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第239話 新政権樹立 ※地図あり

後書きに地図を載せました。

天正14年(1586年)2月 豊前国 企救きく郡 小倉城



 里見義信こと酒井政明です。


 山岡景隆さんが口を挟んできた時、俺はちょっと期待したんだよ。「もしかしたら、火中の栗を拾わずに済むんじゃね?」ってね。


 でも、景隆さんこんなことを言うわけよ。




羽柴秀吉(藤吉郎)めは、執政に就任以来、しきりに毛利に使者を出しておりました。どうやら、足利義昭(鞆の浦の公方)様に京への帰還を働きかけていたよしにござる。これを聞いたときはいぶかしく思うておったのですが、今、初めて合点がいき申した。秀吉(藤吉郎)め、足利家の養子なり猶子なりになることで、征夷大将軍になろうと目論んでいたに相違ござらぬ」


「何だと!?」

「まさか、そのような!」


「……あり得ますな」


堀秀政(久太郎)殿!?」



「若い時分に仕えていたこともあり、秀吉(彼の者)とは長い付き合いですが、義昭公へよしみを通じているなどという話は聞いたこともございませぬ。それが執政の役目に就いた途端、頻繁に使者を送るようになるとは……。山岡景隆(美作守)殿の話、戯れ言(ざれごと)とは言い切れませぬぞ?


 各々方(おのおのがた)景隆(美作守)殿の話を聞いて思うたのですが、足利義昭様が公方でいらっしゃる限り、今後も同じような事を考える者は出てまいりましょう。


 折角信長(總見院)様が土台を造り、信包(真珠院)様が成し遂げられた『天下布武』でござる。これを末永く続くようにするためには、足利義昭(鞆の浦の公方)様を廃し、里見義頼(鎮守府将軍)様に征夷大将軍(公方)になっていただくのが最善かと存ずるが、いかがでございましょう?」


「その通りじゃ!」

「異議無し!」


「あいや、待たれよ!」


「「「蜂屋頼隆(兵庫頭)殿?」」」




 最後に口を挟んできたのは、ここまで沈黙を貫いてきた蜂屋頼隆さんだった。「どんな反論が出るかな?」って身構えてたら、出たのはこんなセリフだったんだ。




里見義頼(鎮守府将軍)様に一つだけお願いしたき儀がござる。征夷大将軍(公方)になられた後は、徳川家同様、年若な織田家の子弟の皆様をお引き立ていただきたいのでござる。こちらを御約束いただけるのでしたら、我ら一同、一点の曇りなく里見家にお仕えすることが出来まする」






 ……ってこんな感じで、結局、織田家サイドの出席者からは、徹頭徹尾義頼(義父)さん推しの話しか出てこなかったよ。


 その後は特に波風が立つこともなく、すんなりと義頼(義父)さんが征夷大将軍に推戴された。そして、先月には朝廷からの将軍宣下を受けて、正式に里見幕府が開かれたんだ。


 ちなみに、幕府は京都とか安土じゃなくて、当面は現在の拠点である土浦に置く。里見家の政庁があるんで、色々と都合が良いからね。ただ、土浦幕府は最初だけで、業務が落ち着いてきたら場所を動かす予定なんだ。


 え? どこって、みんな御存知の『江戸』に、だよ。


 すぐに動かさないのは、江戸は太田康資さんの居城で里見家うちの直轄領じゃなかったからね。それに、目と鼻の先にある目黒とか品川は北条家の領地だったし。だから、まずは、領地の整理をしてからじゃないと、『江戸幕府』なんて話にも上げられなかったんだ。



 ちなみに土浦より江戸が良い理由だけど、何と言っても一番切実なのは飲料水の確保だね。土浦の辺りは土地の勾配が緩やかで、綺麗な水を大量に確保するための水道建設が難しいんだ。現代みたいな浄水設備を造れるんなら、土浦でも全く問題は無いんだけどね。その点、近郊に勾配が急で水量も豊富な多摩川が流れてる江戸は有利だよ。


 他にも湾口(銚子口)が狭すぎて、将来的に大きな港を造れそうにない土浦と、十分な広さの湾口(浦賀水道)をもち、現代でも巨大な艦船が出入りしてる江戸。全域が中州で常に洪水や地盤沈下の心配がある土浦と、東側はともかく西の山手の方は安定した台地になっている江戸。中小の河川(桜川)しか流れていない土浦と、日本屈指の大河川(利根川・渡良瀬川)の河川交通が使える江戸……。こんな風に江戸が優れてるところって、たくさんあるんだ。



 里見家うちでは今までも替地を出して、千葉家から佐倉を、小田家から土浦を本拠として譲ってもらってたけど、今度は全国レベルでそれをしてく感じ。だから、12月の『首脳会議』では、領地の差配については『日本全国フリーハンドでおこなってよい』って確約をもらったんだ。まあ、征夷大将軍(全国の総責任者)にされるんだから、そのぐらいは当たり前の権利だよね。


 あ、当然ながら功績があった人達には希望を聞いたし、こっちの都合で転封させる人には、新領地に色も付けといたよ。だから、同じ功績でも近国に加増と遠国に加増転封では、後者の方が大きな領地を与えてるんだ。まあ、与えられる領地には限りがあるし、ゆくゆくは制度の変更も視野に入れてるから、こんな大盤振る舞いは今回限りになると思うけどね。


 当然ながら罪がある(負け組の)人達は希望なんて聞いてない。そんな連中、強制的に減知移封だ(領地を削って飛ばした)よ。『領地があるだけありがたいと思え!!』って感じ。


 この結果、領地がなくなった人達や、主家が滅亡しちゃった人達、主家の領地が減ったせいで馘首(リストラ)された人達には、就業斡旋所(ハローワーク)も組織した。失職者と領地が増えたのに家臣が足りない大名たちを結んで、仕官の橋渡しとかを行うんだ。


 これには『政情不安を避けるため』って裏目的はあるよ。とは言え中々の至れり尽くせりだろ?



 俺的にオススメなのは、蝦夷地開拓の屯田兵かな?


 現時点での代表的な屯田兵の斡旋先は、札幌と苫小牧だよ。札幌は里見家直轄地として蝦夷代官の蠣崎慶広に開発を任せてるんだけど、苫小牧には三好長吉(羽柴秀次)くんを封じたんだ。長吉(秀次)くん、思った以上に慕われてたみたいで、関ヶ原では配下の将兵たちがかなり頑張った。少なくとも長吉くんが切腹を免れて、逆に褒美を与えてもいいぐらいにはね。


 けど、流石に体面的にも謀反人の親族を国内に置いとくわけに行かないだろ? だから『化外の地である蝦夷地に追放する』って体で、苫小牧に領地をあげたの。今後の頑張り次第では(場合によっては)広大な領地も手に入るんで、寒さに負けずに頑張ってもらいたいな。




 三好長吉くんの褒美の話が出てきたんで、軽く論功行賞の話をしとくね。


 まず、今回話し合いに参加した“織田家首脳”の領地はこんな感じだよ。


 池田恒興さんは筑前37万石から大和44万石に。

 蒲生賦秀さんは肥後の内25万石から北近江28万石に。

 山岡景隆さんは伊賀と伊勢の内17万石から阿波・淡路24万石に。

 蜂屋頼隆さんは紀伊の内14万石から河内24万石に。

 織田信張さんは紀伊の内10万石から南伊勢20万石に。

 堀秀政さんは筑後22万石から豊後42万石に。



 論功行賞では、この人達の領地を一番最初に決めたんだけど、あらかじめメンバー全員に『近国で小封』or『遠国で大封』を選択してもらったの。ほとんどの人が畿内周辺に偏ってるのは、みんな近国を希望したからだよ。

 蒲生賦秀さんは『近江回帰』を強く希望してきたんで、加増幅が小さくなってる。ま、本人が満足そうだから良いんじゃないかな? あと、頼隆さんと信張さんの加増幅が大きいのは、秀吉を討った功績ね。


 堀秀政さんだけが『遠国で大封』を選んだから、九州へ居残り。ちなみに、この秀政さんの回答を聞いた瞬間、密かに『ラッキー!』って思ってたのは内緒だよ。だって、大友家(鎌倉以来の名族)が、いきなり滅びた後を任せても安心な人なんて早々いないからね。



 徳川家は北条氏直さんがもってた川中島の領地と、里見家でもってた駿河と遠江の領地を加増。逆に徳姫さんの領地になってた尾張の知多郡は織田家に返還してもらった。石高で言うと100万石が120万石に加増されたってとこだね。


 徳川家については、この機会に領地の相続についても決めといた。三河・遠江60万石は竹千代くん(※信康長男)に、信濃43万石は萬千代くん(※信康次男)に、そして、駿河17万石は徳姫さんと鶴千代(※俺の子)にって分けた。


 徳川家としては、将来の家督相続に俺が介入してくる事態を避けられるし、俺としても自分の子に確実に領地を相続させられる。両者Win-Winの関係になるんだ。


 ……加えて征夷大将軍(全国の統治者)の視点で見ると、大大名(徳川家)の領地を家督相続にかこつけて分割できたってのも大きいよ。これは絶対に表では言わないけどね。



 で、嫡子の俺は、“次期将軍”って事で、従三位じゅさんみの位を授かった。それから、「いずれ頭に立つんだから」ってことで、里見の通字である『義』の字を先にして、名乗りを『義信』に改めたんだ。



 大宰帥だざいのそちは何なんだ、って?


 ……ちょっとコレは面倒なんだけど、どうやら織田家としての既定路線で『唐入からいり』はやらなきゃいけないみたいなんだよ。


 でも、九州探題(最高責任者)だった池田恒興さんが畿内に戻っちゃった。だから、誰かを代役に立てなきゃいけなくなり、その結果、俺にお鉢が回ってきた。九州の責任者で将軍の嫡男に相応しい(従三位)の官位だったら『大宰帥』があるじゃん! って、こんな流れで任官されたみたい。



 え? 朝鮮に出兵するのか、って?


 もうこの流れができちゃってるんだよ? どうやって止めるのさ?


 それに、今は国内で戦闘要員(武士)が大量に余ってるんで、どこかにそのエネルギーを向けないと、内乱が起きかねないんだよね。


唐入からいり』ってアイディアが出てなかったら、別の方向に視点を逸らしていくんだけど……。既に信長さんの時代から構想があったんじゃ、それもダメ。こんなのしたくなくてもするしかないじゃん!


 だから、今は『どうやってお茶を濁すか』、『どうしたら適当な位置で足抜け出来るか』をブレーンたちと真剣に検討してるとこ。



 当座は、対馬の宗義智を呼び出して、“実用朝鮮語講座”を開講させる。で、『一定の割合で合格者がいない限り出兵を認めない』ってやる予定。


 コレでちょっとは時間稼ぎが出来るし、言葉が通じれば、占領政策もちょっとはまともに出来るんじゃないかな? 李氏朝鮮むこうの支配階級にあたる両班ヤンバンって、かなりえげつない人間も多かったみたいだし。まあ、その辺も含めてしばらくは情報収集と検討にあたらなきゃ。


 とりあえず、国内のトップに立てたんで、命の危険はだいぶ遠のいたけど……。

『はたらけど はたらけどなお わが生活くらし 楽にならざり ぢつと手を見る』

 って感じか? 違う? 失礼いたしました!















 読者の皆様におかれましては、60万字以上にわたり、お付き合いいただきありがとうございました。以上をもちまして、南総里見異聞録 第3章『青年期』編は終了です。

 皆様のレビュー、感想、ブクマ、評価、イイね、PVのおかげで、書き続けることが出来ました。まずは厚く御礼申し上げます。


 さて、未評価の方、ここまでお読みいただいて、本作の印象はいかがでしたでしょうか? よろしければ広告の下にある評価欄をお使いいただき、ここまでの評価をお伝えくださいますと作者としても励みになります。よろしくお願いいたします。




1585年10月ごろの領地概略図

挿絵(By みてみん)


1586年2月ごろの領地概略図

挿絵(By みてみん)



ここから先は、各大名の領地設定です。スッゲー時間がかかりました。

折角作ったんで、上げときます。メッチャ長いので興味がある人だけ見て(●●)ください。

ちなみに毎日2時頃までコレを考えてて、メッチャ辛かったです!(今はスッキリw)



山城国 225,262.00    天領    (23)

大和国 448,945.50

 筑前より転封 (37) → 池田恒興 (45)

河内国 242,105.80

 紀伊より転封 (14) → 蜂屋頼隆 (24)

和泉国 141,512.70    天領    (14)

摂津国 356,069.10    天領    (36)

紀伊国 380,247.70※義信分国

 武蔵より転封 (18) → 畠山義長 (30)

      安堵    → 熊野衆   (7)

      安堵    → 高野山   (1)

近江国 832,122.60 天領   (10) 滋賀・栗太

 肥後より転封 (25) → 蒲生賦秀 (28) 坂田・浅井・伊香・高島

     新規   → 織田吉法師(28) 甲賀・蒲生・野洲

     新規   → 織田吉丸 (17) 神崎・愛知・犬上

伊賀国 100,000.00

     新規   → 風間正重 (10) ※風魔秘密領より

伊勢国 567,105.14※織田家一門領

 紀伊より転封 (10) → 織田信張 (20)

             織田一門領(32)

     安堵      伊勢神宮  (5)

志摩国 32,854.91※義信分国

     新規   → 津田信澄  (3)※西班サイパン島より

美濃国 581,523.00

     加増 (13) → 斎藤利堯 (19) 中美濃七郡

     加増 (13) → 稲葉貞通 (19) 西美濃七郡

     加増 (5) → 遠山友忠  (8) 恵那・土岐・可児

     減封 (16) → 氏家行継  (8) 石津・多芸・不破

     減封 (2) → 竹中重矩  (1) 池田郡の内

     安堵 (3)   遠藤慶隆  (3) 郡上

飛騨国 38,764.40    天領    (4)

尾張国 571,737.40

 伊勢より転封(28) → 織田信吉 (57)

三河国 336,000.00

     加増(100) → 徳川   (120)(竹千代)

遠江国 268,800.00

     加増(100) → 徳川   (120)(竹千代)

駿河国 170,000.00

     加増(100) → 徳川   (120)(竹千代)

信濃国 547,360.00

     加増(100) → 徳川   (120)(萬千代) ※佐久・小県以外

     加増  (7) → 真田昌幸 (10) 小県・吾妻利根(上野)

     加増(本領甲斐) 武田豊信 (32) 甲斐一国・佐久

甲斐国 250,000.00

     加増 (25) → 武田豊信 (32) 甲斐一国・佐久(信濃)

伊豆国 79,353.00※義信分国

            天領    (8)

相模国 194,304.00    天領   (13)

     新規    → 北条氏政  (6) 足柄下・足柄上

武蔵国 747,126.00    天領   (75)

安房国 91,779.12※義信分国

     加増 (6) → 正木堯盛 (9)

上総国 378,892.00※義信分国

           天領   (22)

     加増 (5) → 加藤信景  (6) 長柄・埴生

     加増 (4) → 忍足高明  (5) 望陀

     加増 (2) → 藤平弘昌  (3) 佐是・海北

     加増 (1) → 白井浄三  (2) 周東・周西

下総国 393,255.00    天領   (39)

常陸国 753,600.00    天領   (37)

 陸奥より転封 (11) → 正木時茂 (22) 久慈・茨城・那珂・鹿島

 下総より転封 (4) → 真壁氏幹  (9) 真壁

     安堵 (4)   土岐治綱  (4) 河内

     安堵 (3)   大掾清幹  (3) 行方

上野国 496,377.00    天領   (12)

     加増 (5) → 由良国繁  (7) 新田・佐位

     加増 (5) → 北条高広  (9) 群馬郡の内

     加増 (4) → 長尾顕長  (6) 邑楽

     加増 (3) → 北畠具親  (6) 片岡、群馬郡の内

     加増 (3) → 小幡信貞  (5) 甘楽

     加増(本領信濃) 真田昌幸 (10) 吾妻・利根・小県(信濃)

     加増(本領陸奥) 津軽為信  (6) 津軽五郡・多胡

下野国 464,000.00   天領   (26) ※下記以外

     加増 (3) → 那須資泰 (6) 那須

     安堵 (5)   小山秀綱 (5) 寒川・都賀郡の内

     安堵 (5)   宇都宮国綱(5) 河内・都賀郡の内

     安堵 (3)   佐野宗綱 (3) 阿蘇郡

     安堵 (1)   塩谷義綱 (1) 塩谷郡の内

陸奥国1,729,000.00

 常陸より転封 (20) → 正木頼忠 (42) 刈田~栗原

 下総より転封 (5) → 結城晴朝 (10) 白河・白川・岩瀬

 出羽より転封 (4) → 井田胤徳  (7) 岩手・志波

 下総より転封 (1) → 牛尾胤仲  (3) 田村郡の内

     加増 (28) → 蘆名義盛 (42) 会津・仙道六郡・蒲原郡の内

     加増 (12) → 相馬盛胤 (17) 海道六郡(伊具~磐城)・亘理

     転封 (7) → 葛西晴信 (10) 元吉・気仙・胆沢・江刺

     転封 (4) → 田村清顕  (8) 伊達

     加増 (5) → 津軽為信  (6) 津軽五郡・多胡(上野)

     転封 (3) → 国分盛重  (5) 磐井

     転封 (2) → 二階堂盛胤 (3) 石川

     転封 (2) → 二本松義継 (3) 安積

     転封 (2) → 黒川晴氏  (3) 和賀

     転封 (1) → 石川昭光  (2) 田村郡の内

     安堵 (9)   南部信直  (9) 糠部・鹿角・閉伊

     安堵 (3)   稗貫広忠  (3) 稗貫

     安堵 (2)   大内定綱  (2) 田村郡の内

出羽国 870,000.00※義信分国

            天領    (8) 秋田・檜山・比内郡の内

 下総より転封 (9) → 千葉良胤 (20) 仙北三郡・由利・豊島(山室)

 下総より転封 (5) → 簗田晴助 (15) 置賜郡の内

 下総より転封 (3) → 多賀高明 (14) 田川・櫛引・遊佐

 下総より転封 (2) → 高城胤則  (4) 置賜郡の内

    安堵 (24)   最上義光 (24) 最上・村山

     新規     浅利頼平  (2) 比内郡の内

若狭国 85,099.60

 伊勢より転封 (5) → 武田信勝  (9)

越前国 682,654.00

     減封 (25) → 柴田勝政 (12) 足羽・吉田郡の内

     減封 (16) → 不破直光  (8) 丹生

     安堵 (9)   金森長近 (9) 大野

            織田諸将領(39)

加賀国 442,507.40 

 美濃より転封 (5) → 森 長重 (12) 能美

 越前より転封 (12) → 原 長頼  (6) 江沼

     安堵 (26)   佐久間安政(26) 河北・石川

能登国 216,891.30

     安堵 (18)   前田利政 (18) 羽咋・鹿島・鳳至

     安堵 (4)   長 連龍  (4) 珠洲

越中国 530,637.30        

 佐渡より転封 (2) → 本間泰高  (6) 婦負

            織田諸将領(47)

越後国 606,370.00 ※変更無し

     安堵 (36)   上杉景勝 (36) ※下記以外

     安堵 (8)   新発田重家 (8) 蒲原郡の内

     安堵 (6)   本庄繁長  (6) 岩船郡の内

     安堵 (4)   安田有重  (4) 蒲原郡の内

     安堵 (3)   色部長実  (4) 岩船郡の内

     安堵 (1)   鮎川盛長  (1) 岩船郡の内

     安堵 (1)   加地秀綱  (1) 蒲原郡の内

     安堵 (1)   下条忠親  (1) 蒲原郡の内

     加増 (本国陸奥)蘆名義盛 (42) 会津仙道六郡・蒲原郡の内

佐渡国 20,599.00    天領    (2)

淡路国 63,621.10

   転封(本領阿波) → 山岡景隆 (24)

阿波国 186,753.50

 伊賀より転封 (17) → 山岡景隆 (24)

讃岐国 175,001.70

 上総より転封 (5) → 菅 達長 (17)

伊予国 381,640.80

 出羽より転封 (19) → 土岐頼春 (38) ※与力含む

土佐国 202,626.50

     安堵 (20)   長宗我部元親(20) 

丹波国 280,570.20

 信濃より転封 (15)  → 北条氏直 (28)

丹後国 123,170.20

 陸奥より転封 (8)  → 小田氏治 (12)

但馬国 123,960.00

 陸奥より転封 (6)  → 酒井康治 (12)

因幡国 131,649.60

   転封(本領伯耆) → 佐竹義重 (31)

伯耆国 175,032.00

 陸奥より転封 (19)  → 佐竹義重 (31) ※多賀谷・磐城を含む

出雲国 223,477.10※義信分国

 武蔵より転封 (8)  → 太田資正 (15) ※下記以外八郡

 上総より転封 (2)  → 梶原政景  (7) 神門・飯石

隠岐国  11,802.90※義信分国

             天領    (1)

石見国 137,370.00※義信分国

             天領    (2) 安濃・邇摩

 武蔵より転封 (5)  → 成田氏長  (9) 那賀・美濃・鹿足

 信濃より転封 (5)  → 大熊長秀  (3) 邑智

播磨国 521,300.00

 相模より転封 (42)  → 北条氏忠 (52)

美作国 227,115.50

     減封 (51)  → 宇喜多秀家(23)

備前国 286,200.00

     新規    → 滝川三九郎(28) ※一積

備中国 227,894.80

     減封(160)  → 毛利輝元 (71)

備後国 238,838.00

     減封(160)  → 毛利輝元 (71)

安芸国 259,384.90

     減封(160)  → 毛利輝元 (71)

周防国 164,420.20※義信分国

 武蔵より転封 (5)  → 太田康資 (10) 大島・玖珂・熊毛・都濃

 上総より転封 (2)  → 酒井政辰  (6) 佐波・吉敷

長門国 134,059.90※義信分国

            天領    (4) 豊浦

 信濃より転封 (3)  → 依田信蕃  (7) 阿武・見島・大津・都濃

 信濃より転封 (1)  → 横田尹松  (3) 厚狭

筑前国 522,512.40※義信分国

            天領   (28) ※下記以外7郡

 信濃より転封 (5)  → 内藤昌月 (10) 御笠・夜須・上座・下座

 上総より転封 (3)  → 水谷正村  (7) 穗波・嘉麻

 上総より転封 (4)  → 安東実季  (7) 早良・怡土

筑後国 302,085.50※義信分国

 陸奥より転封 (11)  → 大崎義兼 (30)

豊前国 330,744.64※義信分国

            天領    (4) 企救

 出羽より転封 (7)  → 小野寺義道(14) 田川・京都・仲津・築城

 出羽より転封 (6)  → 戸沢盛安 (13) 宇佐・下毛・上毛

     安堵 (2)  → 宇佐神宮  (2) 宇佐郡の内

豊後国 418,313.00

 筑後より転封 (22)  → 堀 秀政 (42)

肥前国 561,437.40 ※変更無し

     安堵 (36)    龍造寺政家(36) ※下記以外

     安堵 (8)    波多 親  (8) ※松浦郡の内

     安堵 (6)    松浦鎮信  (6) ※松浦郡の内

     安堵 (4)    有馬晴信  (4) ※高来郡の内

     安堵 (2)    大村純忠  (2) ※彼杵郡の内

     安堵 (2)    五島玄雅  (2) ※松浦郡の内・五島

肥後国 572,989.00※義信分国

            天領    (2) 天草

 出羽より転封 (35)  → 伊達政宗 (53) ※球磨・天草を除く

     安堵 (2)   相良頼房  (2) 球磨

日向国 288,589.50 ※変更無し

     安堵 (7)   伊東祐兵  (7) 那珂

     安堵 (5)   高橋元種  (5) 臼杵

     安堵 (3)   秋月種長  (3) 児湯

     安堵 (2)   筑紫広門  (2) 宮崎

     安堵(本国薩摩) 島津義久 (62) 諸方

大隅国 170,828.10

     安堵(本国薩摩) 島津義久 (62)

薩摩国 315,251.70

     安堵 (62)   島津義久 (62)

壱岐国  15,982.30

     安堵 (6)   松浦鎮信  (6) ※肥前に4万石

対馬国  8,163.00

     安堵 (1)   宗 義智  (1)



蝦夷地  43,450.21※義信分国

            天領    (3) 函館

            蠣崎慶広  (1) 松前

            岡見宗治  (1) 有珠


※国ごとの総石高については、基本的に『太閤検地』と『慶長郷帳・国絵図』を比べて高い方を採用しています。ただし、「コレ、あり得ないほど低いんじゃね?」と疑義をもった国については、あえてもうちょっと後の時代の数値を挙げてます。

※安房・上総・下総・常陸辺りの里見家支配が長い領地については、もっと石高が上がっている可能性が高いですがそのまま出しました(そこまで設定してる時間が……)。

※蝦夷地はお遊びです。

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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
― 新着の感想 ―
なんでアメリカ大陸を目指さなかったんだろう? 時代的にスペインがチリの反対方面からイギリスは東海岸方面から上陸した位だったはずだから西海岸方面は無人のはずだよ その代わり木材がほとんど生えてない荒野だ…
海洋国家になった以上、高山国を本拠地に明沿岸を略奪しまくるのが一番旨いのでは
稲作も満足に出来ない朝鮮半島はきっついなぁ、中華貿易にも影響するし、奄美から沖縄からの台湾ルートが1番良い流れなんだけどね、稲作も二期作出来るし中華貿易や東南アジア南蛮貿易の一大拠点になるからね、
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