第223話 凶刃③(閑話)
今日も第三者視点(閑話)が続きます。
天正13年(1585年)7月13日午後 豊後国 大分郡 府内城本丸
九州征伐軍の主だった武将たちが勢揃いする中、4人の男たちが車座になって1枚の奉書を取り囲んでいた。見守る諸将の多くは不安げな表情で、しかし食い入るような目差しで、4人を見つめている。
永遠に続くようにも思われた、この張り詰めた時間であったが、それを破ったのは、一人の男の溜息であった。
「はあっ」と、大きく息を吐いたその男は、一度天井を見上げた後、諦めたように口を開く。
「……確かにこれは信包様の花押。それにこちらに捺かれた天下布武の印も、私は本物に間違いないと見ました。池田恒興殿、佐々成政殿、いかがでございましょう?」
「名人堀秀政の目をもってしても、やはり“そう”としか見えぬか……」
「うむ、最初は『まさか』としか思えなんだが、これを見せられては信じるより外はあるまい」
堀秀政の見立てに、他の2人も次々と同意する。しかし、滝川一益追討の『証拠』はあっても、その『理由』は明かされていない。当然誰もが考える疑問を佐々成政が尋ねる。
「しかし、秀吉殿、『謀反』と言うたが、滝川一益は一体何を企んだのじゃ? 『明智光秀めの真似でも企んだか?』とも考えたのだが、それでは腑に落ちぬ点が幾つもあるし、聞かせてはもらえぬか?」
「成政殿、申し訳ない! この件に関してはワシの口からは何とも言えぬのだ。今は『直接信包様に聞いてくだされ』としか……」
口ごもる秀吉に、なおも食い下がらんとする成政。しかし、彼が再び口を開く前に、広間の襖が大きく開け放たれた。
「秀吉様、至急お耳に入れたきことが!」
「申せ!」
「しからば御免!」
慌てて近づいてきた男が秀吉に耳打ちをする。それを聞いていた秀吉の顔がみるみるうちに歪んだかと思うと、最後はワッと声を放って泣き始めた。
そして、一頻り泣いた後、彼は起き上がり、呆気にとられる武将たちに向かって言い放つ。
「各々方、信包様、信雄様、安土城内にて生害されたとの由にござる」
「真か!」
「何と!」
「何が起こった!」
「誰の仕業じゃ!」
「下手人は信孝様とのこと。口惜しや! あと10日早く一益を討っておれば!!」
「まさか! 謀反とはこの事か!!」
「お察しの通りにござる。御連枝衆の謀反ともなれば織田家の恥としか言えませぬ。ですから信包様は『内々に処理するべし』と仰いました。が、まさかこのような事になろうとは……」
「秀吉殿、顔を上げてくだされ。我らの第一の仕事は九州の平定じゃ。それを為さずして滝川一益を討つわけにはいかぬ。決して秀吉殿が『遅れた』とは思わぬぞ」
「うむ、儂も同じ考えじゃ」
「はい、私も」
「……恒興殿、成政殿、秀政殿も。有り難きお言葉」
「して、秀吉殿、いかがいたす?」
「はい。此度の信孝様のなさりよう。主筋の方の行いとは言え、決してあってはならぬことと存ずる。天下に悪習を残さぬためにも、我らの手で正すべきかと」
「しかし、信長様のお子様と戦うのは……」
「成政殿、御心配には及びませぬ。我らの陣にも信長様のお子様はいらっしゃるのですぞ?」
「そうか! 秀勝様か!!」
「はい。それに、我らは信包様の下知に従うておりましたが、信包様はあくまで代理。本来の主君は三法師様にござれば、非道な振る舞いをなさる信孝様を正すことは、謀反には当たりませぬ」
上座の3人が納得したのを見た秀吉は立ち上がり、満座の諸将に向かって語りかける。
「各々方、聞いたとおりじゃ。滝川一益は織田信孝様と共謀の上、天下を私せんとしておった。その企みはこの秀吉がくじいたが、信孝様は短慮な振る舞いに及ばれた。我々はこれから、それを正しに参ろうと思う。
さて、毛利殿も大友殿も、先日下られた島津殿も、今や全て織田家の家臣である。正義を成すに譜代も外様もない。皆で力を合わせ、誤った御政道を正そうではないか!
なに、心配する事はない。こちらには歴戦の勇将たちと20万の軍勢がいる。決して負けぬ戦ぞ!」
「おう!」「その通りじゃ」と、広間のあちこちから威勢の良い同意の声が上がる。
秀吉は満足げに頷くと、声を張り上げた。
「いざ、上洛じゃ!!」
―――――― 夜 府内城本丸 奥の間 ――――――
灯明の灯りが揺れる狭い部屋で、2人の男が額を付き合わせていた。話し合いの体は取っているようだが、よく見れば専ら片方が話し、もう片方は聞き役に徹しているようだ。
目を凝らしてみれば、語り手は上洛軍の総大将に収まった羽柴秀吉。聞き役はその弟の羽柴長秀であった。
そして、秀吉の話が一段落したとき、一つ溜息を吐くと、長秀が話し始めた。
「信孝様に信包様の書状を偽造させ、滝川殿を討った上、返す刀で信孝様も討ち取ろうとは……。流石でございます。ところで兄者、この話を知っている者は?」
「長秀、お主にすら話していなかったのだ。羽柴家で知っていたのはワシだけよ。信孝様の家中で何人が知っておるかはわからぬが、最初に談合して以来こちらから手紙も送っておらぬから、我が家中で広がっておることはなかろう。
それに、信孝様の使者は幸田孝之のみに絞らせたし、必要な談合は口頭のみじゃ。仮に広がったとしても証拠がない。仮に感づいた者がいても証拠がなければただの戯言よ。ま、あちらは騒ぐだろうがな」
「それは上々にござった」
「ただの、何をとち狂ったか信孝様が勝手に計画を早めてしまったのには肝を潰したぞ。なにせ、あと半日遅れれば、一益の耳にも第一報が入ってしまったでな」
「本能寺の時もそうでしたが、山岡景隆殿の動き、流石ですな」
「ああ、景隆の書状のおかげで話の裏付けができたでの。おかげで上洛軍の結束が固くなったわい。
欲を言えば、景隆が単独で逃げてくれれば、信孝様の大掃除が、より捗ったであろう。そうなれば戦後の面倒が幾つか減ったのだが……。ま、あまり欲張っていても仕方がない。さ、今宵はめでたい席じゃ。小一郎、久しぶりにサシで飲もうではないか」
秀吉に勧められるままに杯に注がれた酒を一気に飲み干す。すると、思わず長秀の口から「ほうっ」と声が漏れた。極上の酒である。
「兄者、これは何とも旨い酒ですな」
「ははは、そうであろう、そうであろう。これは信孝様から拝領した極上の酒よ。この日のためにとっておいた甲斐があったというものじゃ」
「信孝様の酒ですか? 兄上も人が悪い」
「信孝様は我らのために踏み台となってくださるのだ。祝杯も信孝様由来の酒で上げるのが『乙』というものであろう」
「「わははははは」」
羽柴兄弟の酒盛りは、揺れる灯の中、いつまでも続くのであった。
※この世界線では、秀吉は織田家中を掌握していませんので、小一郎も秀長に改名していません。




