第219話 畠山義長を救え
天正13年(1585年)5月 上総国 伊隅郡 勝浦
気ばかり急いてしまい、1kmにも満たない道のりが、やけに長く感じられる。
本行寺に着いたのは、話を聞いてから数分後だったんじゃないかと思う。
畠山義長が運ばれた庫裡の周りには、既に黒山の人だかりが出来ていた。
御子神吉明が大音声で俺の到着を告げると、人混みが左右に分かれて、道が出来る。そして、出来上がった道の先には、2人の男が寝かされてるじゃないか! で、よく見たら、片方は動いてるんだけど、もう片方はピクリともしないんだ。
最悪の事態が頭を過ぎる。おれは、顔を確かめようと全速力で駆け寄った。
顔を見て、思わず口から、フーッと長い息が漏れる。
骸になってたのは岡見頼治だった。
義長は生きてた。それが分かって、やっと一息つけたんだけど、改めて義長の姿を見た俺は、思わず目眩を起こしそうになった。とても、「良かった」なんて言ってられない状況だったんだ。
全身血塗れなのはともかく、腹が真一文字に切り裂かれてるじゃないか!
これ、傷がどこまで達してるかの問題になるけど、傷の付き方よっては、どうにもならないかもしれない。
なんて俺が焦ってるところに、菅家お抱えの金創医がやってきた。あ、金創医っていうのは、戦場とかで怪我の治療に当たった医者で、今で言うところの外科医だよ。
でも前にも言ったけど、この時代の外科医療はめちゃくちゃなんだよね。『傷にはまず尿をかけろ』とか、『筋肉が裂けたらカニミソを刷り込め』とか、『内臓が見えてたら乾いた人糞をまぶして押し込め』とか、現代の感覚からは正気を疑うような治療が、平気で行われてたんだ。
一応、里見家では、旧来の治療法を改めて、煮沸した水とか、アルコールとかを使って殺菌消毒をするよう指導はしてる。おかげで、不潔なのが原因で破傷風とかに罹かって死ぬ人はだいぶ減ったよ。でも、そこまでなの。
だって、まともな麻酔が無いんだもん。麻酔無しで体を切ったり縫ったりされたら、患者は暴れて体力を消耗するだろ? それに医者の方だって、手術中に患者に動き回られたら、正しく治療することは困難だ。加えて輸血も出来ないんで、必然的に手術は『患者が暴れない程度に傷口を清潔に洗って縫う』で終わってるケースがほとんどなんだよね。
でも、今回は指を咥えて見てるわけにはいかない。俺は金創医に指示を出す。
「そこな金創医、名を何と申す」
「はっ、菅達長が臣、和深道玄と申します。若君様には……」
「ああ、今は緊急時だ。礼に外れるのは構わぬゆえ、まずはお主の見立てを申せ」
「はっ、こちらの息のある方は、見込みがございます。が、腸が見えておりますゆえ、腸が切れていなかったとしても、助かる見込みは五分、もし、切れておりましたら、二分か三分が良いところかと存じます」
「道玄、お主の見立ては分かった。しかし、この畠山義長は、里見家に欠かすことの出来ぬ人材、何としても助けたい。よって、まだほとんど出回っておらぬ最新の薬を用いる」
「使ったことの無い薬をいきなり用いるのは……」
「安心いたせ、永田徳本先生の薫陶を受けたこの信義も治療に加わる。私が薬を受け持つゆえ、お主は切ったり縫ったりといった金創医の仕事に全力を尽くしてくれ」
「なんと心強い! 若様は徳本先生の門下でございましたか!! それでしたら五分が八分にもなりましょう! この道玄、全身全霊で取り組みまする」
「うむ、それでは私は、まず堂内で薬師如来に成功を祈ってくるゆえ、お主らは手術の準備をしておいてくれ。
準備としては、まず、患部を清潔にするとともに、使う道具は全て煮沸消毒せよ。それから、こちらの薬から出る煙を、患者に吸わせておくように。ただし、患者以外はなるべく吸わないように、風通しの良い所で吸わせること。
また、私が1,000数えるまでに戻らぬ場合は呼びに来てくれ」
「「「はっ!」」」
俺は道玄たちに指示を出すと本堂に入り、座禅を組んで目を閉じる。
すぐに眠気が襲ってきて……。
――――――― ????? ―――――――
「おや? 酒井さん、今日はずいぶん早い時間ですね。そんなに慌ててどうしたんですか?」
「すみません、閻魔大王さん。ちょっと人の生死がかかってまして、説明はまた後で」
「おお、それは失礼しました。それではごゆっくり……」
「あ、一度戻ってまた来る予定ですんで、詳しくはその時にでも!」
「行ってしまいましたか。でも、1日に何回も来ることはできな……! あーっ! 時間制限しかしてなかったぁ!」
頭を抱えて叫ぶ閻魔大王さんを横目に、俺は超速で手術動画の検索を始めたんだ。
――――――― 本行寺 本堂 ―――――――
「……………………さま、信義様!」
目を開けると、目の前には吉明がいて、盛んに俺の体を揺すってた。どうやら時間が来たようだ。欲を言えばもうちょっと調べたかったけど、この状況じゃあ仕方ない。すぐに庫裡に向かう。
庫裡に入ると、既に手術の準備は整ってた。道玄は俺を見るなり興奮気味に駆け寄ってくる。遅れたことを責められるのかと思いきや……。
「信義様! この薬は如何なる物にございましょう!? 手当もせぬのに患者の痛みが和らいでいるのです!!」
「うむ、阿片と申す薬でな、痛みを和らげる効果があるのだ」
「素晴らしい! 夢の薬だ!! これならば、慌てて傷を縫わずとも済みまする!! 今までは患者の痛みを気にするあまり、十分な治療が出来ないことも多かったのですが、この薬があれば、じっくり手術が出来ますゆえ、内臓の傷の見落としや縫い忘れも防げまする」
「……その件については、また後で説明いたす。まずは手術だ」
「おお! 失礼いたしました! 早速始めましょう!」
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結論から言うと、手術は成功したよ。あ、申し遅れました。皆さんこんばんは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
畠山義長は、腹が切れてただけじゃなく、よくよく見たら腸の一部にもダメージが入ってた。これは、岡見頼治が最後に刀を突き立てたことが原因みたい。
これを見つけられたのは、時間をかけてしっかり腸を確認したからで、「今までのやり方だったら気付けなかっただろう」って、道玄も言ってたよ。
ちなみに、傷に気付かず放置してたら、まず助からなかったみたい。複雑な気持ちはあるけど、麻酔様々だね。あ、当然、道玄たちには、常習性と毒性って負の側面も伝えといたよ。やばさを盛って伝えたから、みんな完全に顔が引きつってたっけ。
今回は、しばらくは痛み止めに使っていくけど、徐々に量を減らしていくように指示はしてある。だから、中毒になる危険は少なくて済むんじゃないかな?
この後の治療としては、白朝散とか造血力を増す薬を投与して、失った血液を増やすのと、傷がある程度安定するまでは、毎日碧精を注射してくぐらいかな?
飲ませないのか、って?
うん、青カビから生成したペニシリンは酸に弱いんで、経口摂取だと胃酸でやられて、ほとんど体内には吸収されてくれないんだよ。注射自体にも、注射針の精度、清潔さ、碧精の品質等々、山ほど問題はあるんだけど、こっちも『背に腹は代えられない』状態なんで、注射に頼るしかないんだよね。
ここまで頑張ったら、もう、俺としては祈るしかない。神様、どうぞ義長をお助けくださいってね。
――――――― ????? ―――――――
灯明の揺らぐ夜の茶室。室内には2人の男が座っていた。
奉書を読み進めていた上座の男が、顔を上げる。その顔は揺れる灯明の明かりに照らされて、酷く歪んで見えた。
「畠山義長が身罷ったという話、真か?」
「草の者によりますと、腹を裂かれ、腸が出ておったとのことにございます」
「では、身罷ったかどうか分からぬではないか!?」
「いえ、切腹を試みた者が生き残った試しが無いように、腸が飛び出すような傷の場合、腕利きの金創医でも治すのは難しゅうござる。また、表面の傷は治ったように見えても、腸も傷ついておりますれば、時が経てば腹の中が腐って死にまする。ほとんどの者は一月も保ちませぬ。ですから、此度も時間の問題かと」
「そうか、時間の問題か! 此度は里見がどう動くかだけが不安材料ではあったが、畠山義長めが身罷った。もしくは、動けぬ状態にあるならば、里見がこちらまで手出ししてくることはあるまい。これは絶好の機会ぞ」
「それでは?」
「うむ、『手筈通りに』と伝えてくれ」
「はっ! 承りましてございます」
下座の男は茶室を去った。その気配が遠く離れた頃、茶室から沸き起こった哄笑は、夜の闇を切り裂いてしばらく続いたのだった。




