第240話 嫡男としてのお仕事 ※地図あり
天正14年(1586年)6月 下総国 葛飾郡 市川
固唾を飲んで皆がこちらを見守る中、頃合いを見定めると、俺は手を挙げた。
俺の合図に合わせて担当の指示が飛び、そして……。
ガッシュン。ガッシュン。ガッシュン、ガッシュン、ガッシュンガッシュン……………………。
周囲から歓声が上がる。その歓声を切り裂くように、轟音を上げながら汽車は市川駅を滑り出した。日本初、いや、世界初の旅客鉄道開業の瞬間だ。
いや~、上手く行ってよかったよ。これで鉄道事業も軌道に乗せられるね。
俺は、一番列車の特等席から、笑顔で沿線の人々の歓声に応えつつも、事業の一つが手を離れたことに、内心胸をなで下ろしてたんだ。
こんにちは、皆さんお久しぶり、酒井政明こと里見義信です。
実は、2か月前ぐらいから関東に戻ってるんだ。何でって、洒落にならないくらいの量の仕事が降りかかってきたからだよ。
今、してるのは、新たな拠点となる江戸城の整備がメインなんだけど、これ、当然ながら城を造ったら終わりじゃない。全国の大名たちを集める為の武家屋敷や、その生活を支える城下町も整備しなきゃいけない。そのためには、人口を支えるための上水道の整備や、水害から城下を守るため、利根川や太日川、隅田川なんかの治水も必要となってくる。
そんなの、全国の大名を動員すればいいだろ、って?
当然動員はするよ? だけど、全体計画とかきちんとしなきゃ、まともな物なんか出来ないじゃん? 取りあえず各部門に責任者は付けてるけどさ、コレ、関東全域に関わるような巨大プロジェクトなんだ。目端が利いて、重しも利くような人間。そして、百年以上先の拡張性とかを見越せる人間。って、そんなの俺しかいなかったんだよ(泣)
で、今、俺が乗り初めをしてる鉄道の整備もその一環だよ。現状で開通した路線は太日川・江戸湾の湊である市川から、印旛沼の畔の佐倉河岸(※本佐倉)まで。コレ、現在の○成本線のルートをイメージしてもらうといいと思う。
印旛沼では平底・外輪タイプの蒸気船の定期運行を始めてるし、市川・品川間はスクリュー船も運行してる。と、言うわけで、今回の鉄道開通によって新旧の拠点である土浦と江戸が動力機関で繋がったんだ。
ちなみに、この鉄道だけど、今年中を目標に鬼怒川河口付近の神崎河岸までは延長する予定。
印旛沼まで入って来られるのは小型船だけなんで、どうしても輸送にボトルネックが生じちゃう。その点、神崎河岸なら香取海航路で使ってる船なら全部入港できるんで、載せ替えの手間とかが大分抑えられるんだ。
これで、江戸の整備が進み次第、スムーズに政庁を移動出来るはず。
線路を直接繋がないのかって?
繋げられるんなら話が早いんだけどね。残念なことに、現状では大きめの川に架橋するだけのノウハウがゼロなんだ。さらに、この時代、数十トン単位の汽車が通過する橋なんて誰も想定してないだろ?
今回線路を敷設した下総中央部は、中小の河川はあるけど大きい川は皆無なんで、架橋は力業で何とかなった。でも、利根川の河口付近なんて、川は広くて深いわ、地盤は軟弱だわで、もう最初からお手上げだったよ。
まあ、関宿経由で迂回すれば市川ー土浦間は何とか繋げたかもしれない。けど、「果たして大回りして鉄道路線を敷設する意味があるのか?」って問われると、残るのは疑問符だけだ。初期の鉄道は速度も限られてるし、そもそも現代でも鉄道より船の方が運搬効率は良いわけだからね。
そんな理由もあって、現状ではより効率的な汽船での中継を選んだの。軟弱地盤対策や長大な架橋は、技術革新を経ながら担当者の方で追々進めてもらえればと思うよ。
さて、話が長くなったけど、今日は『鉄道開通』って一大プロジェクトが山を越えた記念すべき日。乗り初めにかこつけて、汽車で佐倉まで移動して、汽船で土浦に向かうんだ。早いとこ将軍様にも良い報告を上げたいんでね。
え? 九州の統治はどうなったんだ、って?
うん、九州の統括は伊予国主の土岐頼春さんに任せてきちゃった。新たに鎮西探題になってもらってね。
丸投げ?
そう言われると苦しいんだけど、こっちにも如何ともしがたい理由があってね……。
まあ、俺の方で、対馬・壱岐を含めた九州全土の視察と、朝鮮方面への出兵準備、博多津の復興、切支丹対策なんかについては済ませてきたんで、『丸投げ』よりはマシになってるとは思うよ。
ちなみに、俺がしてきたことを具体的に言うと、肥前名護屋城の築城準備。朝鮮語・琉球語の習得指示。海外への奴隷販売の禁止。基督教会領の没収(※俸禄の給付へ転換)と新規の所領寄進の禁止。基督教会の寺社奉行所への従属指示。この辺かな。
前にも言ったけど、明との戦争は既定路線で、期待してる人間は多いんだ。特に、これまでの戦で改易された、大友家の遺臣や肥後の旧領主たちの残党、大減封された毛利家や宇喜多家なんかは、どうにかして威勢を回復しようと必死だし、十万余に及ぶ全国の浪人衆も、ここで一旗上げようと手ぐすね引いて待ってる。
『明を征服しよう』なんて、現実的に考えたら『労多くして功少なし』でしかないんだけど、現状はみんな『一攫千金』を夢見て熱病に浮かれてるような状況なんだよね。こんな中、下手に中止でも宣言しようもんなら、国中を巻き込んだ暴動が発生しかねない。
そんなわけで、最終的にはソフトランディングさせるにしても、最初から何もしないわけにはいかないんだよ。
だから、「ちゃんとやってますよ!」って広く示すため、拠点作りと侵攻後の現地対策を行わせてるんだ。
それから、『海外への奴隷販売の禁止令』は人口の流出を食い止めるためだよ。天下統一は成ったんで、戦の乱取りで奴隷にされる人は激減するだろうけど、そもそも、この時代借金奴隷の制度もあるからさ、手をこまねいてたらじわじわと人財が流出しかねない。近い将来、新田開発とか蝦夷地開拓とか、南方進出とかしなきゃいけないんだ。余所に売るくらいならこっちで使わせてほしいよね。
ちなみに、奴隷売買自体は非合法でも何でもないから、売り手側への配慮も忘れちゃいけないのが面倒くさい。だから、『海外への奴隷販売の禁止令』発布以前に奴隷にされて出荷を待ってた連中は、名護屋城築城の人足とかのため里見家で買い取るようにも指示してあるよ。
ついでに言うと、里見家所属の奴隷は仕事に応じて賃金(※昇給アリ)を設定してあるんだ。買い取り金額(※年利一割の利息含む)に達した段階で解放される仕組みだよ。こうしとけば、将来が見通せるから意欲も高まって、労働効率も上がるんじゃないかな?
ホントは奴隷廃止まで踏み込みたいところだけど、現状で出来るのはこれが限界だね。
キリスト教に関しては、『領地を持たせない』『里見家に従う』ってことを条件に許容することにしたよ。なにせ、元亀年間以来、里見家中には南蛮船由来のキリスト教徒が複数居住してるんで、今さら禁教に出来ないって事情もあるしね。
ちなみに、15年も前からキリスト教を解禁しているにも関わらず、長らく里見領だった東日本には、キリスト教徒がほとんどいなかったりする。史実では医学とか科学とか優越した技術で人心を掴んで信者を増やしていったんだけど、現状では全てにおいて里見家の方が先進的だし。それに、里見領は年貢も安いんで社会不安も少ない。そんな状況だから、キリスト教の蔓延る余地が無かったんだろうね。
まあ、俺は誰が何を信じててもそんなに気にしないんだけどさ、万が一ヨーロッパ諸国の煽動を受けて反抗とかされたら面倒なんで、あらかじめ牙は抜いとこうかなと。
それに、九州のキリスト教徒には、領内の寺社を破壊しまくった、大友宗麟とか大村純忠みたいな狂信的な連中も多そうだから、念のため『強制的に領民を改宗させることの禁止』や、『他宗教を迫害することの禁止』も通達してる。まあ、この通達については、里見家中にも上総酒井家みたいな極端な連中がいるんで、全大名に『宗教にのめり込むことは許さない』って釘を刺す目的もあるんだけどね。
あ、当然、今回の措置について文句を言ったり反抗したりしてくる連中は、情け容赦なく弾圧するよ? で、徐々に“幕府に従順なキリスト教徒”のみに置き換えていくんだ。東日本みたいにね。
ついでなんで、ちょっと裏の話もしとこうか。“幕府に従順なキリスト教徒”に置き換わる前に“狂信者”が増ちゃうと面倒くさいんだろ? だから、風魔衆を使って「海外に連れていかれた連中は、牛か馬のような扱いをされている」だの、「動けなくなった者や、満足に働けない女子供は血を抜かれて殺される」なんてデマ(?)も流してる。ふふふ、これで、新規の信者獲得のハードルは相当上がったはず。
ここまで御膳立てしておけば、俺が関わらなくともやってけるでしょ。責任者は実績も血筋も十分な土岐頼春さんだし。
それに、九州には伊達政宗くん、小野寺義道くん、戸沢盛安くんたち、俺の気の置けない仲間たちもいるし、堀秀政さんもいる。いざという時には快く協力してくれるはず。まあ、島津家とかはちょっと心配だけどね(笑)
……ただねぇ、本当はこの仕事、異母弟の大崎義兼に任せるつもりだったんだよね。
当初の計画では、俺が大宰帥を務めながら義兼の育成を進める。そして、里見家の代替わりにタイミングを合わせて大崎家に筑前を加増、鎮西探題として大陸方面の統括を任せる、って計画だったんだけど……。流石に今12歳の義兼に鎮西探題職は荷が重いよ。浪人になってた髙橋紹運や立花宗茂を召し抱えて家老として付けたけど、如何せん家臣団の母体が大崎家だし(笑)
もうちょっと落ち着いたら、伊予と筑後で国替えもしなきゃ。ホント、ままならないもんだよ。