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第198話 北の人々(閑話)① 大浦為信の場合

他者視点の話です。





天正11年(1583年)9月 大浦為信の場合



 奥瀬内蔵介、千徳掃部助ら南部方の国人討伐も無事に終わった。これで名実ともにわしが津軽のあるじじゃわい。


 永禄10年(1567年)18で家督を継いでから16年か、長かったのぉ。石川高信(左衛門尉)征伐は南部晴政(右馬助)様の密命に乗じたことゆえ、さほど問題にはならなんだが、浪岡御所を滅ぼした時は効いたのぉ。まさか、南部信直(田子九郎)のみならず、安東愛季(檜山屋形)にまで攻められるとは思いもよらなんだ。


 安東家は小野寺家・大宝寺家と対立しておったし、比内で浅利勝頼(民部大輔)も蠢動を始めておったから、当面の敵は信直(九郎)のみ。しかも信直めは晴政様に睨まれておったから、如何様いかようにもなると思うたのだが……。


 まさか、信直めが南部家の家督を継ぐとはな。しかも悪いことは重なるもので、浅利勝頼が謀殺され、比内が完全に安東家の領地となってしもうた。さらに、牽制役として期待しておった大宝寺義氏(尾浦屋形)は、安東家のみならず、同時に最上家にも攻め入るという愚策を講じ、家を傾ける始末。聞いたときには目の前が真っ暗になったものだ。


 ところが、奇跡が起こった。日ノ本(本朝)の半ばを制した織田家の威光の下、里見義頼(鎮守府将軍)様が、奥羽の惣領無事をお命じになったのだ。


 儂は、渡りに船とこの流れに乗った。誰よりも早く土浦に出向いたこともあって、義頼様の覚えめでたく、晴れてこの夏、津軽一円支配をお認めいただいた。南部傘下の一武将として扱われても仕方なかったにも関わらずだ。義頼様には足を向けて寝られぬわい。……もっとも、土浦に足を向けていては北枕になってしまうがな!



 このような益体やくたいも無いことを考えていた儂のところに、石川城の板垣将兼(兵部)から急使が来た。なんと、里見信義様(里見の若様)が、儂との面談と領内の視察を希望されていると言うではないか!



里見信義(上総介)様は麒麟児である』この話は前々から耳にしておった。そもそも、あの歳で織田信長(前右府)様の仇討ちを主導なさるなど、早々できることではない。「話に尾ひれが付いているのでは?」とか、「優秀な補佐役が付いておるのであろう」などと申す者もあった。が、今ならば分かる。たった一月ひとつきで最上川以北を落ち着かせた手腕は、確かに御本人の才覚じゃ。


 それに『新當流の免許皆伝』とか、『塚原卜伝最後の弟子』という話も偽りは無かった。奥羽一円に聞こえた剛の者、安東愛季が、先に抜刀していたにも関わらず、切り結ぶことすら叶わぬまま、叩きのめされたのだ。


 義頼様も出来人であらせられるが、信義様はそれに輪をかけた器量人。信義様がいらっしゃる限り、里見家の今後は安泰であろう。


 その信義様が、津軽にやってくる。それを聞いた儂が最初に思ったこと、それは「まずい!」であった。



 信義様が安東家の旧領を中心に視察を行っていることは知っていたが、出羽でも仙北や最上に行ったという話は聞かない。それに蝦夷地だって立派な安東領ではないか。それらを後回しにして、なぜ陸奥の儂の所に来るのだ?


 もしやこれは、浅利頼平(与一)のせいか!? 確かに領地割の席に、頼平を連れていったのは儂だ。しかし、あれは、いきなり戦をふっかけてきた安東愛季に意趣返しをしてやろうと、連れて行ったに過ぎぬ。それが、いきなり直訴など始めるとは夢にも思わなんだ。結果として愛季は乱心し、安東家は関東に追いやられてしもうたが、いくら儂でもそこまで考えてはおらぬ。



 さて、これは大変なことになったぞ。


 儂は、すぐに受け入れを快諾する旨、返書をしたためると、板垣将兼には碇ヶ関(いかりがせき)大鰐(おおわに)の湯を昼夜兼行で整備するよう命じた。


 返答を渋って、無い腹を探られてはたまらぬが、かと言って、接待の準備をすぐに整えることは難しい。幸い信義様は大の温泉好きと聞こえておる。道中ゆるりと出で湯を楽しんでいただき、その間に大浦城の準備を万端整えるのだ。


 いっそ、三本柳の湯に屋敷を造るか!? いや、儂らも対面せねばならぬのだ、仮の湯小屋ならともかく、御一行様を歓待するなら、大浦城をおいて他にない。……そうじゃ! 三本柳から湯を運んできて、城内の風呂に入れれば良いではないか!


 我ながら良いことを思いついたぞ! すぐに支度に掛からねば!!








 いや~よかった!! 事前の心配は完全なる杞憂であったわ。


 最初に浅利頼平(与一)めを見かけたときには、正直なところかなり焦った。しかし、津軽の現状について説明をすると、信義様は我らの働きを大変お喜びになり、冷害に強いという白米の種籾を100俵もくださると仰るではないか。


 それだけではない。『害獣駆除のために猟師マタギ衆を士分として召し抱える』という考えを激賞してくださった。


 なお、信義様が仰るには、「猟師を士分とすれば、平時には害獣駆除、戦時には道を選ばぬ精鋭となる」とのこと。儂はそこまでは考えていなかったのだが……。


 さらに、鉄砲を500丁もくださると仰るではないか! 今、津軽には六百余村があるが、儂が持っている分と合わせれば、一村に一丁鉄砲が行き渡る計算になる。ただ、儂としては連中には罠や弓矢で猟をさせるつもりだったのだが……。



 それだけではない。七里長浜の砂丘から吹き付ける砂混じりの風のせいで、鼻和郡の西側から西浜一帯は塩害が酷く、ほとんど何も穫れぬ不毛の地が続いておった。木を植えて風を防げば良いことは分かっておるのだが、冬場の強風で、植えても植えても根こそぎ飛ばされてしまう。儂も頭を痛めておったのだが、信義様曰く、


「竹や蘆で囲いを作り、その中に松や柏など、潮風に強い木を植樹すれば良かろう」


とのこと。


 目から鱗が落ちたようであった。確かにこれならば、効果が上がるかもしれぬ!


 さらに、本城を大浦城から移すことも勧められた。確かに大浦城は西に偏っているから、居城を移そうとは考えておった。儂としては、羽州街道にも近く、平川の水運も期待できる堀越ほりこしに新城を築くつもりであったのだが……。



 信義様曰く、


「堀越は、平場ひらばであるし、平川にも近い。水運も使えて街は発展するかもしれないが、守るのが大変であろう。


 それに、『平場』で『三方を川に囲まれている』ということは、洪水の危険と隣り合わせ。ひとたび川が氾濫すれば、本丸まで浸水することもありうる。


 それならば、私は高岡を勧める。高岡は岩木川沿いだが小山の上なので水害の危険は無い。それに、山は台地状なので、街づくりも容易たやすい。守りの面でも岩木川、土淵つちぶち川を外堀にできる。当然、水運も使えるから、十三湊から船で直接物資を運び込むことも可能であろう」


とのこと。



 言われてみれば、確かにその通りであった。あれほど素晴らしいと思っていた堀越であったが、考えれば考えるほど粗が目立つ。もう少し適地を調べてはみるが、信義様の仰るとおりにするのが良いかもしれん。


 それにしても恐ろしいお方じゃ。確かに大浦城ここに至る道中、堀越も高岡も通ってはいるはずだ。しかし、領主である儂も気付かなんだのに、一度通っただけで高岡の適性を見抜くとは!


 このお方に付いていけば、大浦家は安泰間違い無しじゃ。ただ、儂はよいが、息子らは欲に目が眩んで道を誤るやもしれぬ。『子々孫々に至るまで里見家の御恩忘るるまじ』これを大浦家の家訓とし、しかと守らせねばならぬな。









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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
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