第229話 それぞれの思惑①(閑話)
今回は閑話(第三者視点)です。
天正13年(1585年)11月7日 近江国 蒲生郡 安土城
「羽柴長秀は大垣に退いたとな?」
「はっ! あと5日も攻め続ければ、岐阜城は抜けそうな見込みでした。しかし、昨日になって、三好信吉様が囚われたとの報が入りました。物見を出したところ、里見の先陣は既に犬山を押さえ、木曽川を渡り始めており、津島にも徳川勢が溢れておりました。我が主長秀は『我らが壊滅すれば、安土まで逆賊を遮る者はなく、断腸の思いでありますが撤退いたします。里見と一戦もせずに退いた罪は後ほど如何様にも受けまする』と申しておりました」
「長秀に申せ『お主らを罪に問うことはない、適切な判断じゃ』とな。それから『大垣城と関ヶ原を固め、賊徒を近江に入れるな。間もなく儂も出陣する』とも伝えよ」
「はっ! 羽柴秀吉様の御厚情、長秀も喜びましょう」
長秀の使者が去るのを見届けて、秀吉は喚きだす。
「クソ! あの女にしてやられるとはな! それにしても三好信吉は情けない。箔を付けてやろうと思うて大軍を任せたのが完全に裏目に出たわ!!」
「お怒りはごもっとも。なれど、ここは心をお鎮めいただきたく……」
「……黒田孝高か。済まぬ、計画が完全に狂うたで、ちと取り乱してしもうた。儂らに今できることは、関ヶ原の隘路で敵を防ぎつつ、西国の援軍を待つことぐらいであろう。其方には何か良い策があるか?」
「私も大筋では同じことを考えておりました。ただ、一つ付け加えて『三法師様に御出陣いただく』というのはいかがでございましょう?」
「三法師様? 三法師様はまだ6つぞ? 御出陣いただいても物の役に立たぬであろう。それどころか、戦場では足手まといにしかならぬのではないか?」
「流石に『戦場まではお連れいたせ』とは申しませぬ。安土から長浜辺りに御座所を移せば良いのです」
「なるほど! その上で長浜を“本陣”ということにすれば、“身内の争い”ではなく、“正規軍と賊軍の戦い”になる、というわけじゃな?」
「はい。それだけではございませぬ。三法師様を長浜にお連れすれば、“三法師様が賊に拐かされる”などという危険も減らせますれば、一石二鳥の策かと」
「流石は孝高じゃ! よし、それで行こう!! 早速三法師様にお目通りしてまいるぞ」
11月10日。宇喜多勢を加えて5万となった手勢を率いて、秀吉は遂に出陣した。織田家当主の三法師を総大将として迎えての出陣であった。
天正13年(1585年)11月2日 安芸国 高田郡 吉田郡山城
外では時折風花も舞う中、毛利輝元は登城した安国寺恵瓊を引見していた。恵瓊の持参した参戦を求める書状を食い入るように読んでいた輝元であったが、意を決したように顔を上げると告げる。
「恵瓊、羽柴秀吉様には『承った』と伝えてくれ」
「確とお伝え申し上げます。して、毛利勢の参陣はいつ頃になりましょうや?」
「この冬は招集をかけておらぬからの。全軍がそろうまでに一月、畿内へ移動するのに半月、12月半ばぐらいであろうか。ただ、其方の話を聞く限り、秀吉様はお急ぎのようじゃ。余の馬廻りを中心に、先に5千人ほどを送ろう」
「おお! 有り難きことかな! 殿の御忠勤、きっと秀吉様も喜ばれましょう」
『毛利から援軍を引き出す』という目的を達成した。しかも、5千の即応兵力付きという満額以上の回答を引き出した安国寺恵瓊は、次の目的地があるのか早足で去っていった。
恵瓊が下がるのを見て、これまで黙って聞いていた家老の福原元俊が輝元に尋ねる。
「殿、よろしかったのですか?」
「元俊、何がじゃ?」
「あのような重大な話でござる。もそっと考えてからお答えになった方が良かったのではございませんか? 例えば吉川元春様や小早川隆景様に御相談なさるとか……」
「良いのだ。3年前の和睦以来、我らは織田家に従うと覚悟を決めたのだ。しかも考えてみよ。此度は里見だが、次に目を付けられるのはどこじゃ?」
「……おそらく毛利家でございます」
「で、あるから、我らは織田にひいては織田を牛耳る羽柴に、常に二心なきことを示さねばならぬのだ」
「「「殿! 恐れ入りましてございます」」」
一座の家臣たちは一様に平伏する。彼らの姿を見て、輝元は満足げに頷くのであった。
天正13年(1585年)11月4日 豊後国 海部郡 丹生島城
豊後一国の領主である大友義統は、父 宗麟の隠居地である、ここ臼杵の丹生島城を訪れていた。権力の移譲に伴う家臣の対立もあり、一時期は関係が悪化していた大友親子。しかし、島津の侵攻から続く国難に相対する中で、その蟠りも解け、こと御家の大事に関しては必ず談合をするような体制を構築できるようになった。
ここ丹生島と、義統が普段政務を執る府内とは距離があるため、多くの相談事は書状にて行われている。しかし、特に重要と見込まれる話については、このように義統が丹生島まで出向くのが通例となっていた。
「義統殿、今日はいかがなされた」
「実は上方の羽柴殿と、関東の里見家から書状がまいりまして、その取り扱いについて宗麟様の存念を伺いたく罷り越しました」
「ふむ、見せていただこうか」
宗麟は書状を受け取ると、しばらくの間、無言でそれに目を落としていた。そして、顔を上げると、呻くように呟く。
「……『謀反人里見討伐のため参陣せよ』と『謀反人羽柴秀吉に騙されてはならぬ』か。見事に相反することが書かれておるのぉ。して義統殿はいかがなさるおつもりかな?」
「はい、私は羽柴秀吉様に従うて、参陣したいと考えております」
「その心は如何に?」
「はい、秀吉様は織田家の御執政でございます。主君の代理として号令をかけているのですから、我らはそれに従うのが道理にございましょう。それに対して里見はあくまで臣下、徳川御寮人様の添状があるとは言え、それでも立場は下にございましょう。何か証拠でもあれば別ですが、言葉だけではとてもとても……」
「うむ、儂もそう思うぞ。いや、良かった。『里見に付く』などと言い出したら折檻しても止めねばと思うておったところじゃ」
「父上と同じ考えとは心強い! もう一つお願いなのですが、近隣の集められる兵をかき集めたら、その兵を自ら率いてすぐに船で畿内に向かおうと存じます。父上には遠方の兵のとりまとめをお願いいたします。兵が集まった暁には志賀親次を大将に上方に送り出していただきたい」
「自ら率いて上洛なさるか! その意気は必ず秀吉様にも伝わるであろう!! いやはや、息子がここまで成長した姿を見られようとは思わなんだ。これでいつあの世へ行っても悔いはないというものじゃ」
「ははは、父上、誉めすぎですぞ! それに、そんなにすぐに死なれては困ります。私が上方で手柄を立て、国の一つも加増されて戻る姿を見ていただかねば!」
「言うわ!!」
「「わははははははは!」」
城の一室から沸き起こった笑い声は、しばらく続いた後、快晴の臼杵湾に拡散していった。




