜まっておるようでな、今日はこれで休ませてもらう。……その方も、一日中移動してきて疲れたであろう。今日はゆるりと休め」
この程度の時間で終了せざるを得ないとは。どうやら、義頼さん、相当体調が思わしくないらしい。ただ、『病は気から』って言葉もある。俺は、敢えて何でもない風を装って問うた。
「義頼様、そのようにお疲れとは……。もしや、暑気中りにございますか? 暑気あたりには精の付くものがよいと申します。私が鰻でも焼きましょうか?」
「……いや、今日は止めておこう。……正直なところ、最近何を喰っても旨く感じぬゆえ、あまり食欲が無くてな」
「そうでございますか? では、今日はこれで失礼いたします。しかし、御用命の時は何なりとお申し付けくださいませ」
「……その言や有り難し。……必要な時は頼むぞ」
「はっ!」
―――――――― 夜 西の丸 ――――――――
「やはりか……」
「はい、義信様のお見立てで間違いないかと」
俺は、自室に奥医師の一人、西福院清庵を呼んで、義頼さんの症状を尋ねた。そして、彼の答えは、俺の予想と一致してた。義頼さんの病気、それは……。
癌、だった。
「患部はどのあたりなのだ? 切除すれば済むのであれば、私が手術するが」
一縷の望みを賭けた俺の提案に、清庵は力なく首を振る。
「複数箇所にしこりが見つかっておりまする。この状態では、もはや患部を抉れば済むとは思えませぬ。そして、仮に、首尾良く全て切除できたとしましても、今の義頼様の体力では、お命を縮めるだけになりかねませぬ」
「うーん……! そうだ! 永田徳本先生がいらっしゃる!? 徳本先生には診ていただいたのか?」
「……はい。徳本先生の見立ても我らと同じでございます。『事ここに至っては、滋養をつけ、心穏やかにお過ごしいただくことが最上の薬』と」
そうか、そこまでか。義頼さんは、まだ40代半ば。若いだけあって病気の進行も速かったんだろう。医聖として名高い徳本先生にも打つ手が無いんじゃ、一般の医者や素人に出来ることなんか、たかがしれてる。
俺は、清庵にねぎらいの言葉をかけた。
「……分かった。清庵、呼び立てて済まなんだ。私も出来ることを色々と考えてみるゆえ、義頼様のこと、頼んだぞ」
「はっ! 有り難きお言葉にございます。奥医師一同、今後も全力を尽くして参ります」
清庵が下がった自室で、俺は一人考える。
義弘さんと違って、義頼さんの死は詳しく記録に残ってないから、俺も良く分かってなかったんだけど、癌だったとはね。
でも、俺の知ってる情報だと、義頼さんが亡くなったのは1587年(天正15年)の10月だったはず。まだ1年以上あるんだけど……。まさか、征夷大将軍に就いたのが原因なの!?
いずれにしても、このまま手をこまねいてるわけにはいかない。俺も覚悟を決めないといけないね。




