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第225話 信孝討伐後の方針

天正13年(1585年)8月15日 近江国 蒲生郡 安土城



「里見信義殿」


「はっ!」


「三法師様を保護するとともに、謀反人滝川一益の一味を討伐した。よって、従四位下 弾正忠だんじょうのちゅうに任じ、金三千枚を与える」


「有り難き幸せ」




 皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。

 御覧のとおり、褒賞を貰ったとこだよ。だから今日から里見弾正忠信義だね。


 褒美がしょぼいんじゃないか、って?


 仕方ないじゃん。自分の手で信孝を討てなかったんだからさ。



 あの後、2万の兵を率いて逢坂山を越えたんだけど、その時には摂津と山城の国境くにざかいで秀吉軍が信孝一党を討ち取ってたんだよ。


 いや~タッチの差だったね。え?だって、逢坂山からその戦場までは、直線距離で20kmぐらいしか無いんだよ? マジで惜しいことしたね。


 ちなみに、戦場の名を取って『山崎の合戦』だってさ(笑) これも歴史の修正力かねぇ?



 一応、俺は“勲二等”ってことにはなってるけど、領地は辞退したよ。貰っても飛び地にしかならないし、織田家全体を変に刺激したくないからね。


 その代わり、山岡景隆さんと()の婚約者の信吉くんの取り分を増やしてほしいってのは希望しといた。おかげで、山岡景隆さんは近江甲賀郡7万石から伊賀と中伊勢2郡17万石に、信吉くんは志摩と南伊勢5郡28万石に加増転封になったよ。


 あ、一つだけ“口利き”はしたかな。武田信勝くんのことだよ。なにせ、信勝くんの大名復帰を保証したのが一益さんだったからさ。「謀反人との約束など無効!」とか言われて約束を反故にされかねなかったんでね。


 結果的に、信勝くんは伊勢桑名郡5万2千石で大名復帰が認められた。これには自分たちの恩賞を放棄してまで信勝くんの大名復帰を訴えた内藤昌月ないとうまさあきたちも胸を撫で下ろしてたよ。


 で、残った伊勢と尾張の領地は、信雄さんや信包さんの遺児を中心に、織田一族で分割されることになった。ちなみに、徳姫さんも『化粧料』って名目で知多郡を貰ってたよ。これは実質的には徳川家への褒美って形になるんじゃないかな?



 他の人たちの動向だけど、まず、敗死した信孝と謀反人扱いされた一益さんの旧領は全て没収。信孝に付いた丹羽長重くんや筒井定次さんたちもみんな改易。根来寺に至っては焼き討ちまでされちゃった。


 それから、第1回九州征伐敗戦の責任を取らされる形で、柴田勝家さんの一族や関係者も大幅に減封された。


 かわいそう? でも、これ、当然っちゃ当然の措置なんだよ。なんでかって言うと、この敗戦で、柴田勝家さん、佐久間盛政さん、前田利長(●●)さんといった当主クラスが軒並み死んじゃってんの。だから、仮に領地を安堵されたとしても、残った人だけじゃあ、とても統治しきれないことが予想されたんでね。


 で、北陸探題の後釜は、佐々成政さんが務めることになった。彼、越後勢のお目付役で勝家さんと別行動をしてて、戦場にいなかったんだよ。


 まあ、順当な人事なのは間違いないかな? 成政さんは信長さんの黒母衣衆筆頭で織田家譜代の重臣だし、2回目の九州征伐と信孝討伐でも活躍したんでね。


 そんなわけで成政さんは越中半国の25万石から、越中・飛騨42万石に加増になったんだ。



 九州探題に任ぜられたのは、池田恒興さん。こちらは丹波2郡12万石から筑前37万石に加増になった。他にも九州には他にも蒲生がもう賦秀やすひで(※氏郷)さんが近江2郡15万石から肥後の内で25万石、堀秀政さんが近江2郡10万石から筑後22万石に加増転封になった。



 ここまで聞いて気付いた人は多いと思うけど、近江の領主は、ほとんどが余所よそに移されたんだ。これは、「織田家の安定のため近江と畿内は三法師様の直轄領にしよう」って秀吉が提唱したからだよ。まあ、近江坂本に領地のあった明智光秀や、摂津兵庫の織田信孝が乱を起こしたって前例があったんで、この辺りは重臣会議でもすんなり認められた感じ。


 この煽りを食って畿内に領地を持ってた蜂屋頼隆さんや織田信張さんは、気の毒にも二人そろって紀伊に転封。でも、俺のような苦労はしないで済むとは思うよ。俺が高野山や粉河寺なんかの牙を抜いといたし、今回の乱の余波で根来寺の所領も無くなったからね。



 三法師さんの後見には羽柴秀勝くんが就く。秀勝くんの領地には、丹波・丹後37万石が宛てられた。



 そして、肝心の秀吉だ。当然ながら勲一等(笑) だから、信包さんが任官されてた正四位下 右近衛権少将うこのえのごんのしょうしょうに任ぜられたよ。


 領地的には伊予を全て毛利に譲る代わりに、讃岐と阿波30万石を加増(●●)され、それまでの所領と併せて120万石を超える所領を与えられた。あ、これは秀勝くん宇喜多秀家くんの領地は含んでないんで、それらを併せれば210万石超になるよ。


 そして、新たに織田家の家宰として、三法師くんに代わって全国に号令する権利を手に入れた形になる。


 これだけでも絶大な権力なんだけど、実は織田家の家宰になったってことは、今回空白地なった五畿内と近江、計220万石にも及ぶ織田家当主直轄領について自由に差配する権利を手に入れたってことなんだよね。430万石を自由に出来るって、ほぼ次の天下人確定じゃん。


 ただ、俺としてはメッチャ癪に障ってる。史実でもかなり悪辣な手段を使ってたけどさ、今回に限って言えば、天下が安定しかかってたところを無理矢理ぶち壊して権力奪取だからさ。



 対抗して決起するのか、って?


 この前も言ったけど、今は(●●)無理かな。

 あ、もちろん向かってきたら受けて立つけどね。だけど、確実な証拠を入手するか、少ない労力で勝てる画期的な作戦を立案できるまでは、こっちから仕掛けるつもりはないんだ。


 確かに里見家うちは関東・奥羽で500万石、徳川家や両北条家といったシンパまで加えれば700万石に達する勢力圏があるよ? でもさ、秀吉とそのシンパの領地は430万石だけど、それ以外の人達の領地が合計で750万石ぐらいあるんだよ。大義名分もなく戦ったら、その人達も敵に回るだろうし、今の勢力比に目が眩んで、味方の中から裏切るヤツだって出ると思う。それに、秀吉が三法師くん(織田家の当主)と天皇陛下を抱えてるのってのも大きいね。


 先進的な兵器を所有してる里見家うちだから、最終的に勝つ自信はあるけどさ、現状だと、勝っても大きな損害を被るのは確実だと思ってる。そんなわけで、戦うのはもうちょっと後になるかな。


 だから、今のところは我が世の春を謳歌させてあげるよ。今のうち(●●●●)はね。











 一応解説しておきますが、この世界線の前田利家さんは手取川の合戦で討死しております。三方ヶ原と一緒で、関東で里見が暴れまくったことを原因としたバタフライエフェクトですね。


 で、実は、当初のプロットでは『前田利家がいないせいで賤ヶ岳の合戦での裏崩れがなくなり、戦線が膠着状態に陥って~』ってシナリオを準備していました。でも、秀吉が実権を握ってなかったらそもそも賤ヶ岳の合戦って起こらないんじゃないか? って考えて、お蔵入りになったエピソードです(※死んだ設定はそのまま残してありましたが書く機会もないままここに至るw)。


 前田利家さんの例を挙げましたが、その他にも有名な方に関しては設定を作ってあります(※逆に死んでるはずの人が生きている場合もあります)。ネタバレにならない範囲にはなってしまいますが、回答することもできますので、気になる人物がいましたら感想欄で質問してください。

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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
― 新着の感想 ―
[良い点] お、豊臣誕生ルート?も絡めるんかな。後は後継者が産まれるか産まれないかで色々かなあ。新章は時間五年くらい飛びそう。
[気になる点] 第一次九州討伐で織田が島津に壊滅的打撃受けて敗北したのって てっきり秀吉が裏で島津に情報流して狙って邪魔な有力家臣達を殺したのかと思ってネタバラシくると思ってたけど 全然その辺りが掘り…
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