第222話 凶刃②(閑話)
今回も第三者視点(※閑話)です。
天正13年(1585年)7月9日 近江国 蒲生郡 安土城 山岡屋敷
「それは真か!!」
「はっ! 警護役として床下と庭に控えておりました御庭番が揃って同じ事を申しますので、間違いないかと」
「分かった! しかし、そのような近在に控えておきながら、なぜ、信包様をお救い申し上げなかったのじゃ!?」
「信孝様の抜刀術は見事な早業にて、とても防ぐことは出来なかったとのこと」
「……信包様については分かった。しかし、話を聞けば信雄様はお救いできたのではないか?」
「それも難しうござる。そもそも御庭番の仕事は『織田家の方々の警護』。警護されている方々が互いに相争うては、どちらにお味方して良いか分からず……。して、山岡景隆様、いかがなさいますか?」
「ううむ……………………」
重要な選択を迫られることとなった水口城主 山岡景隆は、腕組みをしながら頭を捻る。
何も知らなければ、「信雄が乱心し、信包様を生害したゆえ、自分が仇を討った」と話を真に受けて、信孝を盛り立てることも出来たであろう。しかし、幸か不幸か、既に自分は真実を知ってしまった。
「甲賀衆の束ね役として安土城内の警備などしていなければ!」と、後悔してはみたものの、既に後の祭り、時は刻々と過ぎていく。事ここに至って、彼は腹をくくった。
同じく安土に詰めていた弟、景友を呼ぶと、事の一部始終を語る。短い協議の末、2人で出した結論は『甲賀に退く』であった。
今回の変事は、本能寺の変とは違い『織田家の内訌』である。普通であれば、信孝を担いでも織田家のためにはなるから、信包と信雄の直臣ではない者にとってはどうにでもなる事のはずであった。しかし、山岡家は知りすぎてしまったのだ。
甲賀衆が城内の警備をしていたことが完全な秘密であればまだ良かったのだが、少数ではあるが死んだ信包以外にも、その事実を知っている者はいる。今のところ信孝に気付かれてはいないが、彼が家宰の地位を占めることになれば、早晩発覚するのは明らかである。
この不都合な真実を知る者を、果たして信孝は生かしておくだろうか?
このまま安土に留まって、口封じのために消されるのならば、あまねく事実を天下に公表し、信孝一党が混乱する間、甲賀・伊賀の山中で援軍を待つ。それが彼らの戦略であった。
「さて、そうと決まったら急がねばならぬが、景友、お主には一つ仕事を頼みたい。松姫様と吉法師様を今晩のうち逃すのだ。できれば琵琶湖経由で美濃か尾張までな。松姫様は武田豊信様の妹御、東国まで逃れれば巻き込まれる心配はあるまい」
「兄上、三法師様はいかがなさいますか?」
「残念ながら、三法師様は信孝様の一党に身柄を押さえられてしもうた。我らのみの手勢で奪還するのはちと難しい。それに、三法師様は信孝様にとっても錦の御旗に等しい。お助けせずとも、いきなり害されることはあるまいて」
「兄上はいかがなさいますので?」
「まずは里見家を頼る。伊賀におわす信吉様は、婚姻はまだとは言え里見家の縁者じゃ。危ないとあれば必ずや助けてくれるはず。船の手配も頼んでおくゆえ、お主は疾く松姫様を説得するのだ。儂は明朝安土を退去する。その後は信吉様を奉じ、思い切り暴れて見せようではないか!」
「兄上、まさか……」
「辛気くさい顔をするでない。なに、すぐに西国より滝川様、羽柴様も駆け付けよう。……しかし、儂にもしもの事があった時は、水口の景佐と談合し、山岡家を頼むぞ!」
「はっ! 命に替えましても!!」
天正13年(1585年)7月13日 豊後国 大分郡 府内城
征西将軍 滝川一益は、今日、本陣を置く府内城に、副将である羽柴秀吉を迎えることになっていた。
島津の降伏から一月以上が経ったこの時期の帰還は、かなり遅いようにも感じる。しかし、豊後から日向へと直接侵攻した一益の本隊と違って、豊前、筑前、筑後、肥後と、九州を反時計回りに進軍していた秀吉の方が担当地域が広く、しかも、次期九州探題として、早急に占領地の慰撫や地割りなども行わねばならず、致し方ないことであった。
その羽柴勢であるが、帰還が遅れたことへの詫びとでも言うつもりか、大量の貢物を持参してきた。貢物の長持を担ぐ屈強な男たちの列は遠く城外まで続き、南蛮貿易で目が肥えた府内の商人らをも驚かせたほどである。
驚いたのは迎える一益らも一緒であった。なぜなら、これまで一益は東国、秀吉は西国を任されてきたこともあって、互いに共闘することも少なく、どちらかと言えば疎遠な関係だったからである。
(信長様ならいざ知らず、元々は同輩である儂にまで、このような心遣いをするとはな。以前は『とんだへつらい者』と思うておったが……。ここまで来れば、考えを改めねばなるまい。しかし、今は部下とは言え、秀吉は家臣ではない。鷹揚に待ち構えていてはあらぬ誤解を受けよう。ここは門前で出迎えねばなるまい)
こう考えた一益は、櫓を下りて自ら本丸の門前に立つ。程なくして長い行列は虎口を曲がり、一益の前に姿を現した。先頭を歩く秀吉の後ろには、槍を抱えた大柄な武者が続く。小男の秀吉との対比は滑稽であり、一益の顔にも笑みが浮かんだ。
門前に一益がいることに気付いたのであろう。秀吉は一瞬驚いたようだが、すぐに破顔すると、顔をくしゃくしゃにして歓声を上げる。
「おお! 滝川一益様、自らのお出迎えとは! 有り難きこと!!」
「羽柴秀吉殿、大儀…………」
「福島正則、加藤清正!!」
「「はっ!!」」
一益の返答も聞かぬうちに、秀吉が喚いた。呼応して2人の槍持ちが、フッと槍を振る。と、どうしたことであろう、穂先を固めていたはずの革袋はあらぬ方に飛び、陽光に煌めく利刃が露わになった。
「謀反人めが!」
一益は即座に抜刀し、福島正則の一番槍をしのぐ。しかし、抵抗もそこまでであった。加藤清正の放った備州長船の一撃が、彼の肋を貫いていた。
一瞬の出来事に呆然としていた滝川家の家来たちであったが、主が倒れるのを見て我に返り、復讐をせんと腰の者に手を掛けた。ところが、既に敵の手には刀のみならず、長持の中から現れた多数の鉄砲が握られている。滝川方が逡巡したのを見て、秀吉は懐から一通の書状を取り出すと、大喝一声。
「上意である! 滝川一益は謀反の咎により、追討令が出されておる!! かばう者は同罪ぞ!!!!」
城外まで響くような大音声を発する秀吉の手許には、確かに織田信包の花押が書かれた『御教書』が握られていたのだった。