第21話 対面
元亀元年(1570年)7月 上総国伊隅郡 万喜城
本物の土岐為頼さんに対し、俺は、改めて深々と頭を下げた。
「あらためまして、さとみさまのかみがこ、うめおうまるともうします。だんじょうのしょうひつさまの、おめにかかれ、こうえいにございます」
「梅王丸殿、御丁寧な挨拶、ありがたく頂戴いたした。改めて言上申し上げる。土岐弾正少弼為頼にござる」
「まずは、だんじょうのしょうひつさまにもうしあげます」
「……何でござるか? 梅王丸殿」
明らかに警戒心を隠さない為頼さんに対し、俺はこう言った。
「だんじょうのしょうひつさまは、わたくしのひいおじいさまだとききました。まことでございますか?」
「その通りでござるが?」
「では、わたくしのことは、うめおうまると、およびくだされ」
「……梅王丸殿!?」
「『どの』など、いりませぬ! それからけいごもふようにございます。わたくしのことは、めしたのものとして、あつかってくだされ」
「「「なっ!」」」
土岐家の面々はもちろん、元悦さんからも驚きの声が上がる。そりゃそうだろう、多くの人の意識としては、里見家:主君or盟主、土岐家:家臣or従属国人って意識だったろうからね。
それが、幼児とは言え、里見家当主の、しかも正室腹の息子が、「目下扱いしろ」って言い出したんだから、驚かないはずがない。
ただ、土岐家の当主である為頼さんの意識はちょっと違うはずだ。
なぜかって?
里見家は、今でこそ北条と争えるほど大きくなったけど、義堯さんが下克上で家督を継いだ頃は、安房1国を押さえるぐらいのレベルだった。1国を押さえているとはいえ、安房は太閤検地で4万石しかない小国。夷隅川の沖積平野を中心とする、豊かな伊南荘を押さえていた土岐家とは、ほとんど実力差はなかったはずなんだ。
そんな中で、義堯さんは、両総の混乱につけ込んで、大きく飛躍した。その飛躍の過程として結ばれたのが、里見義堯と土岐為頼の娘による両家の婚姻同盟だった。
つまり、里見家と土岐家の関係は、元々は対等、もしくは、初期の織田・徳川同盟ぐらいの関係だったはずなんだ。
ところが、義堯さんが隠居して、義弘さんが当主を継ぐと、足利家との婚姻なんかを通して権勢を拡大していたこともあって、徐々に土岐家を家臣扱いするようになる。土岐家の方も代替わりしていれば、なあなあで流れていったのかもしれないけど、土岐家は、70を過ぎた為頼さんがまだ当主の座に座っている。しかも、『同盟』と言いながら、里見家が勢力を拡大する中、土岐家の所領はほとんど増えてないときた。
義弘さんがいくら血の繋がった孫とはいえ、家臣扱いされた上に、餌もくれないときたら、為頼さんが腹に据えかねて、北条に鞍替えしちゃったのもよくわかる。
今回の策の主目的は、土岐家との同盟関係の復活だ。そのためには、拗れちゃった為頼さんの心を動かさなきゃ話にならない。だから、この「目下扱いしろ」って台詞には、「俺は外曾孫として土岐家に敬意をもって接しますよ」って意味が含まれてる。それを察してもらわないとね。
そんなに下手に出て舐められないかって?
はははっ! だって、土岐領を万余の軍勢で囲んでるんだぜ? もし、俺らが失敗したら、その軍勢が雪崩れ込んでくることになってるんだ。よっぽどの馬鹿でもない限り、ちょっと下手に出たくらいで舐める奴なんていないよ!
さて、そんなことを考えて投げたこのボールだったけど、為頼さんの反応は、ごく普通の物だった。
「いやいやいや、外曾孫とはいえ、梅王丸殿は里見家当主の御子息。当主義弘殿はこの為頼の外孫でござるが、これまで孫扱いしたことはござらん。平に御容赦を願いたい」
あちゃー、これは相当拗れてるよ! どうにかして懐へ飛び込まないと、話にならないかもしれない。
これは、『幼児特権(?)』のフル活用しかないな!
俺は悲しさと不安が、ない交ぜになったような顔を作ると、こう言った。
「……そうですか。では、わたくしは、だんじょうのしょうひつさまを、『ひいおじいさま』と、およびするのはかまいませぬか? がんばって、おなまえをおぼえてきましたが、ながくていいづらいので」
「……その程度でしたら構いませぬ」
認めましたね、為頼さん! 満2歳の幼児が辿々(たどたど)しく話してるんだ。しかも悲しげな口ぶりで。硬く対応しようと思っても、どうしたって罪悪感に駆られること間違い無し。だけど、ここで認めちゃうと、この幼児(笑)は、グイグイ行っちゃうよ。
「ありがとうございます! ひいおじいさま!!」
「う、うむ」
ぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せると、為頼さんは短く一言答えただけだった。でも俺は見逃さないよ。為頼さん、平静を装ってたけど、口角がピクピク動いてた。これは間違いなく効いてるな!
俺がこんなことを考えていると、為頼さんは、1つ咳払いをして、動揺を隠すかのように話を振ってきた。
「して、梅王丸殿、此度はどのような用件でいらっしゃったのじゃな?」
やっと本題に入ってきたね! でも、まだまだ押させてもらいますよ!
「はい、ひいおじいさま、そのことでございます……」
俺はそこまで口にすると、パタリと倒れた。
「若!」「「「梅王丸殿!」」」
「誰か! 医者を呼べ!!!」
広間が騒然となる中、俺の後ろに控えていた岡本元悦さんが、俺を助け起こす。そして、こう言った。
「医者は不用にございます」
「元悦殿、何を申すか!」
「若様はおねむにございます」
緊張が解けて皆が脱力する中、岡本元悦に抱きかかえられながら、俺は目を開けた。
「たじま、おろしてくれ」
「いけません! 若、もうお昼寝の時間でございましょう。また倒れて、今度は怪我でもしたら大変ですぞ!」
「ここまできて、ひいおじいさまにたいせつなことを、おつたえできないなど、わたしはがまんがならぬ!」
「しかし、また倒れでもしたら……」
「元悦殿、わかった、倒れなければよいのであろう?」
「弾正少弼様?」
「梅王丸殿、ワシの膝の上にござれ」
「ひいおじいさま、よろしいのですか!! でも、それではあまりにもぶれいでは……」
「よいのだ、梅王丸殿。ワシらもいたずらをしすぎたのだ。あれはワシらが大人げなかった。どう考えても満2歳の子にすることではなかったわい。せめてもの償いをさせてもらいたい」
「ありがとうございます! ひいおじいさま!!」
俺は、元悦さんの腕から下りると、目を輝かせて走り出し、そして 腕を広げた為頼さんにとびついた。
抱き上げられたので、満面の笑みで応じると、為頼さんもびっくりするぐらいまなじりが下がってた。
この顔を見てると、『作戦』が成功したことよりも、『無償の好意を返されてる』ってことを嬉しく思えた。で、思わずこんな言葉が口から漏れちゃった。
「えへへへへ、ひいおじいさま~」
思わず口から出ちゃった言葉だから、中身大人の俺としては、気が付いてちょっと恥ずかしくなった。でも、見たら為頼さん、もうデレデレだったよ。
うん、こういうのを『えびす顔』って言うんだな!




