第238話 織田家の後継者
第12回ネトコン 1次通過しました!
天正14年(1586年)2月 豊前国 企救郡 小倉城
さて、皆さん里見義信こと酒井政明です。
『今後の体制をどうするか』って話し合いは、12月末から安土で行われたんだ。
参加者は、織田家の宿老の中から、織田信張さん、池田恒興さん、蜂屋頼隆さん、蒲生賦秀さん、堀秀政さん、山岡景隆さんの6人。徳川家を代表して徳姫さん。そして里見家から里見義頼さんと俺の2人。
合計9人での開催だった。人数が9人なのは偶数だと多数決にしたとき収拾が付かなくなる可能性があるんでね。
え? 信長さんの直系、もしくはその兄弟が入ってないのは何故か、って?
適当な人がいないからだよ。強いて言えば、織田長吉くんと織田長益さん辺りになるんだろうけど……。長吉くんはまだ13歳だし、長益さんは小身な上、最初から里見方に付いてたわけじゃないんで、席に加えるには、ちょっと弱いんだよね。
実は、11月29日の段階では有力な候補者がいたんだ。織田信包さんの長男、織田信重さんだよ。
信重さんは弱冠20歳。「若い!」って言えば若いんだけど、それでも俺よりは年上なんだよね(笑) それに、伊勢亀山15万石の領主だったし、畠山義長と連携して、羽柴方の尾藤知宣を討ち取るのに一役買ってるんで、十分に参加資格はあったんだ。
ところが、信重さん29日の夜、就寝中に地震で亀山城が崩れ、あえなくお亡くなりに……。
いや、確かに俺、城が崩れるのは知ってたよ? でも、どうやって教えるのさ? 「29日の晩、城が崩れますから、陣幕で寝てください」とか言える? 俺は無理だね!
伊勢も美濃の戦線みたいに里見方が優勢だったら、同じように『夜襲の練習をさせる』って名目で、城外に出させることも出来たかもしれない。でもさ、伊勢の戦線では、畠山勢を美濃に動かしちゃった関係で、どっちかと言えば羽柴方の方が優勢なくらいだったんだよ。しかも、亀山城に対する敵は、16㎞も先の鈴鹿峠を守ってるんで、『頻繁に城の外に兵を出す』って行為自体が、そもそも不自然でしかないんだよね。
じゃあ、『危ないから拠点を移すか?』ってなると、亀山城の重要性がネックになるんだ。亀山城は鈴鹿峠の出口にあたる重要拠点。取られたら伊勢経由で、美濃にいる本隊の裏を突かれかねない。だから、放棄するわけにもいかないし……。
そんなわけで、『史実でも城が全壊したわけじゃない。壊れても助かった人だっている』って目を逸らした結果、こうなっちゃったと。
あ、『城が崩壊した』って言えば、もう1人忘れちゃいけない人がいた!
内ヶ島氏理さん? ノンノン。佐々成政さんだよ。
俺は成政さんは『富山城にいる』って思い込んでたんだけど、居城を礪波郡の木舟城に移動させてたらしいんだ。確かに『北陸探題』として越前や加賀の与力衆と連絡を取るには、木舟城の方が便利だろう。だけど、事前に聞いてたら絶対に止めたんだけどね。
だってここ、天正地震で危険な城No.2だよ? 史実では、地震で地盤が9メートルも陥没して倒壊しちゃってるんだもん。『圧死した城主夫妻の遺体を穴の底から掘り出すのに3日もかかった』なんて衝撃的なエピソードも残ってるぐらいだよ?
当然、そんなとこで暮らしてたら、被害を受けないはずがなく、成政さんは一門や郎党共々"城と運命を共にしちゃった”ってわけ。
いや、ホントに知らなかったんだって! 決して成政さんが邪魔だから教えなかったわけじゃないよ!
ちゃんと、危険な城No.1の城主だった内ヶ島氏理さんには「領内の発展の面から帰雲城よりも荻町城の方が居城として相応しいのでは?」って勧めてるし!
え? 話を聞かなかったらどうしたんだ、って?
流石に自分の家臣じゃないから、話を聞かないヤツの面倒まで見切れないよ。でも、噂によると氏理さん、ちゃんと居城を移してたみたいだよ?
帰雲城を廃城にしたわけじゃなかったから、史実通りに起こった山体崩壊のせいで、城の生存者はゼロ(※城下町含む)。領内でも洒落にならないレベルの死者が出たみたい。だけど、居城を移してた内ヶ島一族は助かったんだって。よかったよかった。
……でも、本人は木舟城に伺候してて、そっちで巻き込まれちゃったらしいけどね(苦笑)
さて、随分と脱線しちゃったけど話を戻すね。
そんなわけ(?)で、信長さんの係累については『娘婿の蒲生賦秀さんと、実の娘の徳姫さんが居るから』ってことで、みんな納得することにしたんだ。
で、まず最初に決めなきゃいけないのは全体の舵取り役だよね。だから、最初、俺たち里見家の面々は、羽柴秀吉亡き後の執政に池田恒興さんを推したわけ。
なにせ、恒興さんは織田家譜代の家臣で信長さんの乳兄弟だ。さらに現在『九州探題』って重職を担ってて、謀反人に与した大友家追討にも功績がある。となったら資格十分でしょ?
ところが、恒興さん、就任を辞退するわけよ。
次は、織田信張さんは? って推したの。信張さんは織田弾正忠家の出じゃないけど、同じ織田一門だ。謀反人羽柴秀吉を直接討ったって大功もある。こっちも十分資格があるよね?
ところが、信張さんも「小身で功の少ない某は、その任に非ず」って拒むわけ。
え? 空々しい、って?
分かってないなぁ。こういうのは様式美だよ? 仮に『自分たちが相応しい』って思ってたとしても、日本人の美徳として、こんな場で自薦はしないもんだよ。
まあ、客観的に見たらさ、功績№1はどう考えても里見信義だし、領地が一番広いのも一番兵を率いてるのも里見家だ。執政に推される下地は十分だし、政権を担う力も十分あると思ってる。だけど、あくまで日本の覇者は織田家で、里見家は『外様の新参者』に過ぎないんだ。仮にメンバーがずいぶん小粒だとしても、まずは織田家譜代の家臣団でどうにかしてもらうのが筋だよ。ここで、もう一度メンバー構成を見てもらえれば、里見が随分配慮してるのが分かるでしょ?
それで、織田家譜代の人達が、「自分たちで建て直します!」って言うなら、里見としてはいくらでも協力するし、求める恩賞でも無理な要求をするつもりもなかったんだ。『お手並み拝見』&『金持ち喧嘩せず』ってヤツかな?
で、信張さんに断られた後、義頼さんが「蒲生賦秀殿は信長様の娘婿、まだお若いが才気も豊かでいらっしゃる。血筋では申し分ないかと……」って言いかけた。
そしたら、賦秀さん、慌てて話を遮って、こう言ったんだ。
「御推薦は光栄なこと。しかし、私のような浅才にして功少なき者が受けてしもうては、世の物笑いとなりましょう。思い返せば、数年来、幾度となく天下の窮地をお救いくださったのは、いつも里見の御一門でした。
私としては天下の舵取りは里見義頼様に任せるべきであろうと愚考いたします」
「いやいや、お待ちくだされ! 我ら里見家は天正年間に入ってから傘下に加わった新参者にござる。そこは平に御容赦を」
当然のことだけど義頼さんは断りを入れた。そしたら今度は、織田家側の座長っぽい池田恒興さんが説得に加わる。
「ここに集う我らは、現在の織田家では大身でござる。なれど、亡くなった柴田勝家殿や滝川一益殿のように、数か国を統率する経験は今年に入るまで一度もありませぬ。今の役目ですら手に余る重責でしたのに、本朝の六十余州を動かすことなど到底出来そうにございませぬ。
それに比べて里見義頼様は、長らく房総三国を束ね、昨今は関八州と奥羽を無難に経営してござる。嫡男の信義殿も、数か国の経営に携わっているばかりか、徳川家の後見までしておられる。これほど日ノ本の舵取りをお願いするに相応しい方々はございませぬ。
儂はこのように思うのですが、徳姫様、如何でしょう? 御寮人様は里見家との関係も深く、各々のお人柄も良く御存知でござろう。織田一門を代表して、御意見をお聞かせくだされ」
恒興さんから話を振られて、徳姫さんは『待ってました』と言わんばかりに話し始めた。先に言っとくけど、俺たちが仕込んでたわけじゃないからね。
「わらわも池田恒興殿の言うとおりと存じまする。
里見様には信康の頃より『同じ新田一門だから』との理由で、御助力いただいておりました。その先代が横死した後、だまし討ちのような形でお願いしたにも関わらず、信義様は傾きかけた徳川家を立て直してくださいました。
現在の織田家の子弟は皆幼く、その上、わらわの目から見ても父信長や兄信忠のような才気を放つ者は見当たりませぬ。そのような者に、天下の舵取りを任せては、天下の乱れの基にして、織田一門の衰亡の基にもなりかねませぬ。
いっそのこと、里見義頼様に、日ノ本を治めていただいてはいかがかと……」
「お待ちくだされ!」
と、ここで、山岡景隆さんが乱入してきたんだ。
景隆さんは信長さんに従ったのは近江平定以降だけど、信長さんへの忠誠はかなり厚く、明智光秀や羽柴秀吉といった、織田家を奪おうとする連中に対し、ここぞというとき牙を剥いてきた織田家の“忠臣”だ。
俺はこの時、「やっと反対者が出た!」って思ったんだよね。




