第233話 天災下の夜襲
天正13年(1585年)11月30日 未明 美濃国 不破郡 関ヶ原宿
皆さんこんばんは、梅王丸改め 里見弾正忠信義こと酒井政明です。
星の動きを見るに、今はちょうど日が変わったくらいだと思う。だから、さっきの演説から2時間ぐらい経ってる感じかな。で、つい今し方、砲兵隊の一斉射撃で羽柴勢との戦端が開かれたとこだよ。
いや~、それにしても気持ちいいもんだね。相手の反撃を全く気にせずに撃ちまくれるのって。
え、織田家にも大砲を献上してたんじゃないのか、って?
良く覚えてるね。でも、前に俺が献上したのは臼砲なんだ。構造が簡単で鋳物師がいれば製造可能。重量のある砲弾を飛ばせるし、障害物を飛び越えて曲射することが出来るって長所がある。だけど、射程が短くて狙ったとこに当るのは至難の業だって欠点もあるんだ。
ちなみに秀吉の陣にもこの臼砲が12門ばっかし配備されてるって情報は入ってる。
でも安心して! 俺が今回大量に持ってきたのは四斤山砲(擬き)だからね!
この四斤山砲。臼砲や旧式のカノン砲の射程が1kmぐらいだったのに対して、射程が2kmを超えてる。しかも大砲としては小型軽量で、行軍に帯同するのも難しくないんで、すっげー便利なんだ。
アームストロング砲は無いのか? うん。でも、研究はさせてたんだよ? ただ流石に数年でそこまでは無理だった。四斤山砲でも200年以上時代を先取りしてるんで、そこは勘弁してほしいな。
まあ、大砲は前装式の四斤山砲までが限界だったけど、銃の方は後装式の村田銃(擬き)ができちゃった。こっちはまだハンドメイドなんで数は10挺ぐらいしか無いけどね。ちなみに、その村田銃(擬き)を配備したのは、津軽為信さんにアイディアをもらった精鋭の猟兵部隊だよ。
今回は虎の子の猟兵たちを、風魔衆と組ませて密かに先行させてるんだ。これは先鋒隊にも知らせてない秘中の秘だよ。で、味方の砲撃が始まったら、敵の身なりの良いヤツや、回りに指示を出してるやつを狙い撃てって命じてある。今までの日本の戦いだと『狙撃対策』って考慮されてないから、きっとかなり効くはず。さてどんな結果になりますかね。
天正13年(1585年)11月29日 夜 美濃国 不破郡 天満山 羽柴秀吉本陣
時間は少し遡る。
就寝中であった秀吉は、背中から突き上げるような揺れに飛び起きた。
見れば、財に物を言わせて建てた陣城は、音を立てて軋みながら右に左に揺れている。と、目の前で灯明が倒れ、辺りは闇に包まれた。命の危険を感じた彼は、右も左も分からぬ中、必死で見当を付けた方角に這い進み、何とか屋外に転び出た。その直後、己が先程まで寝ていたはずの屋敷はメキメキと音を立てながら倒壊していった。
地に座り込み、呆然とその様子を眺める秀吉の下に、不寝番を務めていた加藤清正が、揺れをものともせずに駆け付けてくる。
「秀吉様! 御無事でございますか!?」
「……清正か。これは如何なることじゃ」
「地震にござる。いきなり地鳴りがしたかと思えば、最初は突き上げるように、後は揺するように揺れましてござる。後は御覧のとおりで……」
一瞬呆けていた秀吉ではあるが、裸一貫から織田の執政にまで上りつめた才覚は伊達ではない。すぐに我に返ると、その良く通る大きな高い声で、清正に指示を出し始めた。
「清正、儂はこの通り無傷じゃ。しかし、あの通り屋敷は潰れてしもうた。おそらく無事でない者も多かろう。まずは各陣に使者を送り、被害の状況を確認するのだ!!
使者の選抜がすんだら、残った者には倒れた建物の下敷きになった者の救出じゃ。怪我人は戸板に乗せて崩れるものがない場所に寝かせておけ。分かったか!」
「はっ!」
清正はキビキビと部下たちに指示を出し、各人が己の役割に従って動き始めた。そして、清正たちが動いている間にも、次々と幕下の諸将が駆け付けてくる。
彼らの姿を見て、最初は無事を喜んでいた秀吉であった。が、彼の耳に飛び込んでくる話は、時が経つにつれて徐々に不穏な物へと変わっていった。
「福島正則殿より報告。陣から出火、消火に努めておりますが火の勢いが強く周辺に燃え広がっておるとのこと」
「笹尾山の宇喜多家より『兵舎が倒壊、死者が多数でているため救援を請う』との伝令が参っております」
「松尾山麓の毛利家より伝令。『裏山が崩れ、隣接する大友家の陣に土砂が流れ込んでおるため救援に向かう』とのこと。なお大友義統殿の無事は確認できておりません」
「東の方、大垣方面が明るうござる。火災が起こっているのやもしれませぬ」
暗澹たる気持ちを心に秘め、秀吉は矢継ぎ早に的確な指示を出していく。しかし、何事にも限界はくるもので……。
「報告! 我が主、黒田孝高。落ちてきた梁の下敷きに……」
「嘘じゃ! 戯けたことを申すでない!! いや、まだ何とかなるかもしれぬ! すぐに梁をどけて……」
「既に孝高は黒田家の者が梁の下から引き出しております。しかし、既に事切れてッ!」
「なんという事じゃ……」
先程までの気丈な姿はどこに消えたのか、秀吉は紐の切れた操り人形のようにその場にへたりこむ。周囲も沈痛な面持ちで視線を落とすばかりである。
しかし、時間は彼ら主従を待ってはくれなかった。集団の外縁にいた脇坂安治が声を上げた。
「各々方、何やら焦げ臭くないか?」
「福島正則の所の煙が回ったのではないのか?」
「いや、風向きが違う。臭うなら北側からでなければ……! おい! あれを見ろ!!」
一同が安治の指さす方角に目をやれば、まだ倒壊していない屋敷が屋根から煙を上げているではないか!
慌てて火消しを始めるも、時既に遅し、屋根を突き破った炎は周囲に火の粉をまき散らす。さらには飛んだ火の粉のせいか倒壊した建物からも出火して、辺りは昼間のように明るくなる始末である。
東側は関ヶ原宿辺りでいくつかの光が見えたのはそんな時であった。そして数瞬の後ドン、ドン、ドンという炸裂音が闇に木霊したかと思うと、次の瞬間、ダーンいう轟音を上げて倒壊した建物が吹き飛んだ。
爆風で倒れる者も多い中、気丈にも加藤清正が声を上げる。
「里見の攻撃じゃ! 撃ち返すぞ! 砲を準備……」
ターン!
と、その時、一発の流れ弾が清正の額を貫いていた。
すぐ近くまで敵が迫っていることに慌てる羽柴勢。慌てて秀吉を後方に送り、迎撃の準備を整えようとするも、平野長泰、奥村半平と、先頭に立とうとする将が次々と撃たれて命を落とし、迎撃どころの話では無い。
右往左往するうちに、徐々に陣の外から喚声が近づいてきたかと思うと、轟音がして板塀が吹き飛んだ。塀の穴からぬっと現れたのは巨大な金砕棒を手にした男である。
「常陸の人 真壁氏幹見参! 人呼んで鬼真壁。謀反人羽柴秀吉が首、受け取りに参った。命の惜しくない奴はかかって参れ!」
絶望の始まりであった。
まず、秀吉を逃がさんと打ちかかった糟屋武則が、五合も打ち合わぬうちに、その刀をへし折られ、横合いから槍を付けんとした石川一光はその郎党もろとも吹き飛ばされる。その隙を突いて秀吉は陣外に逃げだせたものの、秀吉を探して陣中をうろつく真壁主従の様は、まさに百鬼夜行そのものである。
しばらく縦横無尽に暴れ回った後、唐突に鳴った退き鉦を聞いて“鬼”は退却していった。
おかげで全滅は避けられたものの、本陣の惨状は目を覆わんばかり。“鬼”の襲来をやり過ごした羽柴方の将兵は、皆一様に命が残っていることを喜んだ。
しかし、なぜ奴は退いたのか?
その疑問に対する回答が得られたのは間もなくのことだった
天正13年(1585年)11月30日 丑の刻 大規模余震発生
数分後、揺れが落ち着いたとき、新たに複数の建物が潰れ、陣地の裏山もあちこちで崩れ、陣内にも土砂が流れ込んでいた。
さらに追い打ちをかけるように、里見の陣からは砲弾が撃ち込まれる。
「お、お、お、鬼の仕業じゃ!!」
「こげなとこさいたら、地獄にしょっ引かれっぞ!」
「に、逃げるべ!」
恐慌を来した兵たちは、口々に喚きながら山に向かって逃げ始める。
それを止めようとした将たちは、次々に撃たれ、さらに兵たちは恐慌を来す。
そんな地獄絵図が展開する中、秀吉は既に逃亡を開始していた。
(これはもういかん。早く長浜に退いて兵を纏めねば! まだ近江には6万の兵がおる。兵力は逆転してしもうたが、なあに、西国から援軍が届けば、互角の戦になるはずじゃ。幸い今宵は月も無い。闇夜ではそう簡単に追撃は出来まい)
少数の馬廻りを引き連れて、闇夜を急ぐ秀吉。彼の悪運はまだ尽きてはいないように見えた。




