第235話 思いがけぬ出来事
天正13年(1585年)11月30日 昼 近江国 坂田郡 長浜郊外 里見信義本陣
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見弾正忠信義こと酒井政明です。
長浜城に屯してた羽柴方が降伏の使者を送ってきたんで、それに乗っかって長浜まで進出してきたとこだよ。
本当は、今日は関ヶ原で態勢を整え、後続が到着するのを待って、明日にでも近江に入ろうと思ってたんだけど、ままならないもんだね。
まあ、この長浜の有様を見たら、誰でも『降伏は仕方ない』って思うんじゃないかな?
関ヶ原の惨状を見て慣れてたつもりだった俺だけど、長浜はまた違った意味で衝撃だったよ。長浜を見下ろす峠に立った俺が目にしたのは、完全に崩れて焼け落ちた長浜城と、泥だらけの長浜の町だったんだ。
天正地震で長浜城が倒壊して火事が起こったのは知ってた。それにフロイスさんの『日本史』に津波の記事が残ってるのも知ってはいたよ?
けど、津波は“高浜”とかの誤記だろうって思ってたんだ。
だってここ琵琶湖だよ?
衝撃を受けてる俺の前に、俺の馬廻に案内されて2人の男が現れた。確か、藤掛永勝と渡辺了だったかな? 2人とも煤で汚れた顔だし、表情には隠しきれないほどの強い疲労を湛えてるのがわかる。
まあ、天守閣は崩れて焼けるし、津波か液状化か分かんないけど城下も泥まみれときたら、こんな表情になっても仕方ないよね。この顔見てたらあんまり気の毒だから、さっさと降伏を認めてあげて、休ませてあげようかな。
「藤掛永勝殿、渡辺了殿、この里見信義、降伏について確と承った。罪の無い将兵の助命についても御約束いたそう」
「「……有り難き幸せ」」
少し肩の荷が下りたような2人の姿を見て、俺は降伏の打診を受けた段階から、ずっと頭に引っかかってた疑問を問うてみた。
「しかし、貴殿らは羽柴秀勝殿の家臣であろう。秀勝殿の許しは出ておるのか?」
コレ、当然の疑問だと思うんだよ。そもそも絶対に聞かなきゃいけないことだし。でも、次の瞬間、俺は聞いたことを後悔したね。
「秀勝様は、本日未明、御自害なさいました」
は い ぃ ??
「三法師様が昨晩の地震による城の倒壊に巻き込まれてお亡くなりに……。羽柴秀勝様はその責任を強く感じられ、我らが止めるのも聞かずに腹を召され……」
な ん で す と !?
三法師君が長浜に来てるのは知ってたから、「もしかしたらヤバいんじゃないか?」っては思ってたけど、まさか秀勝くんまで切腹してるなんて……。
秀勝くん、考えてたよりずっと繊細だったんだね。とても秀吉の養子とは思えないよ。
「三法師君が亡くなった」って聞いたら「ラッキー!! 遂に俺の番が来たぜ!」なんて考えられるような戦国思考じゃないと、この乱世を渡っていくのは厳しいよね。
俺、亡くなった三法師君の“馬”を務めたこともあるし、秀勝くんはほぼ同時に初陣を飾った関係で、2人ともそれなりに交流はあったんだよね。こんな若い人達が無為に命を散らすって、かなり心にクる物があるよ。
「それは何ともお労しい……。一度干戈を交えた身である私が言うのも何だが、まずはお悔やみ申し上げる。このような有様ではあるが、なるべく早く葬儀の準備をせねばならぬな」
「敵に回った身でありながら、この信義殿の御厚情。なんと感謝していいものやら……」
「いやいや、此度の戦は、秀勝殿が悪いわけではない。ましてや三法師様は担ぎ出されただけでござろう。悪いのは秀吉めにござる」
って言ってて気が付いた。……あれっ? ところで、総責任者だったはずの秀吉は何してるんだ!?
史実の石田三成みたいに伊吹山に逃げ込んだ? ……いや、それは無いな。冬の伊吹山に逃げ込むとか自殺行為だもん。首実検でもそれらしき遺体は見つかってないし、尋問した捕虜の証言から、未明の大きな余震の直後までは姿が確認されてるんで、まだ逃亡してる可能性が高いんだよね。で、逃亡先として一番有力なのが、三法師君と秀勝くんが2万の兵を擁してた長浜だったんだけど……。てか、長浜しか考えられないよ。
あ、まさか!!
「……藤掛永勝殿、渡辺了殿、ところで秀吉からの指示や連絡は?」
「あれば、このような決断はしておりません。関ヶ原の敗戦も逃亡してきた兵から聞いたぐらいでござる!」
「使者と言えば、明け方近くに馬廻の片桐直盛(※且元)を寄越しただけ。しかもその直盛もこちらの惨状を聞くなり、去ってしまいましたし……」
話を聞いてピンときたよ。最初は逃げ込もうと思ってたけど、様子見に使者を送ったら、あんまり酷い状況だったんで逃亡先を変えた、と見たね。
……あの野郎、長浜を見捨てて逃げやがったな!!
予想で憤ってても仕方ない。とりあえず俺は、降将の藤掛永勝と渡辺了に、長浜の手勢を二手に分けるように命じた。一つは人命救助と被災者への炊き出しに、もう一つは葬儀の準備に宛てるためだよ。
そして、2人を下がらせると、風間隼人を呼んで善後策を指示してく。
迅速な移動は秀吉のお家芸だったね。地震を生かした奇襲に注力しすぎて、ちょっと考えが疎かになってたかもしれない。反省反省!
この流れだと、秀吉の野郎、安土と甲賀郡の味方を糾合して西国へ逃げるつもりだろう。だけど、そうは問屋が卸さない。軍勢は揃わなくとも出来る嫌がらせはたくさんあるんだって事を教えてやろうじゃないの。
ふふふ、首を洗って待ってろよ!
長浜が泥だらけだったのは、津波というより液状化と湖岸の地滑りです。主人公には東日本大震災の経験がありませんので、液状化に関する知識が乏しく、「津波が起こったんじゃないか?」と勘違いをしています。また、北西に数百mほど離れたエリアでは、琵琶湖沿いの“西浜千軒“という集落が、地盤ごと琵琶湖に向かって滑り落ち、水没してます。




