第218話 葬儀の日
天正13年(1585年)5月 上総国 伊隅郡 万喜城
「「「「「南無喝囉怛那 哆羅夜耶 南無阿唎耶 婆盧羯帝 爍鉗……」」」」」
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
あれから10日経ったんだけど、今はちょうど土岐為頼さんの葬儀の最中で、鎌倉とかから集められた偉いお坊さんたちが、お経を読んでるところだよ。
10日間も何してたんだ、って?
色々準備があったんだよ! いや、親族だけで葬儀をするんなら、翌日にだって出来たよ? 何せ、『快気祝いだ』って、主だったメンバーはみんな万喜城に詰めてたんだから。でも、為頼さんクラスともなると、『親族だけ集めて』ってわけにはいかないんだよ。なにせ、義頼さんや義弘さんの祖父なんだからさ。
だから、旧主(?)の鎌倉公方家や、北条家・武田家といった関係の深い大名家なんかにも連絡を入れないといけなかったんで、結局10日後の葬儀になっちゃったの。
でも、時間をとったおかげで、鎌倉からは大御所の足利頼淳さん、武田家からは当主の豊信さん、北条家からは当主氏光さんの実弟 氏忠さん、徳川家からも筆頭家老の酒井忠次といった重鎮が参加してくれたよ。これで土岐家も面目を施せたんじゃないかな?
それにしても、まあ驚いた。不謹慎かもしれないけど、悲しむよりもまずはそっちが先だったよ。だって、前日まであんなに元気だった為頼さんが、いきなり亡くなるなんて誰も思わなかったんだからさ。
「快気祝いだ!」って騒ぎすぎたせいじゃないか、って?
実は俺もそれはちょっと疑った。でも、寝る前には完全に平常だったらしいんだよ。なにせ、永田徳本先生が脈を取って太鼓判を押してるんだからね。日本最高の医師が変調に気付かないんじゃ、他の誰だって気付けないよ。だから、結論としては、“この日が寿命だった”ってことで、ほぼ全ての人が納得してたんだ。
だから、近親者でも“悲しむ”ってよりも、個人を“偲ぶ”って思い方が強かったような気がする。しかも、葬儀まで10日もあったんで、ほとんどの人は気持ちに整理が付いて、落ち着いてこの席に臨むことが出来てるみたい。
でも、唯一、納得出来てない人がいるんだよね。
徳本先生だよ。
俺も含めて、みんなで『気にする必要は無い』って慰めたんだけど、それでも気持ちに整理が付いてないみたいで、今でも物凄く意気消沈してる。でもねぇ、現代だっていくらでも突然死の例はあるんだ。科学がまともに発展してないこの時代、全てをどうにかしようなんて無理だよ。神様じゃないんだからさ。
ただ、本人が更なる医学の向上に向けて、決意を新たにするのは悪いことじゃない。だから里見家としても、しっかりバックアップしてあげないとね。
これまでも徳本先生は、キナ皮を使った瘧の治療とか、碧素による古血の治療とか、世界最高水準の医療に取り組んでくれた。おかげで里見家が支配する関東・東北では、疫病による病死者が年々減少してるんだ。しかも、守旧的で頑迷な京や足利の連中も『徳本先生が始めたんだったら』って追従してくれるんで、全国的にも死者が徐々に減少傾向にある。これってとっても良いことだよね?
なんか裏があるんだろ、って?
流石(笑)、良く分かったね! キナ皮は、国内だと硫黄島しか産出しないんで、『南蛮渡来』って偽って里見家が独占して扱ってるんだ。そもそも南米原産の植物な上、この時代だと原産地ですら、まだはっきりとした効用が知られてない。はっきり言って大儲け……。いや、ボロ儲けだよ。
キナ皮に比べるとペニシリンで儲けるのは、ちょっと難しい。なにせ純粋なペニシリン用の青カビを作れるのは俺しかいないんでね。だから、ちょこちょこ研究所に顔を出してやらないと、すぐに品質が劣化しちゃうんだ。研究所で効率的な培養方法が見つかれば良いんだけど、周辺技術の進化を完全にすっ飛ばしてチートで実現した薬なんで、安定生産は望み薄なんだよね。
まあ“いざという場面で使う”ことは出来てるんで、これまでも恩を売れた人は多い。ペニシリンに関しては、しばらくは人脈づくりメインで使っていくよ。
で、やる気になった徳本先生に次は何を勧めるんだ、って?
俺としては、外科方面をどうにかしたいところなんだ。東洋医学では外科って一段下に見られてるところがあるんで、徳本先生の力で、その辺の意識改革ができれば最高なんだけど……。
あ、徳本先生には外科への“差別意識”は無いよ。先生が外科に手を付けないのは、患者が暴れて手術が出来ないからなんだ。
なぜか、って?
この時代、麻酔が存在しないんだよ。
麻酔薬については、俺自身、阿片と曼荼羅華しか思いつかない。これらの素材はもしもの時のために、一応準備はしてるけど、“致死量”があるような薬は出来れば使いたくないよね。
だから、やってもらうとしたら種痘あたりかなぁ。でも、天然痘と免疫交差性のあるウイルスを見つけるのが大変で……。実は死刑囚で試したら日本に存在した牛痘じゃ、免疫が作れなかったの。
酷い? それは否定しないよ。ただ、どうせ放っておいたら殺される連中なんで、『死ぬ前に世の中の役に立ってもらった』って考えることにしてる。
本当は自分で実験できれば手っ取り早いんだけど、残念ながら、俺、チートのせいで一切病気にかからないんだよね。
今は馬痘を使った治験の途中。これで上手く行けば良いけど、もし上手く行かなかったら、イングランドから牛痘の牛を輸入しないといけないかも。こっちもまだ先は長いよ……。
―――――― 夕刻 伊隅郡 勝浦城 ――――――
色々と考えてる間に何事も無く葬儀は終わり、俺は勝浦城に移動してきた。
理由? 参列者が親族と土岐家の家臣だけならいいよ。でも、葬儀へ参列した人達は、ほとんどが日帰りなんて出来ない場所から来てるじゃん? 遠路はるばる来てくれた人を、終わったから「はい、さよなら」っては帰せないんだよ。だから、宿泊先ぐらいは手配してやらなきゃいけないんだけど、全員を泊めるとなったら、流石に万喜城だけだと手狭なんでね。だから、義弘さんたちは一宮城に宿泊してるし、義頼さんに至っては、しばらくの間、土浦から側近連中を呼びつけて小田喜城で政務を執ってたぐらいなんだ。
そんな流れもあって、俺は菅達長の居城である勝浦にいるってわけ!
ちなみに、勝浦に泊まるのは、俺の家臣と与力衆。加えて、北条家と徳川家の面々だよ。北条家は嫁さんの実家だし、徳川家は俺が後見人を務めてるからね。
上信の諸将は一部不在だけど、家臣や与力衆に関しては正月以来の集合になる。この機会に今後の方向性について意思の疎通を図っておきたいところだ。ただ、今日はお客さんがいるんで、会議は明日だね。だから、みんなには、今晩はしっかりと英気を養ってもらって、明日以降に備えてもらおう。
なんてことを考えてた俺のところに、馬廻の御子神吉明が飛び込んできた。
「わわわ若!」
「御子神吉明。そのように慌てて如何した?」
「畠山義長様、岡見頼治に襲われ、深手を負ったとのことにござる!!」
「な! 義長は何処に!」
「城下の本行寺に運ばれた由」
「すぐ向かう! 馬曳けい!」
「はっ!」
俺は、救急用の薬箱を引っ掴むと城を飛び出した。
間に合ってくれよ!




