第189話 奥羽征伐②庄内侵攻作戦
天正11年(1583年)7月17日昼 出羽国 遊佐・村山郡境 青沢峠
遥か下を流れる鮭川を背に、断崖絶壁を縫うように長蛇の列が山道をこちらに向けて登ってくるのが見える。しかし、急な上り坂が続くことを差し引いても、その歩は亀のように鈍重である。
よくよく目を凝らして見れば、隊列の先頭付近からは、入れ替わり立ち替わり物見と思しき人間が出入りしており、警戒感の高さが窺える。
観音寺城主 来次氏秀の配下で、物見隊を率いる小屋渕与三は、庄内を目指し青沢越を進む里見の大軍の監視を続けていた。
難しい顔をする与三に、隣に控えていた足軽の兵六が口を開く。
「小屋渕のお頭、こった有様だば、峠で不意打ちはできそうにねぇですな」
「んだな。あったけ守りば固められてしもうたら、隠れても先に気付かれちまう。まんず不意打ちはできねぇべな。
じゃが、普通に戦おうにも、峠にゃ水場が無ぇ。しばらくは押さえられべぇが、入れ替わり立ち替わり攻め掛かられたら、俺らぐれぇの人数じゃあ、どうしようもねぇ。
『鮭延秀綱さが付いてる』たぁ聞いてたけんど、敵ながら見事なもんじゃ。こうやってじわじわ来られたら、お手上げじゃ」
「お頭、どうすべぇ」
「どうもこうも無ぇべ、来次の殿様さは、『相手は油断してねぇから、相の又沢の手前の谷で戦うのがいい』ってお伝えするしかねぇな」
「んだな! あそこなら谷底の一本道だしな! それに、こんな亀みてぇな動きなら、支度も十分間に合うべぇ」
「よし、じゃあ早速行く……」
すると、裏の笹藪がガサガサと音を立てる。音のする方に向かってサッと刀を構えた与三が、誰何する。
「誰だ!!」
「与三殿、俺だ! 塚沢庄兵衛だ!」
現れたのは隣村の出で、同役の塚沢庄兵衛であった。庄兵衞は与三と交代で、麓に陣を敷く来次氏秀の下に報告を上げに行っていたのだ。
しかし、庄兵衞が山を下ったのは3刻程前、戻ってくるにはいくら何でも早すぎる。疑問に思った与三は、息を切らせた庄兵衞に問うた。
「庄兵衞殿、そったに慌ててどした? 交代はまだ先でねぇか?」
「交代では無ぇ。昨日、殿の出陣中に、観音寺のお城が関東勢さ落とされてしもうたんじゃ」
「なんじゃと! 関東勢は、そこを登っとるでねぇか!?」
「なして関東勢が現れたかは知らん。じゃども、お城は落ちてしもうたし、殿も降参してしもうた。
でな、殿からの御伝言で『関東勢を峠から案内せい』とのことじゃ」
「なしてこうなったんじゃあ!!」
小屋渕与六の魂の叫びは、出羽の山々に何度も何度も木霊した。
天正11年(1583年)7月15日夜 出羽国 遊佐郡 最上川
満月に照らされながら舟はゆったりと川を下っていた。すると、右岸の葦の茂みに白旗を振る人物が見えた。
船頭に白旗の存在を伝え、その方角へ船を寄せるよう指示を出す。そして、こちらも白旗を振って応答した。どうやらそれは後続の舟からも見えたようで、舟は次々と右に舵を切る。
岸に近づくと、先遣隊によって、既に幾つもの桟橋が組み立てられており、俺たちが容易に上陸できるよう、準備が整えられていた。
上陸すると、すぐに1人の男が駆け寄ってくる。
「信義様、先鋒の山本胤禮殿、鮭延秀綱殿、既に砂越城を攻略しておりまする」
「でかした! して、城主の砂越宗恂は如何した?」
「はっ! 捕虜によれば、兵を率いて青沢方面に出陣中とのことにござる」
「加藤信景、俺の読み通りであろう!」
「真に。またもや若の策が当たりましたな!」
「うむ! 伝令、山本胤禮には城の守備を任す。鮭延秀綱殿は申し訳ないが、観音寺城までの道案内を頼みたいとお伝えせよ」
「はっ!」
「皆の者! 砂越城にて腹ごしらえの後は、すぐに観音寺城を目指す! これは時間との闘いぞ! 日の出までに城に取り付くのだ!」
「「「「「応!!」」」」」
この後、日の出前に観音寺城にたどり着いた俺たちは、毎度の如く風魔衆に閂を開けさせて、難なく城に侵入、日の出直後には城を制圧していた。
天正11年(1583年)7月17日 出羽国 遊佐郡 観音寺城
皆さんこんにちは。梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
今は、占領した観音寺城で、次に向けた準備をしてるところだよ。
現状? うん、順調すぎるぐらい順調かな? 何と言っても里見家のお家芸『船を使った中入り』が鮮やかに決まったからね。
実は、先月の軍議で『青沢越』を使うって宣言したんだけど、このルート、険しい峠越えの道でね。それでも山形側は見晴らしの良い山裾を進むから、危険性は少ないんだけど、庄内側は崖下の谷底を通る場所がたくさんある。こんなの「奇襲してください!」って言ってるようなもんじゃん?
仮に奇襲されなかったとしても、この谷底を塞がれちゃったら大軍の利を全く生かせない。全くもって敵優位なルートなわけよ。
あ、ちなみに、この時代、最上川沿いの陸路はまだ開削されてないから、徒歩での移動はできないからね。
まあ、ここまで来たら言わなくても分かると思うけど、当然、欺瞞情報だったんだ。
だってさ、前にもどっかで言ったと思うけど、この時代の東北地方って、血縁関係がグジャグジャなんだよ。だから、ああいう所でしゃべった話は、きっと誰かが漏らすだろうなって予想してたの。
……案の定だったよ(笑)
だから、『峠越えをするぞ!』って宣言して、村山郡内の道の整備を始めたんだ。
それと並行して、『沼田に仮御所を建てる』って名目で、近隣から大量の木材を集めて、こっそり筏を造った。そして、決行が近づいた段階で、舟止めをして川舟を全て徴発した。これで足を確保するとともに、情報封鎖もしたってわけ。
最後は軍の1/3程度を峠に向かってじわじわ進軍させたら、面白いように引っかかってくれたんだ。
え? 夜に川下りなんて危険じゃないのか、って?
まあ、昼間よりは危険なのは間違いないけどね。でも、梅雨も終わって水量も減ってたし、満月だったから周りもよく見えるんで、そんなに危険は感じなかったよ。それに、さっき言ったとおり、最上峡には道がないから、密告されたり攻撃されたりする心配も無かったんで、舟に乗ってること自体は気楽だったかな。
あ、『最上峡』って言うくらいなんで、両岸に山が迫ってるんだけど、ここ、流れ自体はそんなに急じゃないの。日本三急流って言われる最上川なんだけど、実は急流地帯は山形盆地辺りまでなんだって。正直なところ俺としても盲点だったよ。
後は、先遣隊に上陸地点を確保させ、乗ってきた筏をばらして桟橋と簡単な砦を作らせた。それと並行して、敵の有力者、砂越宗恂の城に夜襲をかけて城を奪取。そこで得た情報を基に、ここ観音寺城も朝駆けで落としたんだ。
で、峠越えしてくるはずの里見軍を待ち構えてた、砂越宗恂と来次氏秀を後ろから叩いてやったら、2人とも慌てふためいて降伏してきたよ。
どっちも居城を落とされるわ、倍以上の兵と対峙しなきゃ行けないわで、心がポッキリと逝っちゃったんだろうね。
これで、遊佐郡に残る抵抗勢力は酒田の前森蔵人改め東禅寺義長だけになった。青沢越の陽動部隊も明日には合流できるだろうから、すぐに酒田攻略に向かう予定だよ。




